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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run53

⭐気負って始めた毎日投稿の失敗から得られた教訓⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

<探究対象…コラム、表現活動、自己分析、モチベーション>

先日、連続投稿「666日」(2021年9月中頃から)について書きました。そのとき、2021年9月頃からの記事数をカウントすると「1320本」のコラムを書いたということにも触れました(テーマ性をもって論じたもの、報告の類はカウントしていません)。

このようなコラムという表現活動を俯瞰した話については、次の大きな節目(連続700日は近すぎるので、2年間連続となる730日を次の節目としておきます)に到達した際に論じたいと思います。

今回は、SNS上にコラムを本格的に書き始めた2016年3月頃から現在までのコラムの変遷のようなものを考察し、今後の表現活動に活かしていこうという狙いを持っています。【課題の設定】

過去のデータを振り返ってみると、「日々の教養」というタイトルで投稿をスタートしたのが2016年3月26日でした。そのタイトルの通り、毎日1本コラムを書くという意気込みでした。最初のうちは、終業式が終わってから次の勤務先が決まっていなかったこともあり、時間に余裕があったので毎日投稿できていました。しかし4月に入り次の勤務先が決まって、引っ越しやら新しい学校での授業準備やらで忙しくなってくると、早くも投稿できない日が出てきました。それでも、土日など比較的時間があるときに、遅れを取り戻すべく、1日に複数コラムをアップするなどして、何とか帳尻合わせ。そんな作戦も長続きせず、8月31日を最後に「日々の教養」は休止。【情報の収集】

なぜ毎日投稿することができなかったのかというと、形式と心理の両面に課題があったからだと思います。まず形式面について考えると、このコラムは日常の出来事を素材にし、その中に先哲の思想を見出し展開するというもので、単に日常で起こった出来事を綴っていくものではありませんでした。そのため、常にスムーズに先哲の思想が見えてくるというわけではなく、何とかして捻り出そうとすると時間がかかっていました。さらにその先哲の思想について、自分の知識や理解が曖昧では、うまく繋げることができないため、先哲の思想を勉強し直す時間も必要だったのです。最初のうちは、自分の理解がそれなりにある思想家と繋げることができていたので良かったのですが、次第にネタ切れとなり、無理に色々な思想家と繋げようとして、勉強が必要になったわけです。次に心理面について考えると、「日々の教養」というコラムは、早稲渋で担当していたクラスの生徒に対して、離任してからも遠隔のホームルームのようなものとしてメッセージを送るという約束をして始めたでした。しかし時間が経つにつれ、早稲渋の教員ではない自分が何のためにこんなコラムを書いているのかという疑問が膨らんでいき、このコラムを続けることの意味や価値を見失っていったことで、毎日投稿のモチベーションも低下したわけです。【整理・分析】

そして8月31日にコラムを休止してから、半年ほどしてコラムを再開したのは、早稲渋で担任をしていた学年の卒業式に出席したことがきっかけでした。授業変更のお願いをして強行日程でシンガポールに行ったのです。彼らが卒業すると、早稲渋を去るときに交わしたコラムを発信し続けるという約束も完全に意味や価値を失うということで、半年休止してしまっていたことの罪滅ぼしみたいな感じで、最後に1本コラムを書いたのでした。【情報の収集】

この経験から、形式と心理の両面が上手くかみ合わないと連続投稿は難しいということを学びました。現在、670日以上も連続投稿できているのは、「一つの表現形式に固定化しないこと」と「義務感や使命感ではなく純粋に表現を楽しむこと」を大切にしているからだと思っています。表現形式を固定化してしまうと、うまく論理展開できない場合、表現を形にできなくなり先へ進めなくなります。そこで現在は、色々なシリーズによって形式を多様化させています。そうすれば、あるシリーズの形式ではアイデアが出てこないときであっても、別のシリーズならば書けそうなので、今日はそちらの形式を選択するというローテーションが利用できます。それから義務感や使命感では、モチベーションを維持するのは難しく、一度ブレーキがかかってしまうと、そこから建て直せない可能性が高まります。そこで現在は、様々なシリーズで自分の表現してみたいことを自由に形にして、とにかく表現そのものを楽しむようにしています。最近になってようやく肩の力を抜いた気楽な趣味になってきた気がします。【まとめ・表現】

「モチベーションとは、命令や指示で生み出せないものである。」
これは日産自動車・ルノー元最高経営責任者のカルロス・ゴーンの言葉です。【情報の収集】

命令や指示といったものは、人間を合理的または機能的な状態に導いてはくれますが、決して活気的あるいは躍動的な状態には導いてくれないと思います。後者のようなポジティブな状態になる最も有効な方法は、やはり「自分自身で純粋に楽しむ」ことではないでしょうか。【整理・分析】

そうはいってもSNS上で公開しているものなので、読み手を意識はします。しかし、あくまでも「主」は多種多様の表現によって遊んで楽しむ書き手としての自分自身なのです。それが読み手の反応にシフトし、そこばかりに意識が向かっていくと、変な義務感や使命感が出てきてしまいます。そういった義務感や使命感が中心になった表現では長続きしないので、自分が楽しい面白いと思った表現を形にして、気が向いた人に立ち寄って見てもらえたらラッキーくらいの感覚が良いバランスだと思っています。【まとめ・表現】

今回は2016年3月にスタートした1本目から、半年の休止のあとに綴った108本目までの振り返りでした。次回(それがいつになるのかは未定ですが)は109本目以降について考察していきます。

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#哲学   #カルロスゴーン

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