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お客様が奇跡でした!

ある元CAの一言

 先日、NHKの
   クローズアップ現代
という報道番組で、今年1月2日に発生した羽田空港での航空機事故を取り扱っていた。
 内容は、元日航機パイロットや事故の当事者となった海上保安庁関係者と管制塔関係者が、発生時の画像等を見ながら事故を検証するというものであった。

 そのなかで、出演者がそれぞれの立場で事故の問題点や今後とるべき対策等について話していたが、その話を聞く限り、今回の事故については日航機側にあまり問題点が見いだせなかったこととは反対に海保側と管制官側に少なからず問題点が見受けられたように思う。

 しかし事故発生時からまだ時間が経っていない時点での報道では
   海保機が着陸許可を待たずに
   滑走路に進入した
とか
   管制官側が着陸許可を出して
   いない飛行機が滑走路に進入
   したのに気づかなかった
など、双方の責任のなすりつけあいのような様相を示していたが、この番組では
   どこに責任があるかという
   視点からではなく
   今後どうしたら同じような
   事故を防げるかということ
   を考えるようにしたい
と結論づけていたことに多少違和感も覚えた。
    責任の所在を明確にしたうえで、それを今後の事故防止に繋げると考えるのが普通ではないか。

 まあ管制塔も海保も同じ国交省の管轄する官庁であることから、官僚が省庁内のけんかにならないよう、責任の所在をあいまいにするようにメディアに手を回したのかとあらぬ勘繰りをしてしまう。

 一方番組後半では、逆に日航機が乗客全員を脱出させたことに焦点を合わせて、客室乗務員(CA)や乗客の冷静沈着な行動を称賛していた。
 この時、事故時の客室内の状況の動画を見て、その状況を検証したのは元CAの女性であった。
 彼女は現在現役CAを指導する立場で、過去の事故事例等をもとに緊急時の脱出訓練等も行っているいわばその道のプロであるが
   これを奇跡と言うなら
   お客様が奇跡でした
と、なんとも言い得て妙の感想を述べていた。
 彼女をしてここまで言わせた乗客の対応というものはどんなものだったのたろうか?
 正直私もこの時の動画を見て驚き、そして感動した。
 日本人は死と隣り合わせの危機を目前にしても、かくも冷静にかつ勇敢に行動できるものなのかと・・・
 確かにそれは「奇跡」の映像だった。
 
 着陸の瞬間に機外に見えるエンジン付近から火が出たと思うや、そのあかりで機内は明るくなり、しばらくすると機体はガガーッと引きずるような大きな音を出しながら急停止する。
 まもなくすると機内のあちこちから煙のようなものもあがり、子供の泣き声や「出してください」といった悲痛な叫び声も聞こえる。
 乗客はまさに命の危機を感じた瞬間だったと思う。
 それぞれ理性の糸が切れ、我さきに外に出ようとするパニックの一歩手前の状況だったのではないだろうか。
 ところがそのなかでもCAさんたちは、冷静に機内を動き回り、荷物を出して立ち上がろうとする乗客に
   荷物は持たないでください
   誘導しますのでかけてお待ちください
などと注意したり、脱出の準備に駆け回っている。
 あとで分かったことだが、このような非常事態の際は、CAは必ずパイロットと連携を取り、その指示のもと行動しなければならないらしいが、どうもこの時は、その連絡手段であるパイロットとの通信網が事故のため故障してしまっていたらしい。
 このため、ある程度は自分の判断で動かなければならなかった面もあったようだ。

 そのような状況でカメラを回した乗客の胆力にも感心するが、カメラは冷静に機内の様子を撮っており、その後そこに映し出された光景は、なんとほとんどの乗客が少し落ち着きを取り戻してCAの指示を素直に聞き、手荷物を取り出さずに、不安げな顔ながらも着席して非常脱出口が開くのを待っている状況であった。

 この日事故に遭った飛行機は、北海道の新千歳空港発羽田行きで、正月明けということもあり、年末年始の休暇を楽しんだ帰省客の日本人が多かったようであるが、そのことも今回の脱出劇が功を制した一因かもしれない。
 なぜならこの番組では、過去に外国で起きた同様な事故の機内の動画も紹介していたが、機内は騒然とした状況で、乗客はほとんどが立ち上がり、自分の手荷物を取り出して、我さきにという感じで非常口に押しかけて収集のつかない状況になっている様子が映し出されていたからだ。

 その後機内にいた乗客の手記のようなものもネットで拝見させていただいたが、これについても機内の映像同様、感動してこちらは涙を禁じ得ないものであった。 

「恐怖で足がガクガクと震え、人生で初めて死ぬかもしれないと思うと涙がこぼれました。
 でも隣に乗っていた女性が
   大丈夫よ
と声をかけて手を握ってくれました。
 周囲でも、見ず知らずの人同士が落ち着くように諭しあったり励まし合ったりして、こんな場面でも立派な方がたくさんいるのだなと感動しました。
    特に感動したのは、あの混乱になかでも譲り合いの精神を持つ人が多かったことです。
 私は後方の席でしたが、席を立って通路に出る時に、先に通路に出ていた男性が私の手を引いて列の前に入れてくれました。
 また高齢の御夫婦が若い人に通路を譲っている光景も見ました。
 未来ある若い人を優先しようとする気持ちを思うと涙が出ました。
 避難口までの道のりは本当に長く感じましたが、乗務員の方が足元を照らしてくださって、冷静に指示を出している姿にとても励まされました。
 シューターを使って下に降りた時も、機体が燃えているにもかかわらずその下に残ってお年寄りや女性に手を貸してくださる乗客の方もいて本当にすごいと思いました。
 今回の事故を通して、私は本当の人の温かさや立派さというものを感じました。」
~1月11日付YAHOOニュースより抜粋~

 元CAやこの女性客の目を通して心に残ったもの・・・
 それは、日本人らしい危機に遭遇した時の冷静な対応だ。
 誰一人「自分さえ助かれば・・・」などと考えた人はいなかったのだ。
 「お客様が奇跡です。」
元CAをしてそのように言わしめた乗客の対応は、まさに「日本人が奇跡」という意味でもある。
 
 そしてこの避難が終わるのを見届けて、パイロットが最後に脱出し、その直後機体は全体に火がまわり、一面火の海と化した。
 まさに危機一髪の脱出劇だったのだ。

 以前韓国で大型フェリーが沈没した時、艦内放送では客にその場にとどまるように指示しておきながら、船長は一番に脱出し、結果的に多数の死者を出した事故とは雲泥の差である。

 奇しくも今回の事故に遭った海保の飛行機は、東日本大震災の時に仙台空港で被災し、その後修理して羽田空港に戻った機体で、今回も能登の震災支援のために北陸へ向かう予定だったとか。
 私見であるが、パイロットは東日本大震災の過去を思い出し
   少しでも早く被災地のために
という思いが強く、少しあせって滑走路に出たのか?・・・
 いずれにせよ、殉職された職員の皆さまのご冥福を強く祈るばかりだ。

 また今回の震災でも、毎日のように現場の悲惨な状況が目に入り、本当に涙を禁じえず
   自分にできることはないだろうか
と思うが、気持ちだけが空回りする日々。
    そしてここでも決して取り乱したりすることなく、ほとんどの住民の方が、寒さや飢えをはじめ避難生活に伴う色々な問題に直面しながらも、また大切な人や愛する家族や失った悲しみに耐えながらも、辛抱強く救援を待つ姿を見るにつけ、ここでも
   「奇跡の日本人」
を見る思いである。

 誤解を恐れずに言わせてもらうならば、支援物資の到着を待って略奪行為が横行しているパレスチナガザ地区とは民度が全く違う。

 このような日本人の忍耐強さはどこからきているのであろうか。
 最近私は、それは日本だけで培われてきた長い稲作文化が根底にあるのではないだろうかと思うようになってきた。
 というのも、最近まで日本の稲作文化というものは、昔学校で習ったとおり、約3000年くらい前に中国から朝鮮半島経由で入ってきたものと思っていた。
 その頃がちょうど歴史的区分でいえば弥生時代であり、そのことから学説では、その前の縄文時代は稲作文化以前、その後の弥生時代からが稲作文化が始まった時期と捉えているようだ。
 しかし、最近では遺跡から発掘された物質を解析する技術も昔と比べて飛躍的に進んでおり、そのような最近の研究結果によれば、なんと縄文時代の遺跡の物質の解析結果等から、稲の成分に含まれているプラントン・オパールという微量な金属成分が検出されたということなのだ。
 つまりこのことは、弥生時代の前に約1万3000年くらいも続いた縄文時代に我々の祖先は既に稲作文化を持っていたということになる。

 また、稲作というものは、狩猟と違ってその準備から収穫に至るまで一年のうち春先から秋までという長い期間を要する。
 そして、稲作に従事するためには、必ず周囲の人と連携しなければならず、そこには自然と「和」の文化も育まれてきたのだと思う。
 おまけに、気候というものはいつも安定しているものでもなく、雨季や乾季の多少、台風など変化に富んでおり、毎年一定の収穫が得られる保障もないのである。
 しかし稲というものは、一旦収穫して玄米の状態で保存すれば20年くらいは持つらしい。
 現在のように冷凍・冷蔵技術がない時代に、これほど価値のある食料があるだろうか。
 明治以前には、米が年貢として貨幣と同等の価値を持っていたというのもうなずける。
 だからこそ日本人は長きに渡って、この稲作文化というものを大切にしてきたし、そこには必然的に、収穫のために「待つ」、自然環境の変化にも「耐え忍ぶ」すなわち「忍耐強さ」という精神構造が培われてきたのではないだろうか。
 長きに渡って培われてきた食の記憶というものは、どんなに時代が変わろうと、どんなに政治形態が変わろうと、どんなに外国から異文化が入ってこようと、そう簡単に変わるものではないのだろう。

 だからこそ、日本人は忍耐強く、そして「和」を大切にする民族なのだろう。
 それが今回の事故や震災にも自然と出てきているのだろう。

 だから今我々は、事故や震災で苦しみつつも耐え忍んでいる人たちを、いろいろな形で支援するしかないだろう。

  いつの日か乗り越えて明るい未来が来ることを祈りつつ。
 阪神淡路大震災から見事復興した関西のように・・・
 東日本大震災からも復興しつつある東北のように・・・

 先の大戦で国土を焼野原にされながらも、このような大国にまで上り詰めさせてくれた先人たちのためにも必ず立ち上がらなければならないだろう。

 日本人は、他国の人には決して真似できない、他者への思いやりと強さを併せ持ったとてつもない国民性を持っている。
 そして、日本人しか持っていない長い稲作文化に支えられた「忍耐強さ」と「和」の精神を持っている。
 
 この元CAも、もはや自分が日本人であることを忘れてしまったかのように
   お客様が奇跡です
と言ってしまったが、我々はもともともそれだけの資質を持った素晴らしい国民なのだ。
 今度は、世界中の人たちから
   日本人が奇跡です
と言わしめるほどの復興を成し遂げようじゃないか。
   頑張ろう日本!
   頑張ろう北陸!

オール・ジャパンで頑張ろう!


  
 
   
 

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