オノマトペって何?
進化する日本語
先日あるネット記事を見ていたら
日本語はオノマトペが多い言葉・・・
という文章が目についた。
ん?オノマトペ?
恥ずかしながら初めて聞く言葉に興味が出て見入ってしまった。
その記事いわく、オノマトペとは元々
onomatopee
というフランス語らしく、その発音をカタカナで表したもので、日本語で言えば
擬音語、擬態語
のことを言うらしい。
擬音語とは、自然の物音や声などを言葉で表したもので、擬態語は自然の状態や心情などを言葉で表したものとのことである。
例えば川の流れる「サラサラ」や雨の降る様子の「ザーザー」などは擬音語で、心情を表した「ハラハラ、ワクワク」などは擬態語ということになる。
そして日本はオノマトペ天国と言われるほど世界的に見てもオノマトペが多い国らしく、なんと4500語ほどのオノマトペがあるらしい。
しかもそれは今も増え続けているそうだ。
毎年新語を取り上げて表彰する企画があるらしく、そのなかにも必ずといっていいほど新しいオノマトペが入っているとか。
そう言われてみれば若い人が、考え方が固い人のことを表すものとして、「ゴリゴリだ」とか、かわいいと言うかわりに、「キュンです」などと言うのを聞いたことがある。
ひと昔前にはなかった表現だ。
オノマトペが毎年増殖(?)しているとは知らなかったが、その背景にはやはりSNSやアニメ文化があるのだろう。
スマホで相手と意思疎通する時は、短い言葉でスッと入ってくるものが好まれるのかもしれない。
アニメ文化に接することはあまりないが、その絵のなかには必ずといっていいほどセリフ以外の状態や心情を表す言葉が絵の一部のように散りばめられている。
ちなみに、オノマトペ同様新たに日本語に増えているものとして「絵文字」がある。
メールとかLINEのやり取りで多用される絵文字は、もはや漢字、ひらがな、カタカナに次ぐ第四の文字と言ってもいいほど若い人を中心に多用され、外国人にも人気らしい。
日本語は他国の言語と比べて複雑精緻なことから、あまり進化する余地はないものと思っていた。
しかも、系統も不明な孤立した言語と言われているのにである。
ところが我が国のオノマトペは、そのルーツをたどって行くと、何と日本で最初の歴史書である「古事記」に行き着くらしい。
いわく、そのなかに出てくる国生みの物語に、天の神々から国づくりを命じられたイザナギ・イザナミの二柱の神さまが、天の沼矛(あまのぬぼこ)という矛を授けられたのち、その矛で下界をかきまぜてできたのが日本だというくだりがある。
その時に矛をかき混ぜる表現に
こをろ、こをろ
というものがあるらしい。
それが、確認できる日本最古のオノマトペということになる。
これは今風に言えば「カラカラ」というもので、飲み物に何かを加えて溶かしたりする時にスプーンで混ぜる様子を表すものと同じだ。
古事記では、ほかにも足が疲れている表現として
たぎたぎし
という擬態語も使われているらしい。
これは足元が悪くて歩きにくいことから使われているものであるが、今も使われている
たどたどしい
とニュアンスがよく似ているように思える。
このほかオノマトペは日本書記や万葉集、風土記などにも出てくるらしい。
そのような書物にオノマトペの使用が認められるということは、話し言葉としてはもっと昔から使われていたのではないかということは容易に想像できる。
一説によると縄文時代より使われていたのではないかというほどである。
そうか!
何のことはない。
時代はどれだけ変わっても、また表現する媒体は進化しても、日本人は太古からの記憶を引き継いだ民族なのだ。
それが分かると、日本にオノマトペが多い理由もよく見えてくる。
前述のとおり擬音語は、自然の様子を日本語として写し取った表現であるが、それは日本人が欧米のように自然を克服するものと捉えるのではなく、八百万の神々の信仰が示すとおり、人間も自然の一部であり、自然とともに生きていくという発想が根底にある。
だからその自然をよく理解しようと思い、その状態などを端的に言葉で表すものとしてオノマトペを多用するようになったのではないだろうか。
稲作文化の日本では、ことのほか自然と向き合うことが大切で、特に雨の降り方などは稲の成長に重要な要素であったと思う。
だからその振り方ひとつにしても
ポツポツ、シトシト、ザーザー
など、その降り方を慎重に見極めたのだろう。
そしてその情報を端的に伝えるためのツールが擬音語のオノマトペだったという側面が窺える。
さらにその情報に接した時の心情を表す擬態語が
ハラハラ、ソワソワ、ワクワク
の類いだったのだろう。
日本人の精神性がきめ細やかなのは、この自然を神と捉える感性からきているのだと思う。
また静かな様子を伝えるものとして
シーン
という表現もある。
音がもないものを言葉で表すというのも矛盾しているような気がするが、これなど何もないところや静寂に価値観を見出す日本独自の感性とも言える「わび」「さび」につながるものではないだろうか。
このように考えると、日本人はそのDNAに先人の記憶をしっかりと刻み込んだ民族とも言える。
ということは、このオノマトペ文化をしっかり継承していくことが、いつになっても日本人の日本人たる所以なのかもしれない。
ただ同じ状態や音を指すものであっても、それは時代の移り変わりとともに変わって行くということも忘れてはならないだろう。
かつて相手から先に電話を切られた時のややネガティプな表現として
電話をガチャンと切られた
と言うものがあったが、スマホ全盛の時代にこれは通用しないだろう。
今風に言えば
スマホ、プッンと切れた
というところか・・・
電子レンジもひと昔前はほとんど「チン」で終わっていたが、今はいろいろなメロディで報せてくれるので、一概に「チン」が料理(電子レンジで作ったものが料理かどうかは別として)ができた音にはならない。
このように、オノマトペも文明が進歩するにつれて変わっていくものでもある。
一方オノマトペには、同じ言い回しであってもその人の生きてきた時代を反映し、同じようには捉えられない一面もある。
ピカッ、ドーン
と聞けば、原爆のことを思い浮かべていやな思いをする人がいるかと思えば、それを知らない世代には
花火だ!
と、楽しい場面しか思いつかないかもしれない。
ザーザー
という音から、東京大空襲の時に降ってきた焼夷弾が落ちてくる音を連想する人がいることを、老人が戦時中の体験を語る番組で知った。
しかしそのような体験のない若者には
雨が急に降ってきた?
という感想しかないかもしれない。
昔のオノマトペから過去を知ることも大切であることを思う時、じゃあ同じ轍を踏まないためにどうしたらいいかということを考えることも大切だろう。
ザッ、ザッ、ザッ
というオノマトペを聞いただけで
軍靴の足音が聞こえてくる
と思考停止するのではなく、そうならないように周囲の安全保障環境を強くして平和を維持するために
黙々(もくもく)
と頑張っている人たちがいることに思いを至らせるのが大切なのではないだろうか。
たまには、コーヒーにミルクをいれてかき混ぜる時に
こをろ、こをろ
と古事記の国生み物語に思いを馳せ、日本の長い歴史とオノマトペに思いを巡らせるのもいいかもしれない。
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