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❖コロナ禍という困難の中で生徒たちが気づいたこと、平和に関する困難の中で全員が気づかなければならないこと〜What the students have noticed in the difficulties of the Corona Severe, and what everyone must be aware of in the difficulties of peace〜❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年3月9日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆コロナ禍という困難の中で生徒たちが気づいたこと、平和に関する困難の中で全員が気づかなければならないこと◆

今日は3月9日である。3月9日というとレミオロメンの『3月9日』を連想する人も多いのではないだろうか。現在は卒業ソングの定番となっているが、どうやらこの曲はもともと友人の結婚を祝うものだったらしい。それがなぜ卒業ソングとして捉えられるようになったのかについては、様々な解釈がなされている。そこで、私も自分なりに解釈してみようと思う。

最初の数行を見たとき、歌詞の中の人たちは「季節を意識するような生き方」をしていることが分かる。しかし、その季節の流れの中で「時間の長さ」を感じつつ、同時に、自分とその周りを通り過ぎていく「時間の速さ」も感じている不思議な状態にある。さらに、自分だけでなく他者とともに夢と繋がっているように表現されている。そして、「3月の風」「桜のつぼみ」「春」は、これまでの季節が一段落し、新たな季節に向かっていく雰囲気が漂っている。

「流れる季節の真ん中で
ふと日の長さを感じます
せわしく過ぎる日々の中に
私とあなたで夢を描く
3月の風に想いをのせて
桜のつぼみは春へとつづきます」
(出典:『3月9日』、作詞・作曲…藤巻亮太)

教員として働き始めて20年くらいが経とうとしているが、「学校」という空間は、「季節」「時間」「成長」といった要素と非常に密接で、しかも四季が延々と繰り返されるのではなく、どの季節も一度しかなく、戻ってこないという「不可逆性」を持っている。だから過ぎていく一つひとつの季節は、例えば「中1真っ只中の夏」とか「高2終わりの春」とか「高3始まりの春」というように、かけがえのないものであり、それゆえ「季節を意識するような生き方」をせざるを得ない環境にあって、またそれが「時間の速さ」にも関わっているのではないだろうか。もう少し留まっていたい気持ちがあるのに、無情にも季節は次に進んでしまうので、生徒たちは自分や自分の周囲を通り過ぎていく季節に「時間の速さ」を感じていると思う。

ただ教員である私の場合、例えば「高1を担当する夏」というのは20年働いていると、全く同じではないが複数回経験することがあって、前回の経験を元にして考えたり行動したりすることができる。しかし生徒たちの場合、原級留置などがなければそれぞれの季節は1回ずつしか経験できない。同じ状況の季節を繰り返し経験することができないため、一つひとつの季節は本当にかけがえないものとして捉えられることだろう。しかし経験していないということは、その季節がいつ頃終わるのかという予測はできないし、その季節の中でどれくらい取り組むとどれだけの成果が生じるかも分からないという「手探り」の状態である。そのため、「いつまで」も「どれだけ」も分からない状態は、行き先が分からない道のりがとても長く感じるのと同様に、その季節の「時間の長さ」を感じさせるのである。おそらく生徒たちは、そんなゴールが見えないトンネルの中にいて、学校生活の長さを感じているのではないだろうか。

そして「時間の速さ」と「時間の長さ」が奇妙に混ざり合う学校生活は、自分が何者かというアイデンティティ獲得の難しさとも戦う時期である。そのため、「自分はどんな存在『であるのか』」「自分はどんな存在『でありたいのか』」「自分はどんな存在『であらねばならないのか』」「自分はこれからどんな存在『になりたいのか』」など、様々な葛藤の中にいる。そうして現在から未来に繋がる自分を意識するとき、「夢」というキーワードが切っても切れないものとして登場してくる。その夢を自分の中で思い描き、自分の言葉で家族や先生や友人に語るだけでなく、友人の夢について聞き、お互いの夢について語り合う、そんなやり取りを通じて自分と自分の夢を探すのである。

しかし、そんな学校生活も、気づけば、「3月の風」「桜のつぼみ」「春」に象徴される季節を迎えることになる。

「新たな世界の入口に立ち
気づいたことは 1人じゃないってこと
瞳を閉じれば あなたが
まぶたのうらに いることで
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私も そうでありたい」
(出典:『3月9日』、作詞・作曲…藤巻亮太)

この部分には、「新たな世界の入り口」「1人じゃない」「あなたがまぶたのうらにいることでどれほど強くなれたでしょう」という表現がある。さきほどの部分で、「3月の風」「桜のつぼみ」「春」に象徴される季節が来て、生徒たちはそれぞれに次なるステージという「新たな世界の入り口」へ向かっていく。しかしその新しい世界には、自分のことを知ってくれている先生はいないし、友人についても全くいない場合だってある。するととても不安になるが、そんなとき目を閉じてこれまでの学校生活を振り返ると、自分と一緒にふざけ合ったり切磋琢磨したりした友人、自分を支えてくれた先生が思い出される。そして、今の自分があるのはそういった「他者との関わり・支えのおかげ」であることを再認識し、これまでの学校生活で鍛え上げられてきた「自分という存在への自信」を取り戻すのである。そうして気を取り直し、新しい環境での生活を続けていくのである。

そのように解釈すると、『3月9日』は卒業ソングにも思えてくる。

この解釈は数年前までの学校生活ならばぴったり当てはまるかもしれない。しかし、コロナはそんなかけがえのない季節での関わりや成長の機会を少なからず削り取ってしまった。

行事の中での一喜一憂は、笑顔も涙も分け隔てなく、将来への大切な糧になるはずであった。日常での膨大な喜怒哀楽は、自分を知り、他者を知り、さらには自分と他者が共存・共生する集団を知る機会であり、それが多ければ多いほど、将来にも繋がる人間関係のバランス感覚が鍛えられるはずであった。だが、コロナは無情にもそれらを削り取っていった。本来あるはずの行事や式典や関わりがなくなったり、形が変わったりという状況になった。だから彼らの学校生活の思い出は、私の学生時代のものとは比べて、物足りないものになっているのではないだろうか。

だがそうやって同情の念を寄せるだけでは、コロナ禍で学校生活を送らざるを得なかった「不憫な存在」というレッテルを、生徒たちに貼ることで終わってしまい、彼らの人生に対してむしろ失礼だと思う。もちろん彼らはコロナ禍における学校生活に満足・納得したわけではないと思うので、それは「納得解」ではないが、「コロナ禍における学校生活での最適解」を模索してきたはずである。

「困難の中に、機会がある。」
"There are opportunities in difficulties."

これはドイツ出身の理論物理学者であるアルベルト・アインシュタインの言葉である。コロナ禍での学校生活というのは、はっきりいって「困難」である。普通ならばそう考えると、気持ちも後ろ向きになってしまう。だが生徒たちはコロナ禍での様々な困難をそのままネガティブなもので終わらせず、「通常の文化祭が難しいならばオンラインでの実施をしよう」、「修学旅行が中止になるならば、代わりの学年イベントを企画しよう」、「卒業式に在校生が参加できないならば、装飾やビデオメッセージで盛り上げよう」というように、「困難を創意工夫のチャンス」と捉えてアイデアを膨らませたのである。

「本来あるはずのものがない」という不足は、間違いなく困難であるが、そこで立ち止まらずに創意工夫を続けていけば、不足を補うだけでなく、新しいアイデアによってこれまでを凌駕するような余りある状態を作り出せるチャンスでもある。
The shortage of "there is nothing that should be there" is definitely difficult, but if we continue to be creative and ingenious, we will not only make up for the shortage, but also surpass it with new ideas. It is also an opportunity to create a state that is too much.

何でもかんでもウクライナ情勢に結びつけるのは行き過ぎではあるが、結びつけさせていただく。
It is overkill to connect anything to the situation in Ukraine, but I will.

現在のウクライナ情勢は「信頼・信用の不足」がエスカレートして生み出された問題であることは間違いないだろう。ならばその不足は放置すれば困難のままであるが、その中にはチャンスも隠れているはずである。そのチャンスとは何か。戦後の国際社会が実際には先送りしてきた「理想的な国際協調・国際平和の在り方」という「最適解」を創意工夫によって模索し、「真の国際協調・国際平和」にたどり着くチャンスである。
There is no doubt that the current situation in Ukraine is a problem created by the escalation of "lack of trust and credit." If so, the shortage remains difficult if left unchecked, but opportunities should be hidden in it. What is that chance? This is an opportunity to reach "true international cooperation and international peace" by exploring the "optimal solution" of "ideal international cooperation and the ideal way of international peace" that the postwar international community has actually postponed.

諦めてはいけない。日本国憲法前文のフレーズを借りて考えると、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」することによって、全世界の人々が創意工夫をするのはまさに今なのではないだろうか。
Don't give up. Taking the phrase in the preamble of the Constitution of Japan, people all over the world are creative and ingenious by "relying in the justice and faith of peace-loving nations and determining to maintain our security and survival." Isn't it just now?

(写真は、私がシンガポール日本人学校中学部の教員時代に2年連続で中3担任をしたときの卒業式の写真である)
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