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【小説】 何時に合わせますか 【ショートショート】

 高校の入学祝いに、僕はお父さんから腕時計をプレゼントされた。それは誰もが知っているブランド物の時計で、高校男子が腕に嵌めるにはデザインがあんまりにも大人びている気がしたけれど、お父さんは

「男はな、腕時計をしていることに自体に意味があるんだ。おまえにもそのうち分かるよ」

 と、なんだか嬉しそうに言っていた。
 銀色に輝く重みのあるバンドを左腕に巻き、黒いシックな時計盤を眺めているとなんだか自分が突然大人になったような気分になった。
 折角の腕時計だ。僕は一秒のズレもなく時計の時刻を合わせたくなり、時報を聞きながらきっちり秒針まで合わせてみることにした。

 ピ、ピ、ピ、ポーン。

 その音に合わせながら時計のダイヤルを回してみたものの、つまみが小さくて中々うまく合わせられない。それでも何度か弄っているうちに感覚が掴めて来て、次の00秒できっちり合わせられそうな感じがして来た。

 ピ、ピ、ピ、プルルルルルル。

 え? 時報のダイヤルはずっと自動音声が続いているだけだったのに、ポーンという定刻を伝える音は鳴らずに、突然呼び出し音が鳴り始めた。
 なんだか怖くなって電話を切ろうとしたタイミングで、プツリと音がして何処かへ繋がった。

「何時に合わせますか?」

 受話器から聞こえて来たのは抑揚のない若そうな男の人の声で、言っている意味もよくわからなかった。そもそも、時報の電話に人が出るなんて聞いたこともないし、そう思うと僕はますます怖くなった。

「すいません、時報の電話と間違えたみたいです」
「こちらは時報のダイヤルです。何時に合わせますか?」
「合わせる?」
「何時に合わますか?」
「いや、合わせるのは僕の方だと思うんですけど……」
「何時に合わますか?」

 何時に合わせますかって、どういうことなんだろう。あ、僕がこの時計を何時に合わせたいのかってことを聞いているんだろうか? でも、そんなことを聞いてどうするつもりなんだろう。電話越しに僕の時計を操作するなんて不可能だし、電話の人が一体何をしたいのか僕にはさっぱり意味不明だ。

 でも、電話を突然切ってしまうのも申し訳ない気がして、僕は壁に掛けられている秒針が少しズレた時計を眺めながら答えてみた。

「十時三十五分に、合わせたいです」
「二分後の十時三十五に合わせました」

 電話の人がそう言うと、自動音声には戻ることなく電話はプツリと切れてしまった。
 一体どういうことだったんだろう。イタズラにしては手が込み過ぎているし、そもそも意味がまるで分からなかった。
 気を取り直して時報を聞き直そうと時計盤に目を向けてみてから、僕は驚いた。
 なんと、時計の針はピッタリ十時三十五分を差していて、秒針もしっかり動き出していたのだ。

「すっげー。なにこれ、魔法みたい」

 僕は驚きのあまり独り言を呟いて、腕時計を眺めながらリビングへ向かった。
 扉を開けてみると、僕はさらに驚いた。
 家の中ではいつもタートルネックとスラックスで過ごしているお父さんが、ボロボロの肌着とステテコ姿になってテレビの前で寝転んでいたのだ。
 頭はボサボサで、おまけに無精髭まで伸びている。僕はそんなだらしないお父さんの姿を今の今まで一度も見たことなかったから、驚いてすぐに声を掛けた。

「お父さん、どうしたんだよ!」

 寝転がったまま、お父さんは前歯の欠けた笑みを浮かべて僕にこう言った。

「どうもこうも、工場もクビになったから長年プー太郎してんだろ。あー、畜生! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって……」
「え……工場?」

 お父さんが工場勤めだなんて、初めて聞いた。お父さんの仕事は保険会社の管理職だったはずだ。毎日パリッとしたスーツを着て、ピンとした背筋で仕事へ向かっていたはずなのに……。
 驚きながら眺めていると、お父さんは苛立った声を僕に向けて来る。

「なぁんだよ! ダメ親父だからって見下してんだろ!? なぁ!?」
「え……ちょっと、びっくりしちゃって……」
「びっくりだぁ!? 俺が中卒だからってなぁ、親のことナメてたら承知しねぇぞテメェ!!」

 え、お父さんが中卒だなんて嘘だ。名のある大学を卒業していて、卒業後だって学部の仲間と「誠清会」に入って大人の交流をしたり、色んな経済情報を交換したり……そんなカッコいいお父さんだったはずなのに……どういうことだ?
 お父さんらしき人は寝転んだままなんと、ブゥッと音を立てた屁をこくと、とても嬉しそうに

「くっせぇ! たまんねぇな、おい!」

 と笑い始めた。
 いや、あんなのお父さんじゃない。お父さんのフリをした、見かけだけそっくりな別人なんだ!

「おまえ、お父さんじゃないだろ! 僕の家から出て行け!」
「あぁ? 何言ってんだオメェ。俺はオメェの親父だし、元々ここはよそん家だんべや」
「え?」
「オメェが「お父さん、いい空き家見つけたんだ」っつーから、こうやって転がり込んでんだんべ」
「空き家……」
「しかしなぁ、海外に住んでてもこうやって日本に家を持てる金持ちってのがいるんだからなぁ! たまんねぇよなぁ!」 
「え……なんだ、あれ……」

 ここが僕の家じゃない? それに、テレビニュースの下に流れてるテロップ。あれは、なんだ?

『今日の出荷予定地は群馬県全域、埼玉県北部、千葉県西部、岐阜県南部、長野県南部です。出荷対象者はただちに各自治体出荷管理事務局へ出頭してください。※出頭しない場合は即射殺されます! 出頭しない場合は即射殺されます! 出頭しない場合は即射殺されます!』

「お父さん……出荷って、何?」
「あぁ? オメェのことだろうよ。何言ってんだバカ! おかげでこんな目に遭っちまうし、おっかぁは出荷されちまうし。やってらんねぇよなぁ、こんな人生」
「出荷……即射殺……なんだ、それ」

 身体の奥から恐怖で震えるような感覚になって、僕は腕時計を眺めた。あの時、時間を指定したからなのか?
 そう思い、僕は急いで電話機のある玄関へ向かい、時報の番号をプッシュした。

 ピ、ピ、ピ、ポーン。

 何度か自動音声をやり過ごしてみると、やはりあの呼び出し音が鳴った。

「何時に合わせますか?」
「どうしてこうなったんだよ! 僕は一体どこにいるんだ! 教えてくれよ!」
「何時に合わせますか?」
「何時に合わせたら戻れるの? ねぇ、教えてよ!」
「何時に合わせますか?」
「何時って……ちょっと待って、待って!」

 思い出せ。あの時僕は何時だった? 時計を見ながら時間を指定したはずだ。そう、確か……二分後が十時三十五分だった。だから、二分前だ!
 腕時計は十時四十二分を差していた。

「十時四十分! 十時四十分に合わせてくれ!」
「二分前の十時四十二分に合わせました」

 また何も言われず、電話がプツリと切れた。
 腕時計は十時四十分を差していて、僕は少しだけホッとして恐る恐るリビングへ向かってみる。

 するといつもの様にダイニングテーブルに座ってタートルネックとスラックス姿で珈琲を飲むお父さんがそこにはいたのだ。
 僕は喜びのあまり「よかった〜!」と大声をあげた。
 お父さんは目だけこっちを見ると、すぐに読んでいた新聞に目を落とした。
 何かあったのだろうか、とても真剣な顔で新聞を読んでいる。

「お父さん、何かあったの?」
「別に」
「そう……」

 いつも通りの家の中に戻れてホッとしたけれど、お父さんがなんだか冷たい。今日は日曜で休みだけど、最近仕事で何かあったんだろうか?

「お父さん、仕事で何かあったの?」
「別に。あっても顔に出すほど素人じゃないんでね。まぁ、働いたことのないおまえには分からないだろうけど」
「確かに、そうだけど……」
「幸泰、おまえ」

 幸泰? お父さん、息子の名前を間違えるなんて相当疲れているのかな。

「お父さん、僕は智樹だよ」
「何をバカばかり言っているんだ。それはゲームの中のお友達の名前か?」
「え?」
「おまえ、来月でもう三十一だろ。いい加減に働いたらどうなんだ」
「えっ、僕は高校生になったばかりだよ」
「……もういい。然るべき人におまえを頼むから、そのつもりでいなさい」
「……」

 僕が、三十一? まさか。お父さん、何言ってるんだ。
 ふと腕時計に目をやると、バンドに肉が食い込んでいた。鼠色のスウェットはシミとお菓子の食いカスだらけで、白い腹が飛び出しているのがわかる。
 そんな、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ!
 脱衣所へ向かって鏡を見ると、そこにはブクブクに肥えた中年の僕が映し出されていた。
 その途端に、あることに気が付いた。

 僕は、秒針のことをすっかり忘れていたのだ。
 しまった。あの時、本当は何時「何秒」かなんて、僕は知らなかった。壁掛時計の秒針はズレたままだったからだ。

 頭がくらくらして、目の前の景色が酩酊し始めたが、トライし続ければ必ず元に戻れることに気付き、僕は希望を取り戻した。
 そう、時報に電話して二分前の一秒から五十九秒まで繰り返し伝えれば、必ず元の日常に戻れるじゃないか!

 僕は意気揚々と受話器を取り上げた。トイレへ向かったお父さんが皮肉めいた口調で

「求人応募なら良いんだがな。そんな勇気ないか」

 と言いながらトイレへ消えて行く。
 ごめんよ、お父さん。こんな僕にならない為に、僕は元の毎日へ帰るよ。

 受話器を上げ、時報をプッシュする。
 よし、五十九回がんばるぞ!
 すぐにプルル、と鳴ってプツリと音がする。そして、自動音声が流れ始めた。

『お掛けになったサービスは、終了しました。時報については引き続きウェブ版をご利用頂きますよう、お願い申し上げます。お電話、ありがとうございました』

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