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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run56

⭐誤った探究のイメージが作り出す「流行りの激流」に負けず、ハイペースだが地道な投稿を続けることの大切さ⭐️【記事累積:1655本目、連続投稿:693日目】

(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

<探究対象…コラム、探究学習、表面と本質、経験>
ここ3週間ほどのコラムは、探究学習の4つのプロセスの構造で書いていて、1日最低2本ペースでアップできたので、このコラムを含めると「47本」という計算になります。シンガポール滞在中も、旅行という感覚はなく、探究活動(探究学習に基づく活動)そのものという感じでした。去年のシンガポール滞在では、その日の出来事や、それに関わる思いつきをコラムにしていたので非常に気楽でしたが、今回はあれこれ考察しながら文字を綴ること自体には楽しさはあったものの、自分への挑戦・新たなハードルという感じで、やりがいが思った以上に巨大になっていました。【情報の収集】

そのような取り組みを始めた理由は、探究学習との向き合い方について、果たしてこのままで大丈夫なのかという疑念の膨らみを感じたこと、それと同時に焦りも感じていたからです。ではその疑念、焦りをさらに具体的に考えてみるとどのようになるでしょうか。【課題の設定】

現在、世の中では様々な学習活動が「探究」の名のもとに、正当化されたり、権威づけされたり、付加価値が認められたりしていますが、私はその一種のブームのようなものに危機感を抱いています。探究という言葉が意味するところは多岐にわたるため、たいていの活動は「探究」というマジックワードをつけると、それで探究学習が行われていることになりがちです。そして探究という言葉の多義性から、それは探究とは言えないというように明確に否定できる理論的足場も乏しく、様々な「探究(?)」活動がそのまままかり通ってしまっています。【情報の収集】

私は、「どんなものでも探究できる」と、「どんなものでも探究になる」という2つのフレーズは似て非なるものというか、全くの別物であると考えています。前者は探究学習の「対象」はどんなものに対しても広く開かれているという意味を持つフレーズで、「手法」としては、例えば4つのプロセスのような探究活動の軸というか枠組みというかメカニズムが用いられていると考えられます。そのため前者は「本質に着目した探究学習」と言い換えることもできると思います。【整理・分析】

これに対して後者は、どんな活動でも探究学習が行われていると見なすことができるという意味を持つフレーズで、こちらも「対象」はどんなものでも当てはまりますが、「手法」については、4つのプロセスのような探究活動の軸・枠組み・メカニズムが採用されているかどうかはそれほど意識されていません。そのため、当事者がこれは探究なんだと言ってしまうと、周囲は明確な反論をしにくくなり、いわば言ったもの勝ちの活動になってしまいます。これは「表面、ラベルに注目した探究」と言い換えることができると思います。【整理・分析】

そして私が抱く危機感というのは、後者が世の中で氾濫していることなのです。現在のように、せっかく価値が見直され、光が当てられ始めた探究学習の芽ですが、後者が氾濫していくことによって、その芽がことごとく摘まれてしまいます。すると探究学習という言葉が陳腐なものになっていき、いずれは探究学習の息の根が止められてしまうかもしれません。【整理・分析】

この問題点をどのように克服していくかは、探究学習が直面している大きな課題です。こちらについても別建てのコラムで考察をしていきたいと考えています。【異なる課題の設定】

この点について私見を端的に述べておくと、教科学習の中に探究的な要素を戻していき、現在のように探究という言葉が変に持ち上げられている誤解を前提としたプレミア感をゼロにしてしまうのが理想ですね。【異なる課題の設定に対する、まとめ・表現の一部分】

さて探究学習が本格的にスタートしたのは、「総合的な学習の時間」という名称の登場でいうと小学校で2002年度から、中学校や高校は2003年度からになります(2000年度から先行実施可でした)。そしてその時間においてより一層「探究的な学び」が求められるようになったのは2020年度からで、高校については2022年度から「総合的な『探究』の時間」という名称になっています。【情報の収集】

そのため現在30歳以上の教員は、自分が生徒のときに「探究学習」というものを経験したことがありません。自分が生徒のときにそのような学びをしていないのに、それを生徒に教えたり、指導したりすることに違和感があります。それはちょうど、卓球ならば「21本制のサービス5本交替から11本制のサービス2本交替へのルール変更」や「直径38ミリのボールから直径40ミリのボールへの変更」で、その変更後の経験がないにも関わらず、本などの情報だけで指導する状態に似ていると思います。【整理・分析】

11本制への変更は2001年で、40ミリのボールへの変更は2000年だったので、一番本格的に練習した大学時代(1996年4月~2000年3月)とほとんど重なっていませんでした。そのため、それらの変更に対する経験値に乏しかったのです。そして、私は大学3年次から始めた卓球教室のインストラクターのアルバイトを、大学院に進学してからも続けていたのですが、大学院の頃にさきほどの変更があり、卓球教室の生徒さんから色々質問されても、経験的に答えられないという事態に陥りました。そこで、大学の練習に積極的に参加したり、卓球教室のあとにメインのコーチに練習をお願いしたりして、その経験不足をできるだけ早く埋め合わせしようとしました。【情報の収集】

卓球という競技が別の競技になったわけではありませんが、ルールや道具の変更によって生じる疑問点や問題点などは経験しなければ分かりません。それは探究学習も同様だと思います。確かに自分が生徒だったときに、探究学習のような取り組みがゼロだったわけではないと思いますが、現在の探究学習のように4つのプロセスに基づいた取り組みで生じる疑問点や問題点は、やはり経験することによってはっきりと見えてくるものです。それがないにも関わらず、想像や理屈だけで教えたり、指導したりしていては説得力に欠けてしまいます。【整理・分析】

これまで様々な学校で探究学習の企画・運営を経験してはいますが、それはあくまでも授業をする側に関わる経験です。授業を受けて探究学習と向き合う主体としての経験とは違います。だから、教員自身が生徒と同じように探究学習の主体となり、4つのプロセス(課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現)をできるだけたくさん経験する必要があるのです。その一つの取り組みが、現在、私が継続している探究学習の構造を踏まえたコラムの執筆なのです。【整理・分析】

しかしそのような経験不足の埋め合わせは、生徒とあまり変わらないペースでは、疑問点や問題点について多少の共感はできても、色々なケースを頭の中で思い描きながらアドバイスしたり、ファシリテートしたりすることはできません。だから教員は、生徒よりもハイペースに探究学習のトレーニングをする必要があると考えています。生徒は1つのテーマについて、ローペース(例えば1年間)で、4つのプロセスを駆使しながら、学びを深めたり広げたりしていきますが、教員もそのようなローペースでは、対等な探究学習の主体にはなれたとしても、アドバイザーやファシリテーターとして多くの生徒と関わることは難しいと思います。【整理・分析】

そのような思いから、私は1日最低2本というハイペースでコラムをアップしています。こうして探究学習について私見を述べているコラム自体、いかなる立場から語っているのかと嘲笑されるような未熟さを持っているかもしれません。しかしどうせ未熟だと思われるのならば、表面を取り繕って何でもかんでも探究と偽るような未熟さよりも、二束三文かもしれませんが探究学習の構造を何とか理解しようと試行錯誤したコラムを量産するという未熟さを選びたいと考えています。【まとめ・表現】

「不道徳の最たるものは、自分の知らない稼業をすることである。」
これはフランスの軍人から皇帝の地位にまで昇りつめたナポレオン・ボナパルトの言葉です。【情報の収集】

彼は、自分が理解していなかったり、経験に乏しかったりする仕事をすることは最も不道徳であると考えています。これは探究学習にも当てはまり、自分が生徒のときに経験していないにも関わらず、そのまま探究学習を指導しようとする場合は道徳的に疑問符が付くということです。もちろん経験不足を補う取り組みは、日々の業務の多忙さから考えると容易なことではありません。しかし不足を自覚しておきながら、それをごまかしたり、偽ったりして、探究学習の経験を十分に積んでいるように振舞うのは不道徳ということになるでしょう。【整理・分析】

どのように経験不足を補うべきか自問自答の日々が続きますが、決まりきった答えがあるわけではなく、試行錯誤によって自分を刷新し続ける日常の中に、探究学習の芽があると私は信じています。探究学習は本来、学びの中核に位置するものであり、奇抜なものではないはずです。ですから、誤った探究のイメージが作り出している流行りの激流にのまれることなく、地に足をつけて着実にコラムを綴り続けていこうと思います。【まとめ・表現】

もちろんハイペースにはハイペースが生み出す多くのデメリットもあります。また或る活動1単位の中に不完全な要素が含まれている場合、それを繰り返せば繰り返すほどに正しい状態から離れていってしまう可能性もあります。それは別のコラムでしっかり考察しようと思います。しかしあれこれ質について考えて、頭でっかちになり実践が少ないよりは、量を積み重ねながらその都度修正していく方が、経験不足を補うという点では現実的だと考えています。間違った素振りをたくさんすると、悪い部分が増大するだけだと言われるかもしれませんが、少ないサンプルで何かを語るより多くのサンプルを俯瞰していた方が、多くの気づき・学びがあると思っています。私にとっては、このコラムを量産するという活動自体が、一つの探究学習でもあるのです。【まとめ・表現】

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