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そいつのささやかな不幸を祈って叫ぶ夜がわたしたちには必要

 このクソ世界で、優しさや控えめであることは基本的に仇です。優しさの類を重んじると悪意の矢面にいつも立たされ、基本的に言われっぱなしです。優しさは時々「ガチ」で報われることもあるとて、天秤にかけてみればとてもイコールにはならないと思う。そもそも見返りなど求めていないし。

 また言葉を飲み込んでいる。のに、お前は言いたいことを全部言っている。何か思ったときに、誰に対してもすぐに意見を表明できる人とそうでない人がいるわけだが、別に前者がいいわけではないし、後者に属する人が前者に属そうとするのはこのクソ世界によってアイデンティティを破壊されているも同然なのでマジでやめましょう。あなたでは、なくなる。その沈黙はきっと今までの人生でなんとかあなたが正気でいるための術だったのだから、言わなかったことはあなたそのものなのだから絶対に失わないでほしい。

 でもね、やられっぱなしでいる必要は全くないんですよ。毎度毎度傷つく必要はマジで全くない、相手が思いの丈を我々という対象にぶちまけてきたことで満足したのと相応に、こちらもまた頭の中でぐるぐるめぐるイライラや悲しみを何かしらの形で昇華させる権利があります。権利というか、昇華させないと人生はクソです。権利を叫ぶことですらなく、人生をクソにしないための検討。冷静な策。世界はいつだってイーブン。これは自戒を込めて。自分の中で感情殺してしまっても何も良いことない。対処、していかねばならん。

 さてこのクソをどうすれば解消できるのか。例えばオリックスの平野佳寿みたいにホームラン打たれたあとに笑ってみせる、いわゆるアンガーマネジメント、はあんまり意味なかった。6秒ルールとかあるけどあれはむしろ「言って発散してる」側が抑制するためのもので、自然に湧き出る悲しみの類には効かない。効くかもしれないけど、さらに抑えこめと??用法が違う。

 勿体無いくらい頭の中が忙しなくなることに悩んでる。特にここ最近、おそらく前々職の課長に退職を申し出た時理不尽にブチギレを食らったときから「信じてたのに裏切られたの!」状態になって心のどこかがちょっと壊れた。そういう怒りや悪意の類を前にしたとき、というよりその後数時間、脳内で様々な「存在しない可能性」や言葉が浮かんでしまう。終わったことなのだから気にしなきゃいい、はずなのにそれを自然処理しにくくなっている。無駄に(無駄じゃないけど!)物語を書いてきたせいで無数の「あったかもしれないシチュエーション」が浮かぶから、自身の創造性を恨むことさえあった、書きたい小説は全然書けないのに。

 昨日また似たようなことが起こっていつもの通り渦に陥りかけたのだけどもうさすがに改善したい、なんでお前は発散してこっちは受け止めるばっかりなん?でも暴言を吐くのは負け、「死ね!」とひとり叫んでも満たされん、本当にため息をつきながらシャワーを浴びていたらふと、我が家で伝統的に引き継がれた(母から子にのみ)しょーもない悪口、「机の角に小指ぶつけろ!」が浮かんできて、それを口にしてみたのでした。その後も次々、そいつの人生になんら影響を及ぼさないが、確かに悪口、というレベル感のフレーズが次々湧いてくるのです。坂元裕二作品の見過ぎなのか。

・テーブルの角に小指ぶつけろ(これが、願うに相応しい不幸のレベル感の目安です!)

・ボディーソープで頭洗え

・ズボンのポケットにティッシュ入れたまま洗濯機回せ

・パーカーの紐偏れ、願わくば抜けろ

・古本屋で買った本が既に家の本棚にあれ

・ララランドのつもりでバビロンIMAXで観に行ってゾウにウンコぶっかけられろ

・買ったばっかのディフューザー床にこぼせ

・フォーリミと9mm勘違いして語って恥かけ

・自販機の裏に100円落とせ

・大声で歌ってる途中で後ろに人いる事に気づけ

・自動ドアに無視されろ

・コインランドリーに乾燥機かけにいって、帰ってきてもう一回洗濯しようとしたらコインランドリーにあるカゴに洗濯ネット忘れた事に気づけ

・「こちらが内側」って書いてあるマスク、その面表になったまま出勤しろ

・鍋の絹ごし豆腐5回くらい取り逃せ

・牛乳飲んだコップ洗い忘れてコップの底に跡残れ

・カーテンの丈間違えろ

・宅配ボックスのつもりで置き配指定して不在票入れられろ


 アホらしくなってきますよね。こんだけ思い浮かべてると、脳が次の悪口を考えることに夢中になっていって、ある意味これは創作活動で、脳も活性化されくだらない怒りと悲しみはどこか遠のいてもはやただただ楽しくなってくる。やっぱり言葉っていつも味方だなと思います。

 わたしたちは内省できる。でも悪口くらい言わないと、どこかへ「自分にとって適切な形で」吐き出さないと当たり前のように病みます。ただ悪口を言うことがしんどい場合もある、のでささやかな不幸が起こらんことをめちゃくちゃ祈ればいい、切実に。いい人でいることは容易ではないけど、まあこちらも好き放題楽しくやりましょう。せめてアイデンティティの領域くらい、誰かの我慢で成り立つ世界なんてぶっ壊れるべきだ。「お前が我慢しないならこちらもそれ相応にやるが?お前は気づかんけど」と。

 そのための土壌は、あなたが腐るほどやってきた内省で醸成しているはずです。もう一度言います、口をついて出るささやかな不幸が相手に降りかかることを願い、シャワー浴びながら叫びましょう。クソリプには逃げないでね、ということは言わんでも分かると思うけど。

 おそらく、根本的には何も解決してない。でもほとんどのことは根本的に解決できない。だから中庸、わたしたちはわたしたちなりにそういうのと付き合っていく必要がある。その一翼を担えるかもしれない、しょうもない悪口のススメ、でした。


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