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ゴミ箱掃除の青山さん

途中二度退社しつつも、僕は二十代の大半を一つの会社で過ごして来た。
今思えば、実に無駄な時間だった。 

当時の僕は他で働いていける自信も視野も持っていなくて、精々ハンドリフトで荷物を引っ張ることくらいしか出来ないと思っていた。

そうじゃないと教えてくれたのもあの会社だったし、実は対面・対人の仕事が向いていると気付かせてくれたのもあの会社だった。
それでも、実に無駄な時間だった。
無知とは恥であり、恐怖である。

あの◯◯の体験があったおかげだよ!
と自分に弁明するのは過去に対するただの言い訳であり、そんなことを自分で言おうものなら

「ただただ一番貴重な時間を搾取されてドブに捨てただけだかんな!綺麗事にすんな!忘れんなよ!!」

と自分を戒める他ないくらい、ひどい空気の会社だった。

昔気質に加えて超体育会系の会社だったから、人の出入りは多かった。
とにかく人がバンバン辞めて行くので頭と手足さえついてりゃ誰でもOK!な会社で、庫内で逮捕(暴行、恐喝、窃盗)されない限り出戻り大歓迎!な会社だった。※庫内で連行されて行った人達は両手の指では数え足らない。

万年人不足でヒーヒー言っていると、そのうちリーマンショックがひょい!とやって来て、人どころか運営会社そのものが変わることが二度もあった。

本社が「試しに運営を委託してみよう!」とのことでやってみたけれど、結果は散々。
二度会社が変わった挙句、一年後に事業は元の鞘に戻ることになった。

一つ目の会社は水増し請求やバカでも気付くデータ改竄などで三ヶ月で切られ、忘れられない出来事が起こったのは運営が二つ目の委託会社に変わった時のことだ。

「フロア長」という役職でやって来た青山さんという七三分けのオッサンが僕らの現場を仕切ることになった。
けれど、所詮は委託会社の付け焼き刃。
仕事の指示は見当違いだし、要領は悪く口だけは達者で、すぐにみんなの除け者になった。

すぐに新しいフロア長がやって来て、青山さんはよそへ飛ばされるだろうと思っていた。
けれど、違った。

委託会社のやり方だから僕らがどうのこうの口を出す権利はなかったけれど、大人のやり方ってガキより始末が悪いんだと僕は目の当たりにすることになった。

フロア長から降ろされた青山さんは、現場の仕事からは外された。
けれど別部署や事務に移る訳でもなく、会社から彼に渡されたのは一枚のタオルだった。

フロア長を降ろされた青山さんは、倉庫内のゴミ箱や荷台や什器を拭くのが仕事になった。
本当にそれしかやらせてもらっていなかった。

可哀想だなぁとは思いつつ、実際に身体を動かす現場に居られると危ないし、何より邪魔で仕方なかった。

重たい家電製品を載せたパレットを移動中に掃除をする青山さんの中年尻がピョコン!と眼前に現れたりすると、堪らず叫ぶことも多々あった。

「危ねぇなぁ!掃除すんのは勝手だけど状況見て掃除してくださいよ!」
「あっ、ごめんね。みんなが気持ち良く仕事出来るように、邪魔しないように頑張るね」

そう言って、青山さんは頭を下げながら微笑んでいた。
そんな風に微笑まれても繁忙期中は「ニヤニヤしてんじゃねーよ、バカが」と心の中で苛立つことは多々あった。

青山さんと同じ委託会社の上の連中は僕らを手伝う訳でもなく、時々フロアにやって来て腕組をしながらヒソヒソと青山さんを指差して笑っていた。

僕は大喫煙者なので「やることはやってるから!」とメリハリをつけて一回四十分くらいの煙草休憩を日に二度取るのが日課になっていた。

同じ部署のみんなと休憩に入るので非喫煙者を巻き込んでゆっくりしてもらっていると、喫煙所ならではの会話を交わしたり盗み聞きすることも出来た。

喫煙所では委託会社の連中が青山さんのことを話しているのを何度か耳にしていた。

「あいつ、マジでゴミ箱掃除してんのな。さっさと辞めりゃあ良いんにさ」
「バカなんだよ。頭で仕事出来ないからあの歳までペーペーでさ。歳のせいにして仕事覚えようとしねぇんだもん」
「ゴミ箱掃除してるクセに、自分が一番のゴミじゃんな」
「それも粗大ゴミな。誰か引き取ってくんねぇかな」

そんな会話から生殺しみたいなことは敢えてしているんだなぁと理解できたし、クビに出来ないからあんなことさせてるんだと分かったけれど、社会ってそういうもんなのかとも何となく理解はした。

それと同時に実に下らねぇなぁとも思ったし、訴えられる覚悟でクビを切ってやった方がまだ優しいんじゃないかなぁとか考えていた。
だって、覚悟があって雇ったんじゃないの?
いや、覚悟が背負えないから縦社会になってるのか、とか。

そんなことをボンヤリ思いながらその日の作業が終わった現場へ戻ってみると、青山さんは静まり返った庫内でまだ掃除を続けていた。
まるで自分の存在を忘れたがってるみたいに、一心不乱に掃除しているように見えた。

後輩のN君が青山さんを見ながらニヤニヤしていた。
この子は少し性格に難があるヤツで、庫内に置かれた冷蔵庫を指さして

「ジュース、わざと冷蔵庫にこぼしていいっすか?」

と聞いて来た。
青山さんの仕事を増やそうとしているようだった。

あまりに下らないので叱ろうとすると、僕のすぐ下の後輩のO君が沖縄訛りで

「おまえ、アイツらと同じになりたいの?」

と冷たい声で返していた。
「アイツら」が誰を指してるのかすぐに理解したし、N君も黙ってそれに従っていた。

O君は皮肉屋だったけれど仕事はとても出来たし、人間としても色んな経験を踏んでいた。
あと、イケメンだった。

結局O君も何度か出入りした挙句、転職先からも突然姿を消してしまったようだった。
※もしもいつか、この記事を読んだなら実印を預かったままなので連絡下さい。

僕も確かに青山さんの無駄にプリプリした尻に苛立つことはあったけれど、わざと掃除の邪魔をしたり嫌がらせをするようなことは誰もしていなかった。
後輩のO君含め、僕よりも遥かに人生経験が多い現場の人達は口に出さずとも、きっと青山さんの立場や痛みを分かっていたのだろう。

その日の帰りしなになると、倉庫のエレベーター前に青山さんが立っていた。
首には汗で汚れた、腰には掃除で汚したタオルをぶら下げていた。

「みんな、今日もありがとね。明日も気持ち良くみんなで仕事しようね」

そんな風に、いつものように微笑んで帰って行く一人一人に声を掛けていた。

声を掛けられた僕らは「青山さん掃除しかしてないじゃないっすか!」とか、冗談まじりに返したりしていた。
青山さんは「ごめんね」って言いながら、それでも誰かに構ってもらえるのが嬉しかったのか、楽しそうに笑っていた。

笑い声の中で退社した次の日、フロアに青山さんの姿がなかった。
朝礼では何も言われなかったけれど、業務が始まるとすぐにフロア長が僕の所へやって来て耳打ちした。

「青山さん今朝から連絡つかなくてさ。寮行ったんだけど、首吊ってた。次長、警察に行ってていないから何かあったら俺に言って」

そんな風に聞かされても、僕は「マジっすか」とかしか返せなかった。

朝イチの集荷に来たガラが超絶悪いドライバー達がまだかまだかと待っていたし、忙しくて感傷に浸る暇なんかなかったのもある。

けれど、心の中でなんとなく意外ではない気がしてしまった。
悲しいとか、悔しいとか、そういう感情よりも真っ先に

まぁ、そうだろうな。

という気持ちになってしまい、途端になんだか虚しくなってしまったのだ。

僕と一緒に話しを聞いていた先輩のFさんは悔しそうに「マジで馬鹿だよ」と言っていた。

その数年後。僕は会社と散々話し合った挙句、半年掛かりで無事に自己都合退職することとなった。
きっかけとなったのはグループの別会社への出向で、そこに居た人達の仕事の仕方や考え方、人との向き合い方に影響されたからだ。
とても結束の固い会社だった。

失っても数字はいつか返って来るけど、失った仲間は返ってこないからなぁ。
係長はいつもそんなことを言っていた。

その後、僕は全く違う業種に移ったけれど本当にそれで良かったと心から思えた。

数年後、「マジで馬鹿だよ」と言っていたFさんはまだ同じ会社に勤めていて、自ら命を絶った。
今なら言えるけど、あんたも相当な馬鹿野郎だよ。
あんなに「また飲みに行こうな」って言ってたのに、結局行けなかった。

仕事が人生という生き方を否定するつもりはない。
そういう人もいるし、どういう仕事であれ誇りを持って働いている人が多い社会であって欲しい。

本当ならここから先、倫理観は置いておいて会社の所為で死ぬことなんかないってことを書いていた。
読み直していて、色んなことを想って書き直している。

ここからは本当に独り言で、そんなものをわざわざ載せるなんていうのはただの自己満足以外の何者でもないことは分かっている。
知らない他人が死んだ話しなんて、チラシの裏にでも書いておけよって話だ。

前にも多分、青山さんやFさんのことを書いたと思う。
他にも、周りには死んで行った人が沢山いる。年齢を重ねているからそりゃ仕方ないって話しではあるけれど、人に話すと「死に過ぎ」って言われてしまう。
それは病死や事故死と同じくらい、自ら命を絶ってしまった人がいるからかもしれない。

なんであなた達のことを書いてるんでしょうねって、答えのない空間に問い掛けてみた。
当然、答えなんか何も聞こえては来なかった。
スキを集めたい!ってグロのような心の浅ましさなのか、それともセンチメンタルの捌け口としてなのか。

正直、書いている理由に「これ!」というスタンスを僕は持っていないし、今後も持とうとも思っていない。
それは「これ」のイメージがつかないからだ。
ただただ頭に浮かぶ言葉やイメージが消えないから、書いて変換していることも多々ある。
ただ決して書きたい物に関してのスタンスではないので、そこはあしからずだけど。

言葉に出来損ねたモヤっとした文を何度か読み直しながら「うーん」と、横目でドラゴンボールを観ながら考えてみた。

多分、こんなに誰かが当たり前のように暮らす日常の隅っこで死んで行った人達がいたことを、知らせたいからかもしれない。
知らせたい、というより多分もっと暴力的な感情で、顔面をぶん殴るような感覚に近いと思う。
それはきっと、一方的なリンチみたいな感覚。
まぁ、読物は総じて作者による読者への一方的なリンチだと僕は思っている。
何が来るか分からないから、面白いのだろうし。

当然だが、彼らの死をニュースは伝えなかった。それどころか、SNSでも誰も伝えなかった。
ただひっそりと人が起きていない時間に死んで行って、少しの衝撃と職場での一盛り上がりの話題だけ残して、忘れ去られて行く。
もう、誰の話題にも出ない。
けれど役場の書類以外では記録すらされていない誰かの死は、それでも記憶に残っている。

こんな風に死んで行った人達がいたんですよ〜
なぁーにぃー!?やっちまったなぁ!

ってだけの話しだけど、こんなことを無修正で伝え続けていたらネットハラスメント的なものにいつかなってしまいそうな気もしている。
「人が死ぬ記事なんか読みたくなかった」って言われてしまう日が来るかもしれない。

青山さんのきっと無理矢理だった笑顔に気付いていたら、せめて退職くらいで済んでいたのかなぁとか考えたりした。
Fさんも突発的に「飲み連れて行って下さいよ」と自分にはない可愛げで伝えられていたら、何か少しは変わっていたのかな。

後悔しても仕方ない。
だけど、書けるうちは書いておこうと思う。
僕の筆はとても気まぐれで、次にいつ書こうと思うのかなんて自分でも分からないから。

以上。そんな風な会社や人がいたなって話しと、会社は辞めたくなったら辞め時だって話しでした。

人の死を綺麗にまとめて文で語れるほど、人間が出来ていないことを痛感しています。

心の成長痛で喘ぐほどの毎日を。
では、また。

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