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五月歌舞伎と切られの与三、あるいは役割を全うするということ

恒例の、今月の観劇録。
今月はご贔屓が休演なのでそんなに熱量高く観るものもないかなとたかをくくっていましたが、とんでもなかった。脈々と続いていくいつか線になる点を目撃したな、という印象。

まずは歌舞伎座午前の部、海老蔵さんです。

雷神不動北山櫻、思っていたより楽しめた。海老蔵さん、観客を喜ばせるわかりやすい間を作るように努力してるのかなと思った。もっと疾走感があるとよりいいんだろうなー。今月も可愛いまるるが観られて嬉しかった

終演直後にこんなツイートをしていました。
肌感ですが、海老蔵さんの出られる時って普段と客層がちょっと違うような気がする。
口上の中であらすじを説明してみたり、全体的にわかりやすさを意識しているのかなと思いました。それが成田屋としての考えなのか個人としての考えなのかはわかりかねるけれど、まあ大衆ウケを狙うのってある意味歌舞伎らしくもある。
鳴神の菊之助さんお綺麗でしたね。菊之助さんはもう少し色気方面に振り切ってもいい気がします。

午後の部はお目当ての、菊五郎さんの弁天小僧。この方の七五調の、耳に心地よい台詞まわしが本当に大好きなんです。江戸の風を一身に浴びるような爽やかさ、心地よさ。これは宝物だなあとしみじみ。
弁天小僧、小娘というかお嬢様に化けた小僧のくせに清潔な色気がありましたね。これがのちの正体をあらわすときにギャップとしてよく効いていました。「知らざァ言って聞かせやしょう」、もうこれだけで、会場が震え立つのがわかります。映えること。
屋根の上の大立ち回り、少しヒヤリともしましたけれど、お見事でした。口にはしないけれど一世一代なのでしょう、自分のお持ちのものを出し切る、見せ切る、という気概を感じました。いつかまた絶対に思い出す弁天小僧でした。


裏から写真を撮ってしまいましたが、コクーンも観に行きました。

去年の『桜の森の満開の下』でも思ったけれど、こういう歌舞伎(敢えて歌舞伎と言う)を観ると「歌舞伎とはなんだろう」と考えさせられますね。
今回は、音楽と大道具が違うときの違和感についてひしひしと感じさせられました。ピアノとベースも面白い試みではあったけれど、やはり私にとってはノイズになってしまう場面の方が多かった。そして歌舞伎の大道具、舞台装置の凄さを感じます。ただ既製品を持ってくるだけではなくて、舞台の上で動かしてしまう、それもあんなクオリティのものを……。弁天小僧の屋根の上での立ち回り、からの屋根の回転を観たので余計にそう思ったのかもしれません。

『桜の〜』のときにも思いましたが、七之助さんは抑圧からの解放と死への希求が似合う。まだなんの苦労も知らないお店のお坊ちゃんだったときの与三郎が、無邪気な幼い声で「死にたーい」と言ったとき、心臓が跳ねました。そしてどこまでも落ちていく与三郎。希望は、絶望のための伏線でしかない。

梅枝さんのお富も、「深川の芸者」というのに不思議なくらいの納得感があるほどお綺麗でした。ただ、去年の七之助さんの夜長姫を観てしまったからか、ファムファタル感がもっとあったらいいなと思ったり。
お富は、一人では生きていけないから男の人に縋る弱い女、と見えがちだけど、過去の男に何が起きても気にせず自分の保身を選ぶ薄情さ、もあると思うんです。男を見る目、あるいは男運のとことんない女に振り回される男がどんどん落ちていく話だと思うので。それをただの話の展開にしてしまうか、お富の引力のようなものにするかで、お富という女の描き方が変わるのではないかなと。
そういう意味で、今一番お富をやらせたらファムファタル感を出せるのは七之助さんかもしれないですね。もちろん無理な話ですが、七之助さんによる与三郎とお富の一人二役早替わりを観てみたいなあ。

菊之助さんも七之助さんも、立役も女方もできる器用な役者さんなので観応えがあります。それぞれの得意な女のタイプも違うのが面白い。

さて来月はお待ちかねの博多座遠征です。すごいお席のチケットが届いてしまったので今からそわそわしております……。

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