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共助死の誇り

   まもなく梅雨明けしそうだ。
   先日、朝のニュース番組で「共助死」という耳慣れない言葉を耳にした。
    番組に耳を傾けていると、共助とは
   災害が起きた時に地域で助け合う活動
のことで、共助死とは、その活動中に死亡することをさすらしく、具体的に言えば、他人から救助を求められてその現場に向かう途中などで、自らが災害に巻き込まれて死亡するケースを言うことが分かった。
 番組では、梅雨時期の豪雨災害により、共助死で亡くなる方が、この20年あまりで少なくとも11人にも上っていることを指摘し、専門家の意見として
   慎重に考えるべき
   まずは自らの身の安全を考えて欲しい
と伝えていた。

 しごくもっともな意見だと思ったが、それに続く放送内容に多少違和感を覚えた。
 というのも、共助死の例として、町内会長や民生委員がその担当する地域の住民から
   このままだと水没して死んでしまう
   助けて欲しい
とか
   怖いから来て欲しい   
などと言った急報を受けて現場に赴こうとし、その途上で自らも災害に巻き込まれて死亡したケースをあげていたからだ。

 このような方は、地域に精通しており、助けを求める電話をしてきた相手のこともよく熟知していたのではないかと思う。
 電話をしてきた相手は、おそらく近くに身内等がおらず、火急の時に町内会長や民生委員に頼らざるを得ない人だったのだろう。
 そして町内会長や民生委員であれば、そのような人に対して普段から
   何かあったら連絡してください
ぐらいのことは言っていたと思う。
 危険を冒してでも助けに行こうとしたのは、普段そのようなことを言っていることに対する強い責任感と
   世のため、人のため
という公共心があったのであろう。
 番組が言っているとおり、確かに二次災害で犠牲者が増えることだけは避けなければならない。
 民生委員の団体では、委員の共助死を受けて
   民生委員の職務は人名救助ではない
と文書を出したほどらしい。

 ただ、一分一秒を争う被災者からの急報に接していながら何もせずにいられる人がどれだけいるだろうか。
 自らの身の安全を優先して相手が亡くなった場合、その人には大きな悔悟の念は残らないのだろうか。
 家族や恋人や友人が災害にあったり事件に巻き込まれたりした場合
   まず自分の命が大事
と逃げ出す人はいないだろう。
 亡くなった町内会長なども、それと同じくらいの使命感、責任感を持っていたものと思われ、報道にあたっては、まずその姿勢に敬意を表すことも必要ではないだろうか。 
 単なる「無駄死」的な扱いは、世のため人のためという思いで亡くなった方に対する尊崇の念をいささか欠いているのではないだろうか。

 最近の災害報道を見ていて感じることだが
   命の危険が迫っている時は
   身の安全を第一に考えて
   避難してください
ということだけを、声高に繰り返し伝えている。
 それは大切なことではあるが、反面、そのような事態にあっても、自らの命の危険も顧みず危機に立ち向かわなければならない場合もある。
 危機というものは、そのような二面性を持つということをしっかり伝えないと、社会経験の浅い若者は
   危険な時は
   とにかく逃げればいい
ということだけを、知らず知らずのうちに繰り返し刷り込まれているようなものだ。
 
 宮城県や岩手県の太平洋側沖合は津波の多いことで知られ
   津波てんごてんご
という先人からの言い伝えがあるらしい。
 これは
   津波が来た時は、人をかまっている
   余裕はない
   それぞれ
            てんでんばらばら(てんごてんご)
   に逃げるしかない
という意味らしい。
 それほど津波というものは、命の危険をともなうものなのだ。
 
 しかし、それほど「てんごてんご」逃げざるをえない津波のような危機にもかかわらず、2011年の東日本大震災のときには、多くの方が他人のため、つまり共助死で津波により命を落としている。
 被災地の中心であった宮城県南三陸町の庁舎で、自らの身の危険をかえりみずに町民に避難の放送をし続けて命を落とした女性職員、職務とはいえ住民の避難誘導を優先して命を落とした多くの消防士、警察官、町役場職員をはじめ、一般の住民ですら動けない家族や高齢者を助けるために命を落とした人が少なからずいたらしい。
 また、共助死ではないが、震災と同時に発生した原発の原子炉のメルトダウンに対応するため、被爆の危険もかえりみず、家族に遺書を残してまで、その現場対応にあたった東京消防庁の職員もいる。
 亡き石原前都知事が、無事帰庁したそれらの職員を前に
   日本ために本当にご苦労様でした
   本当にありがとう
と、感極まって男泣きしながら訓示した場面をニュースで見た方もあるだろう。

 このような人の姿も正確に伝えずに、ただ災害等が発生した時は
   自分の命がまず大事
   とにかく逃げてください
というような内容の報道だけ垂れ流されれば、ほんとうの意味での
   世のため、人のため
という公共心は、だんだん薄れていくのではないだろうか。
 いや、メディアはそのような価値観は古いものと考えている節が垣間見える。

  この大震災時に、多くの国が支援するなかで、ロシアと中国だけは、災害対応に追われる日本の自衛隊の余力を試すかのように、領空侵犯や排他的経済水域侵入などをしかけてきている。

 安全保障環境が国家的な危機に立っている現在、公共心がなくなった国民ばかりになると
   自分の命がまず大事
と考える人ばかりになり
   あとは自衛隊頼んだぜ
と、国外に逃亡する人が増えないだろうか。
 ウクライナのように、理不尽な侵略に対して毅然とした姿勢を取れる人がどれだけいるだろうか。
 それができないのであれば、国民を守るために矢面に立っている自衛隊に対しては、せめて最大限の敬意だけは払わなければならないだろう。

 共助死も立派な公のための殉職と言える。
 どんな形であれ、公のために亡くなった方には、まず最大限の敬意と謝意を示すべきだ。
 
 



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