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ネガティブとは、ある人にとっては常識

いつもオレっちのブログ読んでくれてありがトゥーリオ!!
どうも!『たまけりセリアAチャンネル』でお馴染みの

おちゃっぴー松岡で~~~す!!
本日も~ 

一球・蹴魂!!

あれ? あっ、いっけねぇ!間違えました!!

どうも、日本公衆お便所ウォッチの会代表兼底辺物騒作家の大枝です。

はい、ここから本題入ります。

昔からこんな風に言われてしまう人に、僕は何度か遭遇したことがある。

「〇〇君ってなんでそんなネガティブなの?」

僕に限らずこんな言葉を聞いた、掛けられた経験のある方は多いだろう。

逆に「そんな言葉を掛けたよ!だってアイツCryんだもん!」という方だってもちろんいるだろう。

僕は日頃、絶望的に暗くて救いがなくて画太郎並に主人公が死にオチする小説ばかり書いている。
何故かというと、希望に溢れていて暖かな小説は書いていると心と身体が蕁麻疹を起しそうになるからだ。

気まぐれで「書こう」と思っても、一向に文字が打てなくなるので基本向いていないんだろうなぁと常々感じている。

先日もドラゴンボールを視聴していて最も感情移入出来たキャラクターがフリーザだった上、地獄で花々に囲まれながらカワイイお人形の歌や踊りを延々と見させられ続ける苦痛を語るフリーザに

「わ~か~り~み~!!」

と、手を叩いて喜んでいたので、万が一僕とオトモダチニナリタイ!と多少でも思う諸君がいたなら、考え直すことを強くお勧めする。

と、まぁ僕の場合基本ネガティブもポジティブもあまり考えないようにしている人間だ。

感情なんて波があって当たり前だし、その波の高低差で昔は自殺しかけたりエライ目に遭ったりしてきたので心が平坦でいようとするのは当然の結果なのだろう。
無理にアッパーになることも、過度に落ち込むこともない。

逆に中年になってコロコロコミックスばりに感情の移り変わりが激しい人がいたら、それはただのヤベー奴です。

僕も小さい頃からとんでもなくドライな発言をしたり、リアルなことばっか言うとか、夢がないとか、散々言われて来たクチである。

なんでかと言ったらそれは経験に基づくものであって、幼少期に家に居たら両親は常にどちらかが家におらず、いても喧嘩しまくっているうえ暴力は働くし、おまけに住んでいるのは山の中だし、二人の兄が猟奇映画やメタルを居間でバンバン流していたらそりゃドライにもなるのである。

普遍的な考えで言えばフラットな状態があるとして、そこからマイナスに転じた状態をネガティブ、プラスに転じた場合をポジティブと定義しているのだと思う。
そのフラットさは場の雰囲気で全然変わる。

パリピ会場に自作ブックレットを持ってうろつく切手コレクターが居れば異物となるし、寺の修行場にやたら若作りした六本木にいそうな成金社長がいたら卒塔婆でぶん殴られるかもしれない。

ヒトの集合体によってネガティブやポジティブの定義って実は変わったりするんです~って話しをしたけれど、つまり何が言いたいかと言えば形骸化したような意味でのネガティブ=悲観的とするにはちょっと待った!な訳なのである。

かつてフジロックの話しで仲間うちで盛り上がり、一緒に行かないか?と誘われた際、僕は

「虫刺されと人混みと汗を掻くのが嫌だから行かない」

と、とてつもなくフラットで平坦な気持ちで答えた。
スナフキンくらいの穏やかさで答えたのである。

その発言をした時は別に暗い気持ちになっていた訳でもなく、フジロックや日本の音楽性を悲観していた訳でもなく、・虫・人混み・汗掻く→ヤダー という単純明快な思考回路でそう答えたのだが、それを聞いた連中が血相を変えて騒ぎだした。

「え!?なんで!?それだけの理由で!?」
「暗すぎじゃない!?ネガティブ~」
「虫よけすればいいじゃん!なんで行かないの!?」

と非難轟々となってしまったのだ。

「虫・人混み・汗掻く」が嫌なので行かないと言い切ったけれど、発端はフラットな感情で答えていたのが「ネガティブ!ネガティブ!」などと押し付けられるので、こちらもムキになってしまった。

「うるせぇなー!行かねぇもんは行かねぇんだよ!!てめぇら戦時中かよ!」

なんて、巨人が負けた翌朝の昭和オヤジみたいに不貞腐れながら返してしまったうえ、

「暗い明るいの定義だけで言えば音楽を聴く、という行為自体が一人で行うことなんだから別に明るい行為ではないだろうし、そのコアなファンだけが集まってわいわい騒ぐこと自体も別にポジティブな行為だとも思わないけどねぇ!ただの村の集会のデカイ版だと思うけどねぇええええ!きええええええ!!」

とキレまくり、超コイツ面倒くせー、誘ったの誰だよ……という空気を作ってその場を黙らせた挙句、「はい、この話はおしまい」と勝手に切り上げるという傲慢さを披露するハメとなった。

これは他者を想像できない若気のイタリアン・サイゼリア故であり、今の僕なら

「フジロック行こうよ!」
「いやぁ……私はSiMや10ーFEETを聴きながらの公衆お便所ウォッチングで満足しておりますので……ふへへ」

と超絶紳士の如くスマートにお断り出来るのであるが、とにかく若い頃は「ネガティブ」の決めつけ、押し付けにエラくイライラしていたもんだった。

やんや言われる「ネガティブ」とは裏を返せば先を想像する力であり、何かに備えることが出来る特殊スキルといっても過言ではない。
ネガティブな感情が常に悲観とは限らないのである。

そんな散々擦られ尽くしている言葉を書いた所で、自分はやはりネガティブでもポジティブでもなく、頭がちょっとアレな人なのかしらと思うのであった。

将来、駅前で半裸になりながら自転車を倒しながら「バカヤロウ!バカヤロー!」と叫んだりして警官に囲まれる人にならないよう、精いっぱい気をつけたいと思います。

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