「こころ」とはなんだろう

 突然ですけれども、こころってなんでしょうね。思いやり、慈愛、喜怒哀楽の感情、色々あると思いますけれども、「THIS IS ココロ!!」といえる物質があるわけでもなく、そういう臓器があるわけでもない。しかし世界中の言葉の中にいわゆる「こころ」という単語が存在するんだから、なんとなくぼやっとした感じでも「こころとはこういうもの」っていう世界共通の認識があるんだと思う。凄く不思議ですよね。

 じゃぁ他の動物、例えば猫とか犬とかにも「こころ」はあるだろうか。と考えると、恐らく「感情」はあると思うよね。喜んだり、泣いたり、寂しそうにしたり、怯えたり、甘えたり、そういった喜怒哀楽は確実に存在する。けれども、映画を見て号泣したり、音楽を聞いて楽しい気持ちになったり、小説を読んで膝を打つ事は無い。それらは単純に人間が知的動物として優れているから、で済ませられるものなのでしょうか。サルやチンパンジー、イルカやコウモリといった他の動物よりも高次元な機構を人間が持っているから??

 人には言葉がある。文字があって、お喋りが出来て、書き残したり、伝達する事が出来る。他の動物にも言葉らしきものはあって、例えば鳴き声とか身体を叩く音やジェスチャーで感情や求愛とか、何かしらの意思表示をする事はある。けれども、それらは一次的な物であって人間ほど高次元じゃない。キャットフードに好みがあって、こっちは好き、こっちは嫌い、とかは確実にあるけれども、「このキャットフードの香りが若干嘘くさくて、なおかつ塩味がキツイんだよな。マヨネーズとか入れたらもうちょいマイルドになって食べやすくなる気がするんだけど。」みたいに猫は思わない。あくまで一次的なもの。だから人間でいうところの「言葉」と、動物の「言葉」は意味合いがだいぶ違う。

 好き、嫌い、美味しい、美味しくない、快適、暑い、眠い、眩しい、だるい、楽しい、怖い、空腹だ、なんか調子悪い。

 甘い、しょっぱい、香りが良い、食感がいい、身体によさそう、おしゃれ、かっこいい、模様がいい、色味がすてき、あの人に似合いそう、味が想像できる、羨ましい、すごい、憧れちゃうな、将来が不安だな、うまくいくだろうか、これ大丈夫かな、薬を飲めばなんとかなるだろうか、めっちゃだるいけど仕事行かなきゃ。

 言葉は思考を、より高次元な物にする。言葉がないと抽象的な考え方や物事の仕組みや根本的な構造を想像したり、推測する事が出来ない。図形を書くにも、計算をするにも、メモをするにも、文章を書くにも、言葉が必要。言ってみれば、コミュニケーションとしての言葉じゃなくて、思考のツールとして言葉を持っているのが人間なんだ、とも言える。考えるための道具として、言葉がある。これは実はとっても凄い事。

 となると「こころ」は言葉が生み出した概念だとも言える。猫は天気が良ければ「気持ちええにゃ~」と外へ飛び出すけれども、「天気が良くてココロが踊るぜ、ベイベ!!」とは思わない。

 これがいわゆる「こころ」の正体。たまたま発達した咽頭を持ったわたしたちは、色んな声色を出す事が出来た。歯や舌を使って音色を変えたり、喉の開け締めで音程を付けたり、さまざまな表現を「声」として発する事が出来た。それによって「コミュニケーションのための言葉」が生まれた。その言葉を記すためのツールとして「文字」が生まれた。文字はさらに倫理的な思考をするために大きく貢献をした。そして言葉は「思考を手助けするツール」としても大きく発展した。その結果、人は抽象的な表現や曖昧な表現、喜怒哀楽を超えた高次元な感情や思考回路を手に入れた。こころはその中の一つ。

 その「こころ」というのは良い面やステキな面もたくさんあるけれども、こじらせると脆く崩れてしまう事も少なくない。不安や責任感、物事を我慢したり気持ちを押し殺したり、疲れてても無理をしたり、傷つけたり傷つけられたり。こじらせ続けると自分自身をも否定して、自ら命を絶ってしまう人もいる。生き物としては極めて不自然な事なんだけれども、そのくらい「こころ」というのは人にとって大事なものだったりする。

 人間は凄い。知れば知るほど、凄い。もちろん地球規模で見たら、よく言われる様に地球にとって人間ほどの害虫はいないでしょう。人は悪い意味でもすごい。すごすぎるほど。だからそんなパワーを、「こころ」というものを、なんかいい感じの事に使えなかなぁと思う近頃なわけです。


おわり

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