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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run73…⭐「過去を忘れてはならない」というのは、過去に戦争が存在したという記憶・記録を忘れてはいならないというだけではなく、再びそういった悲惨な戦争が発生・拡大していかないために、不断の努力をし続けなければならないという意思・決意を忘れてはならないということ⭐️

(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)
【記事累積:1946本目、連続投稿:879日目】
<探究対象…授業の仕掛け、シンガポール、2月15日、国防の日、戦争の歴史、リークアンユー、ヴァイツゼッカー>

今日は2月15日です。この日になると、SNSで過去に投稿した記事の振り返りが他の日よりも多く上がってきます。それは2月15日という日について、私が強い関心を持っているからということだと思います。さて、私はどうしてこの2月15日という日についての投稿を毎年欠かさずしているのでしょうか。

ただ、海外に住み始める前にはそこまで関心を持っていなかったと思います。私が最初に住むようになった国はシンガポールで、2012年4月からでした。シンガポールというと現在は東南アジアの中でも著しく経済発展している国の一つというイメージですが、その歴史を遡ると、アジア・太平洋戦争中に3年間、日本軍によって占領されていたのです。

この日本軍による占領は、それまでシンガポールを統治していたイギリス軍が降伏した1942年2月15日から本格的に始まることになります。シンガポール各地には戦争に関わる史料館・博物館・史蹟などがありますが、そこにはイギリス軍が降伏したときの話し合いを記録した写真や、イメージ画、人形を用いたオブジェなどが展示されています。

そしてシンガポールでは、毎年2月15日になると夕方の18時20分にサイレンがなります。この18時20分というのは1942年2月15日にイギリス軍が降伏した話し合いの時間帯とされています。現在2月15日は、「Total Defense Day(国防の日)」に指定されています。

それから1961年末になって、日本占領下で粛清された華僑の遺骨が大量に出土し、その事実を記念碑として後世に伝えるため「the Civilian War Memorial(市民戦没者記念碑)」が建設されました。この記念碑の落成は1967年2月15日でしたが、その日を選んだのは2月15日がシンガポールにとって忘れてはならない大切な日だからでしょう。またこの記念碑は別名「血債の塔」として知られています。

今日は勤務校の授業日で、ちょうど2月15日ということもあり、ラオスで生活している児童・生徒にも日本や東南アジアの歴史として、そして戦争の歴史として、「2月15日は何の日なのか」を少しだけ話そうと考えました。しかし担当学年は小学4年生なので、細かい話をしても上手く伝わらないと思います。そこで、「当時の新聞の見出し」「イギリス軍の降伏の場面」「昭南駅と書かれた画像」を使って、簡単に話すことにしました。

以前に彼らには、ユネスコについて話す機会があり、そのときはユネスコ憲章の前文を紹介しました。そしてみんなで「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」を音読し、戦争はどのように生まれると思うかであったり、平和のために大切なことは何かであったりを一緒に考えたことがあります。

また別の機会には、ラオスはベトナム戦争の被害を大きく受けている国で、当時投下された爆弾が不発弾(UXO)として地中に残り、今なおラオスの人々を苦しめていることについて話をしたこともあります。さらに、彼らは昨年度の校外学習で不発弾の被害について知ることができる施設(コープビジターセンター)を見学したこともあるため、「戦争と平和の関係」について様々な角度から学ぶ機会を得ていると思います。

「Forgive, but never forget(許そう、しかし忘れない)」
これはシンガポール建国の父であるリークアンユーがさきほど紹介した「the Civilian War Memorial(市民戦没者記念碑、別名「血債の塔」)」の式典(起工式)で述べたスピーチを端的な表現に置き換えたものとして知られています。

このスピーチは実際には以下のような文脈になっています。
「dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony.(日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。)」

私は2月15日に際し、リークアンユーの言葉について考えるとき、いつも1985年当時、西ドイツの大統領であったヴァイツゼッカーの言葉も思い浮かべます。それは「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と、こちらも端的な表現がよく知られていますが、1985年5月8日のドイツ敗戦40周年記念日で彼が行った演説をもう少し見てみると以下のようになっています。

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

前者は「過去を忘れることはできない」、後者は「過去を変えることはできない」となっていますが、どちらも過去に対して後ろ向きなわけではないと思います。前者は「過去は忘れられないけれども、それに縛られたままではいけない」こと、後者は「過去は変えるとか乗り越えるということではなく、目を背けてはいけないものである」ことを伝えようとしているように捉えることができます。そしてどちらも、過去を教訓・礎としながら、現在から前に広がっている「未来」に関心が向けられているのです。「過去」と正しく向き合うことによって、喜ばしい「未来」を創ることができるということだと思います。

そのような「喜ばしい未来」には、例えば豊かさが得られる未来、笑顔あふれる未来、安心して暮らせる未来、幸福に満たされる未来など様々な姿があると思います。しかしそれらすべての前提条件が「平和であること」なのではないでしょうか。現在でも世界各地で戦争は起こっていますが、そうした戦争が無秩序に拡大していくような世の中では、豊かさも笑顔も安心も幸福も成り立ちません。この戦争というものを広く捉えると、それは国家間の武力衝突だけでなく、内戦やテロもそこに当てはまりますし、社会の中で横行している様々な暴力も含まれると思います。さらに暴力には、差別や迫害のような「作為の暴力」だけでなく、弱い立場の人が取り残されてしまうような「不作為の暴力」も含まれることを忘れてはならないと思います。

2月15日という日に際して、「過去を忘れてはならない」というのは、過去に戦争(広い意味で暴力などを含む)が存在したという記憶・記録を忘れてはいならないというだけではなく、再びそういった悲惨な戦争(広い意味で暴力などを含む)が発生・拡大していかないために、不断の努力をし続けなければならないという意思・決意を忘れてはならないということも含んでいると私は考えています。まあ、そんな話を小学4年生に熱く語っても、伝わらないでしょうし、つまらないと言われるかもしれないですね。どうすれば私の思いが届くか、授業前にもう一度考え直してみようと思います。

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