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三宅唱 『夜明けのすべて』 -他人の坂を上って下ってみる-

 自転車から見る光景は特別だ。サドルに跨ったゆえの視線の高さ、15km/h前後の独特のスピード、それゆえの絶妙な向かい風。マンションが木になって、電信柱になって、ネットフェンスがしばらく続いて、電車がわたしに目もくれずにゴオオと音をたてて追い抜いていってしまう。その電車を遠くに見やったところで坂を上り終えていて、ふと振り返ると富士山が見えていたりする東京の空。

 坂はアップダウンを繰り返す。まるで彼らのままならない体や心の調子のように、上がったり下がったり。山添くん(演:松村北斗)がまたがる白い自転車は、藤沢さん(演:上白石萌音)から譲り受けたものだ。16mmフィルムを通して映し出される穏やかな映像の中で、その自転車はあるタイミングで陽の光を受けて発光した。二人にとってその自転車があって良かったなと思った。

 『夜明けのすべて』は "いかにして他人に寄り添うのか" つまるところ "ケアすること" についての映画だった。重いPMSを抱える藤沢さんと、パニック障害を患った山添くん。二人は同僚だが、無論恋人ではないし、友達というには敬語が挟まる回数が多い。それでも、いわば "他人" の距離感でも彼女らはお互いを重んじている。それは二人に限った話ではなく、この映画の登場人物はみな、その敬語一つ分の距離感を、優しさをもって他人に接している。

 山添くんは、自らが通っているメンタルクリニックの先生に尋ねてPMSについて学んだり、「ここで少し怒っててください」と自分なりに藤沢さんへできることをしてみようとする。藤沢さんもまた、"山添くんが乗れない" 電車に乗りながらパニック障害のことを調べたり、「思い出すの辛い?」と聞きつつもできる範囲で山添くんの話相手になったりする。

 また、山添くんが「栗田科学」に入社したのは前職の上司だった辻本(演:渋川清彦)の紹介によるものだったことが明らかになるが、そもそも栗田科学の社長である和夫(演:光石研)と辻本が知り合ったのは自死遺族の会だった。ふたりもまた、他人として助け合うことを経験している。「自死遺族の会」ではトーキングスティックとよばれる棒を持っている間は、持っている人だけが話す、そのほかの人は割り込んで発言できないというルールがある。それでも "話せたこと" で救われて一歩進めたのだと語られる描写もある。

 山添くんは序盤エアロバイクに乗っていた。しかしエアロバイクというのはどれだけ漕いでもどこへも行くことができず、あまりにも残酷なメタファーになりうるのだが、もがいた結果維持できた体力、無意識に染みついた "漕ぐ" 行為が先の山添くんを走らせあの景色を見せたのだとしたらなにも絶望だけではない。前に進まずとも前に進む力を携えている。

 とはいえ当時の山添くんにとっては辛い時間で、そのさまを彼の恋人でも友達でもない藤沢さんは無論知らないわけだが、鈴の音で閃いた彼女は "偶然" 自転車を譲ることになる。そしてそれに乗った山添くんが、ほんの少しではあるけれど藤沢さんを助ける。二人はインターフォン越しでしか会話しないのだが、かつて自らが譲った自転車で去りゆく山添くんを藤沢さんはベランダ越しに見ていたはずだ。この映画で描かれる助け合いというのは、自転車に跨って他人の坂を上ってみたり下ってみたりするような行為に近いと思う。

 "パニック障害" や "PMS" という言葉でラベリングするだけでは、その人の苦しみを測り知れない。山添くんは "地震や停電とかは別に大丈夫" だけど電車には乗れない。それぞれにそれぞれの苦しみがあるという、最終的には至極当たり前な "人はみな違う" に帰結するのだ。違うなら違うなりに、他人の変化に少し興味を持って、できる範囲のことをしてみることで、少なくとも "出会えてよかった" と思える時間が生まれるのだ。


※節々からこぼれるキャラクターの愛おしさもまた、今作を比類なき作品たらしめている。藤沢さんはいつも「よかったらどうぞ~」とお菓子を配っている。それは一見、PMSの症状で迷惑をかけてその埋め合わせをするという経験がそうさせているのかとも思わせるが、母親から藤沢さんへのものの贈り方を見ていると、単にそうやって育ってきた、"獲得してきた"習慣なのだと感じさせられる。ダンボールいっぱいの贈り物、サイズに合わせて作り直された手袋…お守りさえ "余分" を買ってしまう彼女(このシーンでなぜか泣いた)が山添くんのお菓子を一気に掻き込む姿があまりに愛おしい。

※これは2回目に鑑賞しているときに気づいたことだが、栗田社長が山添くんのヘルメットをかぶって嬉しそうにしているシーンは、自死遺族の会の卓球シーンとつながるかもなと思った。あの時栗田社長は一人ちゃんとしたジャージを着ていて、「やるからには」という彼元来の気質が伝わってくるのである。山添くんも藤沢さんにスマホを届けにいった段階ではヘルメットを持っていなくて、そのあとに買ったことが示唆されている。もし、社長が山添くんに自分と似たところを発見したのだとしたらうれしい。

※テーマをあの場面に設定したからあまりプラネタリウムや宇宙のことについて言及できなかったけどこれもまた素晴らしかった。夜が長いからこそ同じ時間を過ごしている誰かのことを想像できる、どんな苦しんでいる状況でも平等に夜明けは訪れる。人生レベルででっかく「よっしゃ、こっからが夜明けじゃ!」と設定して頑張るのって結構孤独なんですよね、それって自分のペースでしかないから。でも時間とか太陽が沈んで上ることって平等だから、実際の夜明けのことを思えば一人じゃないんですよね。プラネタリウムは原作にはなかった要素で、でもこの作品の映像化には絶対必要、ドームの中と外だけど二人が過ごした期間がちゃんと救いで、二人を気にかけていた人が一堂に会する機会になっていて、山添くんの後輩も来ていて、もしかして言えたのかな、とか、言えてなくても今の自分を見せようと思えたのはこの時間のおかげで、とか思ったらもうとってもいいシーンで…


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