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論文紹介 軍事学の歴史で作戦術の概念はどのように導入され、発展したのか?

19世紀以降の戦争史の潮流として興味深いのは、戦争に使用される軍隊の規模が量的に拡大したことに伴って、運用の形態に質的な変化が生じたことです。フランス革命戦争(1792~1802)ナポレオン戦争(1804~1815)でフランスが徴兵制を採用し、大軍を短期間で動員したことを受けて、他のヨーロッパ列強も次第に徴兵を利用するようになっていきました。

しかし、大規模な兵力を指揮官の思い通りに動かすことは簡単なことではありませんでした。無理に大軍を一単位の部隊として運用すれば、移動の統制や宿営の調整に膨大な手間と時間がかかり、本来の能力を発揮することも難しくなりました。そこで、運用が容易な単位に兵力を区分し、それぞれの部隊指揮官が、全体の戦略構想を踏まえつつ、それぞれが運用する方法が発達することになりました。このような部隊運用の技術は、今日においては作戦術(operational art)として知られています。

今回の記事では、アメリカ陸軍能力統合局(Army Capabilities Integration Center)の Wilson C. Blythe中佐の「作戦術の歴史(A History of Operational Art)」(2018)で述べられている作戦術の概念史を紹介してみたいと思います。著者は、作戦術の基礎となる軍事理論が戦間期のソ連で開発され、やがてアメリカに普及したことを論じています。

Blythe, Wilson C. (2018). A History of Operational Art, Military Review, November-December, pp. 37-49. (PDFファイル)

作戦術の始まりが歴史上いつだったのかに関しては論争がありますが、現代に通じる作戦術の理論体系を最初に開発したのがソ連の軍人だったことに関しては研究者の間で見解が一致しています。ソ連の軍人は、第一次世界大戦(1914~1918)、ロシア内戦(1917~1922)、ポーランド・ソビエト戦争(1919~1921)と相次ぐ戦争で経験を積み、大規模な兵力を機動的に運用する必要を認識し、戦略と戦術の中間に対応する作戦に独自の意義があると考えるようになりました。アレクサンドル・スヴェーチン(1878~1938)は、1923年から1924年にかけて行った講義を通じて作戦術(operativnoe iskusstvo)という概念を使うことを提唱しました。

作戦術は「戦役の所定の期間に、最終的な基本目標を達成することに寄与するように遂行される、戦域の一地域での機動と戦闘の全体」を包括するものとして定義されていました。それまでの戦略という概念が戦争行為全体を包括的に捉えて部隊を運用することを考えるものであったのに対して、作戦術は戦争行為の一部に問題を限定し、その範囲で部隊の運用を考えるものでした。作戦術によって戦略と戦術を結びつけることが期待されており、スヴェーチンは作戦の手段として戦闘を、戦略の手段として作戦を位置づけることで、近代戦における軍隊の運用に関する理論体系を整理し直しました。

ニコライ・ヴァルフォロミフ(1890~1939)は、いち早く作戦術の概念を取り入れた軍人であり、彼は作戦術に、さまざまな戦術行動を一貫した作戦に一体化させる機能があると考え、特に追撃の場面においては、当初の前線を超えて敵の部隊を深く、遠くで捕捉し、撃滅する作戦が必要であると主張しました。一般に敵と味方の部隊が戦場で向かい合ったとき、それぞれの戦闘部隊は左右に戦闘展開するだけでなく、後方に予備隊や後方支援部隊を配置します。そのため、戦闘力の運用においては、正面に展開する戦闘力と、縦深に展開する戦闘力の二つを区別するのですが、ヴァルフォロミフは近代戦では1回の戦闘で勝利したところで、それが決定的な戦果に繋がることはなく、敵の縦深戦闘力を撃破することが必要であり、特に敵の後方支援部隊を撃破するための連続作戦が重要だと論じました。

ウラジミール・トリアンダフィーロフ(1894~1931)ミハイル・トゥハチェフスキー(1893~1937)は、ヴァルフォロミフの作戦術の考え方を継承するだけでなく、それを実用的なソ連の軍事教義にする上で大きな役割をはたしています。1929年に策定された『野外教令』では、まだ実現が見込まれていた段階ではあったものの、縦深戦闘が戦術上の構想として取り入れられました。トリアンダフィーロフは1931年に航空機事故で死去していますが、トゥハチェフスキーはその後も縦深戦闘の構想を発展させ、縦深戦闘を途切れさせることなく連続した作戦として遂行することを構想しました。

ゲオルギ・イザーソン(1898~1976)の協力の下で、トゥハチェフスキーは縦深作戦の構想を発展させることに成功し、1936年の『野外教令』で取り入れられました。ちなみに、縦深戦闘では軍を構成する単位部隊が遂行することが想定されたものでしたが、縦深作戦はより大規模な正面軍と軍が遂行することが想定されています。イザーソンは作戦術の主な課題は敵を打ち負かすために、複数の戦術行動を結びつけることであると主張するだけでなく、将来的には陸上、海上、航空戦力の統合運用も縦深作戦の一部となるだろうと予想していました。

作戦術の研究開発に取り組んできた軍人は、1937年の大粛清によって次々と処刑され、あるいは投獄されることになり、多くの研究成果が失われました。これ以降、ソ連では作戦術の教義を公然と参照することもできなくなり、その状況はスターリン批判が行われる1960年代まで続きました。しかし、第二次世界大戦(1939~1941)を通じてソ連の実際の部隊運用ではこの思想が生き残り、ドイツ軍との戦いでソ連軍が戦果を上げることに寄与しています。しかし、アメリカでは、その重要性が長らく軽視されており、第二次世界大戦が終結してからは、作戦術の実用性は失われたという見方が支持されていました。しかし、1970年代にヨーロッパ戦域での対ソ戦を想定した教義が民間の研究者の間で議論される過程で、ソ連の作戦術に関する研究成果が再発見され、盛んに分析されるようになったのです。

著者が指摘しているように、アメリカ陸軍が作戦術を教義に取り入れることになった直接的なきっかけは1976年の『野戦教範(Field Manual)100-5』の中で、アクティブ・ディフェンス(active defense)という構想が発表されたことでした。この教義には直ちに陸軍の内外から批判が加えられています。アクティブ・ディフェンスの構想の詳細に関しては、この記事で説明することはできませんが、要するにソ連軍が西ヨーロッパに侵攻してきた際に、第一線に配備した部隊の阻止火力を発揮して敵部隊を徹底的に撃滅し、その直後に攻勢移転することを目指す構想であったといえます。正面戦闘力の最大化が必要であるため、後方に予備を拘置することができず、最初の防御戦闘で敗北してしまうと、主動の地位を回復する手がなくなる恐れがありました。そのため、アクティブ・ディフェンス以上に柔軟な対応が可能な教義の開発が本格化し、1979年には『野戦教範100-5』の改定作業が開始されています。

1982年に改訂された『野戦教範100-5』は、戦略、作戦、戦術という3種類の次元を設定し、作戦次元で縦深を伴った部隊の運用を重視するようになりました。これがエアランド・バトル(AirLand Battle)と名付けられた構想であり、アメリカ陸軍では作戦を遂行する単位として軍団に重要な位置が与えられました。軍団は通常2個から5個の師団で編成され、独自の後方支援部隊を擁し、空軍の航空作戦との調整を行う能力も有しています。軍団の司令官は政府が設定した戦略目的を達成するように作戦計画を策定し、いつ、どこで、どのように敵と戦うのかを指導することが求められました。その具体的な技術を将校に教育するための体制づくりも始まりました。

1983年にアメリカ陸軍で新設された高等軍事研究院(School of Advanced Military Studies)は、戦略と作戦術の次元に属する軍事学の問題を研究するための機関であり、現在に至るまで作戦術の研究の中心地となっています。ソ連・ロシア史を専門とする歴史学者のデイヴィッド・グランツ大佐は、そこでソ連における作戦術の変遷を教育しており、アメリカ陸軍で作戦の意義に対する理解を深めることに貢献した一人です。1986年版の『野戦教範100-5』が発表される頃には、多くの軍人が対ソ戦の結果を国境地帯の戦場における勝敗に委ねる考え方から脱却し、ソ連軍の部隊を正面だけでなく、縦深にわたって撃破する運用を模索するようになりました。

著者は作戦術に対する批判が皆無であるわけではないとも認めていますが、その多くは誤解に基づいていると反論しています。作戦術に対する批判の一つは、冷戦終結以降に注目を集めた対反乱、低烈度紛争、ゲリラ戦のような事態に対応する上で有用ではないという議論があり、それは独ソ戦のような大規模戦闘を伴う作戦でしか通用しないという考え方に依拠していました。著者はこれに対して作戦術の本質は具体的な戦術行動に規定されるものではなく、戦略目的を達成するために時間、空間の観点から部隊の行動を調整し、また各部隊の戦術目的を管理することであると述べています。したがって、作戦術は必ずしも大規模戦闘行動を前提とするものではなく、対反乱においても適用は可能です。結論において、著者は作戦術を考えることは、軍隊の戦略行動と戦術行動に一貫性、整合性を保つ上で常に有用であり、また必要なことであることを訴えています。

見出し画像:Photo by Tad Browning, U.S. Army

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