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40.遠くなった背中


 また忙しい日々に戻った。

 身体はきつい。でもあの無為な二ヶ月間の日々を思い返すと、今が「生きてる!」と胸を張って言える。

 ただ、あの二ヶ月は大事だったと凄く痛感した。この二ヶ月で皆はめきめきと力をつけていた。特に省吾と賢人の背中が遠くなったのがよく分かった。

 長距離の走り込みになると、省吾は亮先輩と大志先輩と競うまでになっていた。そういえば身長も少しだけど伸びている。その分パワーアップしたのかもしれない。

 賢人はスピードで力を発揮した。中距離なら先輩達の前を走った。

 その二人の背中を、遠くなった皆の背中を僕は呆然と眺める事しかできなかった。

 また振り出しだ。

 でも落ち込んでいる暇はない。四月になったら僕は二年生になって、後輩となる新入生がこの部に入ってくる。

 後輩達に情けない姿を見せるわけにはいかない。せめて後輩には自分の背中を追わせたい。

 僕はその一心で練習に励んだ。

 皆に追いつく為には、皆より努力をして、尚かつ成果のある練習をしないといけない。

 ただ黙々と走るだけでは駄目だ。もっと自分の身体の状態を見て、何が足りないのか知る必要がある。

 皆の走りを見て、自分の走りを感じて、その中で思った事は色々試した。今までやってきた筋トレもストレッチも、自分なりに体勢を変えていって効き目のある体勢を探した。休部してる間も筋トレとストレッチだけは欠かさずにやってきた。今では、筋トレとストレッチはやらないと気が済まない習慣になっていた。お蔭で腹筋は六つに割れてるし、開脚をしながら本を読むのもお手の物になった。

 大志先輩が話してくれた可動域の事も、今なら自分の身体を通して理解できる。盛男さんがよく言う、上半身を腰に乗せて走る話も、筋肉が付いたお蔭でその感覚が分かるようになってきた。

 背筋を伸ばして腰に上半身を乗せたイメージで踏み込む。一瞬、身体の全部の関節からグッと力が同時に入る。その全部の力が電気のように通って背筋に集結してくる。

 この瞬間だ。

 この時に足を蹴ると、身体の中で、ピン、と張った筋肉が鉄みたいに硬くなる。

 そう感じた時、強い力が地面で弾ける。

 脚は勢いよく開いてストライドは伸びた。

 この瞬間をたくさん感じる事ができると、皆の背中は近くにある。

 自分でも思う。速く走れていると。

 そして盛男さんが嬉しそうに褒めてくれる。「だいぶ掴んできたな」と。

 そんな事ができるのも、毎日コツコツと筋トレとストレッチを続けてきたからだ。

 力は付いている。でも、この力を持続する体力がなくなっている。

 強く走れても維持できる力がなかったらなんも意味がない。また県大会の二の舞になる。僕は肝に銘じて練習に取り組んだ。

 三月になって新藤が練習に復帰した。予定したより時間が掛かったみたいだ。ブランクがあるからどうなるんだろうと思ったけど、そんな心配は要らなかった。むしろさらに速くなった気さえする。まだ部に来るキャプテンを始め、皆が怪我明けの新藤に敵わなかった。新藤にとっては逆にいい休養になったみたいだった。

 それから少し経ってキャプテンが卒業した。

 箱根駅伝にも出た事のある有名大学への進学が決まっていたキャプテンは、卒業式が終わっても身体をなまらせないように練習に来た。「絶対に区間賞を獲る」と息巻いて、毎日練習に来るほど余念がなかった。そんなキャプテンならまたあの時のような興奮を見せてくれそうだ。新しい楽しみが増えた。絶対に頑張って欲しい。

 春休みになってもまだキャプテンが練習に来るので、盛男さんが強制的にお別れ会を開いた。締めの一言で「行きたくない!皆といたい!」とキャプテンは号泣した。先が思いやられる。

 四月。

 僕は二年生になった。新しいクラスには馴染みのない顔ぶれがたくさんあったけど、頼りの賢人がいたのでこの一年はもう安心だ。

 二人で喋っていると「よろしくな」と肩に強い力が降りかかってきた。驚いて振り向くとそこには正樹がいる。

「お前もかよ」

 賢人が嫌そうな顔をした。

「悪いかよ」

 正樹が賢人を掴んで軽々と持ち上げた。賢人は抵抗する間もなく、簡単にアルゼンチンバックブリーカーを極められた。

 今では賢人と正樹はもの凄く仲が良い。そんな二人の周りには今みたいに人が集まってくる。

 正樹はよく笑ってよく喋った。授業でもよく発言をした。最初は、振り返った先生が二度見するほど驚かれていたけど、今ではそれが当たり前になっていて、気がつくと、僕の後ろにいたはずの正樹の学力は今では遥か先にいる。テスト前になると教えを乞う人が集まるぐらいだ。それで賢人と馬鹿な事もして笑いを呼ぶ。

 そんな友達がいるのは鼻が高かった。また正樹と同じクラスになれたと思うと学校が楽しみだった。

 駅伝部の方でも新しい顔ぶれが見えた。新入生が続々と入ってきた。

 皆が驚いた。

 13人も入ってきた。

 新入生の自己紹介では全国男子駅伝の二人の活躍が触れられていた。

「新藤孝樹さんみたいに速くなりたい」
「卒業した松島良豪さんみたいに力強い選手になりたい」

 そればっかりだったけど、中には県大会前に走った島の駅伝大会での僕らの走りに触れる新入生もいた。その新入生には、僕らが雲の上の存在に見えたみたいだった。

 盛男さんが一年前に言っていた事を思い出した。

 初めて盛男さんと会った日、盛男さんは、何で県が全国とこんなに力の差があるのかに触れた。


 人気がなくて競技人口が少ないから。


 誰かがそう言った。盛男さんはそれに頷いてこう言った。

「お前らが活躍して、観ている人達に感動を持たせろ。そうしたら、こんな人みたいになりたい、と観た人達が憧れて、自ずと走り始めるはずだ」

 そして一年後、こうやって予想以上の入部希望者がいる。

 それは新藤と元キャプテンが全国の舞台で大活躍して、僕ら駅伝部が憧れられる走りを見せたからだ。一つ下の世代でこんなに来たんだから、その下はもっといるのかもしれない。そう思うと少しは県の長距離界に貢献できているような気がして誇らしい気分になった。

 さらにびっくりなのがあった。

 マネージャー希望者が五人もいた。全員が一年の女子だった。

 僕は思った。多分、皆も思っている。

 きっと新藤だろうと。

 新藤の女子人気は凄い。わざわざ練習を覗きに来る女子もいるぐらいだ。

 そんな新藤を、僕らは毎年恒例の対面式の部活紹介で、新藤一人だけで出させた。

 新藤だけで部の紹介を淡々と説明するだけの、何の面白味のない内容だった。でも容姿端麗の新藤は絵になったし、話す姿はこなれていて様になっていた。

 皆の視線を攫っていた。中には控えめな黄色い声も上がっていた。そんな美少年が「マネージャーも募集しているので見学だけでも来てください」と爽やかな笑顔で言ったら来るに決まっている。

「えー、私がコーチの武富盛男です。まず、初めに言っておきますが、君達一人一人を最高の力に伸ばす自信は・・・正直言って、ない!」

 新入生の前に立った盛男さんが声高々に宣言した。

 新入生全員が口を開けてポカンと盛男さんを見ていた。去年の僕達を見ているみたいで思わず笑ってしまった。

 なんやかんや大所帯の部になったけど、トレイル練習をした翌日に六人来なくなって、スピード練習をした翌日に三人来なくなって、とこんな感じで減っていって、気がつくと、たったの二週間で新入生は三人になっていた。

 人懐っこい颯太に、大人しめな大悟と、低姿勢な雄大。

 三人ともよく頑張っている。

 でも三人は突出した逸材じゃなかった。島の中学では速かったかもしれない。でも、三人はあくまで県内の中学生レベル。全国の中学生には程遠いレベルだ。理想の新藤の背中は果てしなく遠い。僕の背中でさえ遠かった。練習が終わると三人は死んだような顔をしていた。三人は最後まで走り切れなくてリタイアした。一年前の自分もこうだったんだなと思うと懐かしい気持ちになった。

 三人しか残らなかった事に「まだマシな方だよ」と新キャプテンの大志先輩が言った。

「来なくなった人達は甘く見過ぎていたんだと思う。そんな簡単に新藤になれるわけないよ。一緒に練習して気づいたと思うよ。理想のあまりの遠さに。それは俺がいつも痛感してる事だからね。ま、でもしょうがないよ。それでも残る人は、本気で駅伝をやりたい情熱を持っている人か、根性のある人だよ。もしくは諦めが悪い。それを考えると哲哉達の世代は一人も欠けてないんだから凄いと思うよ」

 大志先輩の時は六人の新入部員がいて、元キャプテンの時は五人いたそうだ。そういうのを聞くと少しは鼻が高くなる。まあそんな事を言ってる自分が辞めそうになったんだけどね・・・まあ、それはさておいて、肝心のマネージャーだけど、残念なことに全滅してしまった。本当に残念。

 多分だけど椿の存在の大きさに諦めてしまったんだと思う。新藤と椿が二人でいると、見た人全員がきっと思う。

 敵わないと。

 誰もその間に入れない。無神経な人でさえも入れない。

 二人はそれほど絵になっていた。釣り合いの取れた美男美女で、おまけに仲も良いから余計入れない。付き合っていると二人は公言していないけど、見た人はきっと二人が付き合っていると思い込む。

 これまでにも女子マネージャーの希望者は何人かいた。トータルすると10人近くはいたと思う。

 全員がそうだった。新藤と椿がじゃれ合っているのを目撃すると、本当に悲しそうな顔になった。そして誰かが言う。「あーあ、あの娘もダメだな」と。

 気づいているのかは分からないけど、本当に罪な男だと思う。

 結局、部員数は前年より二人多いだけの10人で落ち着いた。

 多くはなったけど力的には去年より数段も落ちた。やっぱり二大エースの一角がいなくなった影響は大きかった。

 新藤と張り合える人が誰もいなかった。誰もついていけない。皆が置いていかれた。

 今までは元キャプテンが新藤と切磋琢磨し合っていた。それが、今は二人の三年生が終盤までついていけるのがやっとだ。

 スピード練習でも新藤に対抗できる人はいない。情けない話だけど同じ人間じゃないと思ってしまうほど新藤と僕らの次元は違った。


 学習の森での走り込みには設定ペースがある。

 その設定ペースが僕にとっては天国だ。

 地獄の始まりは最後尾で走る盛男さんの声が合図となる。

「ここからフリーでいくぞ!」

 すると、目の前の新藤の背中がぐんっと前に伸びる。

 その圧倒的な速さに一瞬の抵抗心さえ出てこない。それは周りの皆も一緒だ。エースの背中はどんどん皆を置いて前を行く。

「おおい、少しは粘って見せろ。これだと新藤がつまらないだろ」

 そんな盛男さんの声を受けた僕らは、小さくなった新藤の背中が見えなくなるまでどうする事もできずに走り続ける。まだまだ新藤の背中は遠かった。


 あの背中に追いつける日は永遠に来ないだろうな。


 そんな事を思いながら、見えなくなった新藤の背中を僕らは追い続ける。


           つづき

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https://note.com/takigawasei/n/n0fab5aaa688c


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