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『無知は幸福』、俺たちは考えちゃいけねえんだよ。「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」無料公開/第4話

主人に仕える勇敢な猟犬・ジョンが主人や仲間から離れ、「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」を探しに、伝説の聖地・ハイランドを目指す物語。旅の途中、多くの冒険、いくつもの困難を乗り越えながら、仲間や師との出会いを通じて、聖地・ハイランドに導かれていく。そして、ついにハイランドへの到達を果たすことになるのだが、そこでジョンが見た景色とは…。

 【第4話】

 あの日から、数週間が経った。


 僕は相変わらずご主人様と狩りの毎日だったけれど、ダルシャに会ったあの日から、狩りに熱中できなくなってしまった。なにより、大好きだったご主人様の笑顔も、ごほうびの干し肉も、あんまりうれしくなくなってしまった。
 僕の働きは日に日に悪くなって、ご主人様も僕がどこか怪我したんじゃないかって心配してくれていた。僕は、前ほど狩りに喜びを感じなくなってきたことを、僕自身で認めざるを得なくなった。僕はあの日、変わってしまったんだ。
 ご主人様のお屋敷の大広間の窓から見える、剥製になったダルシャの顔を見るたびに、今は青色のガラス玉が入れられたその瞳を見るたびに、僕の胸の奥から何か熱いものがせり上がってきて、何とも言えない悲しさと焦りにかられてしまう。
 獲物にトドメを刺す時、どこからかダルシャの暖かい声が聞こえてくる。


(そいつらに、なんか恨みがあるのかい?)


 ご主人様からご褒美をもらうとき、またダルシャの声が響いてくる。


(お前さん、たったそれっぽっちの存在なのかい?)


 ああ~…どうすればいいんだ…


 あるとき、ハリーが心配して話しかけてきた。ハリーはとても思慮深くて、いろんなことを知っている。僕が頼りにしている親友で。副リーダーでもあるんだ。


 「どうしたんだ、ジョン、最近おかしいぞ。あの狼の日からずっとだ。何かあったのか?」察しの良いハリーは、何かうすうす感づいているようだった。


 「なんでもないさ。気にするな。そのうち治るから」


 そう強がってみたももの、いっこうに気分は良くならなかった。


 ある日のこと、もんもんと眠れなくて空が赤く染まってきた夜明け、ついにハリーに打ち明けることにした。


 「ハリー、実は相談したいことがあるんだ」


 横で丸くなって寝ているハリーに話しかけた。
 ハリーはうっすらと目を開けて、ニコッと笑った。


 「いいとも、話してくれよ」


 僕はダルシャとの出来事、そして最近頭の中でささやいているダルシャの声などを一気に話した。
 何も言わずにじっと聴いていたハリーは、全部聞き終わるとしばらく黙っていたが、静かにゆっくりと言った。


 「やめておけ」


 「え?」


 「やめておけって言ったんだ」ハリーは僕を強い目で見つめた。


 「ジョン、お前はここを出ていくつもりだろう?」


 「ああ、このままだと…いずれはそうなるかもしれない」


 「俺たちが外で生きていけると思っているのか? 俺たちはご主人様から毎日えさをもらって生きているんだぞ。外に出て、どうやって生きていくつもりだ? 無理だよ、無理」


 「そ…そうかな? 森にはたくさん獲物だっているし…」


 「確かに獲物はいるし、俺たちは猟犬だ。だが万一、獲物が獲れなかったらどうするんだ? 獲物がいつもいるとは限らないんだぜ。それに俺たちはチームで狩りをする猟犬なんだぜ。一匹では何もできない。それが分かってんのか?」


 「…でも…」


 「でも何だ。俺たちは所詮飼い犬なんだよ。毎日決まった時間に決まった場所でおいしいご飯にありつける。それのどこに不満があるんだ。自分の仕事をまっとうにさえしていれば、何の苦労もなくご飯が食べられるんだぜ。毎日、毎日だ。外の連中はいつも腹ペコだ。何かに襲われるんじゃないか、飯にありつけるのかって、常に不安な毎日だ。外は弱肉強食と飢えが蔓延する過酷な世界だ。ここは違う。こんないい暮らし、外に出たら出来ないんだぞ。一回でも外に出たら、もう二度と戻れないんだぜ。どうしてこのラクで快適な暮らしを捨てる必要があるんだ?」


 「でも、ここには本当の自由がない」


 「自由? 自由ってなんだ? 与えられた役割をこなして、その合間に好きなことをする自由ならあるだろう? それが俺たち飼い犬の自由ってもんだ。俺たちはご主人様という大きな囲いの内側で守られているんだ。所詮俺たちは囲いの中の犬なんだよ。囲いの中にだって自由はあるじゃないか。自由なんてそんなもんだ。何に不満があるってんだ、それに満足していればいいじゃないか」


 「ハリー、それは、ほんとうの自由じゃない気がするんだ」


 「ほんとうの自由なんて求めるのは間違っている。自分を守ってくれるものを否定してまで得られる自由なんて、甘ちゃんの幻想さ。そんなことも分からないのか? お前が求めるほんとうの自由ってのは、外に出たら死ぬっていうことなんだぞ」


 「じゃあ、ハリー、お前はいま、自分がほんとうの自分らしいって感じるか? 自分らしい自分で生き生きと生きていると、感じることが出来るのか?」


 「はっ、なんだよそれ。ほんとうの自分? じゃあ、いまの俺はニセモノの俺ってことか? ほんとうもニセモノもありゃしない。俺は俺だ。俺はハリーで、猟犬、それだけだ。お前も同じだ。お前はジョン、猟犬、俺たちのリーダー。それだけ、それだけさ。いいかジョン、余計なことは考えるな。何も考えずに役割だけこなしていれば、ラクに幸せに、そこそこの自由を満喫して何の不自由なく生きることが出来るじゃないか」


 「何も考えないなんて、出来ないよ」


 「バカ言うな、『無知は幸福』って言葉を聞いたことがあるだろう? 前のリーダーがいつも言っていたことだ。もうひとつ「眠りは至福」とも言っていたよな、覚えているだろう?」


 「ああ、なんとなく覚えてる。でも意味は考えたことはなかった」


 「これはな、余計な知恵をつければつけるほど、不幸になっちまうってことなんだよ。苦しくなっちまうんだよ。何も知らないほうが幸福なんだ。考えないほうが幸せなんだよ。眠っているほうが幸せなんだよ。だって俺たちは今まで幸せにやって来たじゃないか。俺たちは考えちゃいけねえんだよ。俺は何かを知って不幸になるより、何も知らないで眠ったままの幸福のほうがいい。お前もそうだ、悪いことは言わねえ、余計なことは考えるな」

第5話へ続く。

僕の肺癌ステージ4からの生還体験記も、よろしければ。


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