見出し画像

夏支度をした

季節が巡る速さというのは、一定では無いと思う。自然に目を向けていたり、山に出かけていくとそれは良く分かる。ぼくが飛騨市神岡に住み始めてから、およそ一ヶ月が経過した。サクラはようやく咲き始めた。この前までは、あんなに頑として蕾から変容するのを拒んでいたのに。そうかと思えば、山菜として人気のフキノトウは、雪から出てきたときにはすでに蕾が開きつつあって、日当たりがいいとすぐに開花してしまう。本当にあっという間だ。昨夜はこのグングン季節を駆け巡ってしまうフキノトウを刻みまくっていた。

夜に何かを仕込むのは嫌いじゃ無い。淡々と時間が流れるし、その行為が明日とか明後日とかの飯になったりすると思うと有意義に感じられる。生活してんなあーって気分になる。できれば毎日、何かしらを仕込みたいものだ。

こうしてnoteを書くことも、ある種仕込みっぽい作業ではあると思う。が、noteはごはんのおかずにならないし、頭を使うことは手を動かすことよりも疲れる。フキノトウを刻むという行為はnoteを書くよりもずっとハードルが低いうえに、ごはんのおかずになる。でもでも、毎日noteという習慣が存在する一方で、毎日フキノトウというのは存在し得ない。こればっかりは、自然の産物だから仕方ない。

で、昨日はどうしてフキノトウを刻んでいたかというと、ふきみそを作って貯蔵しておこうと考えたからだった。家の周辺のフキノトウはすでに昆虫を寄せ付けるくらいには花が開いてしまっていて、食べるのには向いていなかった。そこで友人と標高1200mくらいの場所まで車で移動して、まだ残っていた雪が溶けて露出した地面から健気に顔を覗かせた蕾をぶっちぶっちともいできた。そうして山から収奪した恵は、刻んでからサラダ油で炒め、みそに日本酒にみりん、最後に三温糖を加えて少し甘くしたら、ごはんによく合うふきみそになった。

 翌朝、いい具合に水分が飛んだふきみそをラップで小分けにして冷凍庫に保管した。これでOK。この春は、もう十分にフキノトウを楽しんだ。もし夏に恋しくなったとしても、冷凍庫のふきみそを回答すれば無問題。秋にはクリやクルミ、きのこなんかも楽しめるし、冬になるころには、すでに春が来るのを楽しみ待っているだろうから無問題。夏は渓流の魚くらいしか楽しみが今のところ思い当たらないから、とにかく夏のために春の香りを取って置きたかったというわけです。

 明日は、朝少し釣りに行けるかな。仕事もたっぷりやって、仕込みもたっぷりできる一日にしたいなあ。

もしよかったら、シェアもお願いします!