僕の26年間を振り返ってみた。学童期編part1

現在、26歳。獅子座。
東京生まれ、東京育ち。生粋のシティーボーイ。

ふと長い人生の道の途中、若者と大人の岐路に立っているような気がして、この26年間の人生を振り返りながらつらつらと何かに書き殴りたい。そんな思いでここにいる。自己分析的な目的もあるからこれを書き終えた後に、僕の26年間の中で芯となる考えや何か価値観的なものが見つかればいいなって思ってる。

今回は学童期編のpart1を書いていく。
ここら辺はだいぶ記憶も鮮明だから3年生くらいまでを振り返っていこう。

学童期編part1

ピカピカの1年生で入学した小学校は僕の家の向かいにある比較的綺麗な小学校。どうやら改装して2号館もできて施設としては充実している小学校だった。確か出席番号2番。前には青山というのっぽの人が座っててぺちゃくちゃ喋ってあっという間に仲良くなったのを覚えている。小学校の時って中学生みたいに出身校が同じやつと最初つるむみたいな感じの雰囲気がなくてマジでまっさらなキャンパスに絵を描く的なコミュニティだった。初めの教師は男みたいなムキムキの女教師。マジでガミガミうるさくて「うわ〜女って怖い人いるんだ…」ってここら辺で知る。小学生に上がったばかりの時にどういう流れだったかは忘れたがやたら習い事をさせられた。サッカーに水泳、空手。学童に行ってた自分からしたらまーまーハードワーカーな小学生だった。まあでも当時からスポーツできるやつみたいな見られ方はしたからモテはしていた記憶がうっすら。片親だったこともあり夕方まで学童に通っていたがここがまーそこそこ楽しかった。兄も学童にいっていたんだけど、学童は3年生で卒業するシステムだったから施設の児童支援員の人から知ってる顔扱いされたし、学童で遊んでいる兄とその友達の人たちに構ってもらえてコミュニティ的にすごい恵まれていた。「年上と遊んで楽しい。」っていう体験が日が経つにつれて限られた人しか出来ないなって思い始めて年上と遊ぶことへの優越感に近いものを感じるようになってきた。そこらへんから年上に構ってもらうことが好きになっていった。わりとやんちゃな年上が多かったから早くもここら辺でいわゆる粋ることへの憧れがすごく母親にたてつくことが多かった気がする。ただ片親ということもあり周りの家とは違う環境だし、あんまり周りと同じように生意気なことはできないなって幼いながら悟ってもいた。
小学校ではみなみという少女に一目惚れしていた。マジで可愛かったか好きだったかは覚えてないけど周りにたきつけられて両思いみたいな関係性をここで初めて認知するようになった。彼女は天真爛漫で目が大きくてとにかく誰にでも優しい奴だった。確か駄菓子屋とか公園とかで2人で何度か遊んだな。幼児期からヒーローや主人公的な存在に対する強烈な憧れがあった僕は、好きなこと両思いでスポーツもやってて顔もよくてマジで主人公やんこの人生!って思いながら生活してた。ただ表で周りに見せるいわゆる“イケてる俺”と家での厳しい教えのもと育った“内気な俺”がこの頃から形成され始めた。内弁慶と家ではよく言われたものである。水泳は小学2年生くらいで行かなくなり、サッカーと空手に没頭してた。特にサッカーは入っていたクラブチームが地域で大弱小チームだったから正直サッカーはさほど楽しくなかったけど、スポーツやっている俺というブランドが手に入るのと兄や兄の友達もおり楽しかったから成り立っていた。がしかし、年上の知り合いが続々と辞めていく中で第弱小チームということだけが残ってしまい、また小2くらいの合宿でチームメイトの母親によくわからん理由で激怒されたことをきっかけに練習に行きたくなくなった。この頃から自分に牙を剥くやつとは関わりたくなくなった。まあシンプルに恥ずかしかったんだろうな。イケてる俺が怒られるなんていう事象が(笑)
その頃くらいにアメリカに行ってた同級生が帰国してイケイケにバスケという文化を俺に吹き込んでバスケへと転向する。
この頃空手ではセンスが爆発してた。同い年の他校の奴らと仲良くもライバル的な関係性で競いあっていた。空手は上手さが帯の色に比例する。俺は同い年の中でも帯の色が上がるの早く小学3年生時の地区大会で3部門で総合優勝してまさに輝かしいスタート街道まっしぐら状態だった。他の道場の同い年の人からも一目置かれて高いの対戦表で俺の名前があると廊下で声かけられたりして人より優れることの幸福感を実感した。なんかこう人に必要とされるというか一目置かれることってこんなに自信がわくんだって思えた。今までモテるだのなんだのっていうのは目に見えない自信だったけど明確に成果が出るとまた違った自信がついた。
ここら辺から人よりセンスがあり、なんならセンスだけで成り上がれるまさに主人公やんおれって気持ちがいっそう増していった。
「なんでそんな上達したのか?」今振り返ると、上手い人の真似をする精度とスピードのセンスが結構飛び抜けてたのかもしれないと思う。幼児期から人の真似をして疑似体験すること、それを見てもらうことに幸福感を感じ自己肯定感も上がってたなあと振り返るとその成功体験が空手でも活きたんかなあと。当時イケてる一個上の先輩と社会人の先輩の動きや口癖とか癖をとにかく完コピして自分流に落とし込んでいく。その様を俯瞰して「うわ〜俺かっこいいな」みたいな鬼の自己満精神が成果に繋がっていたように思う。

ここらへんまでが小学3年生までに自分。
正直、特に大きな挫折もなく伸び伸びと生きている感じ(笑)

でわでわ!

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