たき

1998年 兵庫県加古川市出身

たき

1998年 兵庫県加古川市出身

マガジン

  • 【自主ラジオ】『滝と小島の踊り食い』

    自主ラジオを載せています。大学の時からの友人と日々の生活から考えたことを楽しく話しています。是非、聴いてください。Spotifyからも聴けます。滝と小島の踊り食いと検索して頂ければ出てきます。そのホームの所にGoogleフォームがありますので感想、質問などドシドジ送って頂けるとありがたいです!

  • 日記エッセイ

    大学を卒業した後の居候ニートの時の出来事を書いています。

  • 日記エッセイ

    5年通った居場所ボランティアでの出来事を書いています。

  • 日記エッセイ

    悲しいことや嬉しいこと、様々なことが起きた家族について書いています。

  • 日記エッセイ

    大学時代の主に映画サークルで起きた出来事を書いています。

最近の記事

  • 固定された記事

『本棚は生き物である』

私は定期的に本棚の写真を撮ってる。本棚が違う様相になっているなと思う時があるからだ。 今回は5年分くらいの本棚の流れを思い返してみる。 高校生の頃は、本を買う習慣も借りる習慣もなく、本=勉強のイメージが強くて、あまり読まなかった。実家にも本はほとんどなかった。実家にはこち亀、稲中、浦安鉄筋家族、ドラゴンボールがある家だった。それを実家でよく読んでいた。 そんな私は、大学生になった。学生寮に住むことになり、そこには大きな本棚が元から部屋にあった。 それで実家から、テレビ

    • 『ヤングケアラーと呼ばれても』

      「最初の記憶」 ある言葉に大学3年生の時に出会った。Twitterを何となしに見いていた。すると、「ヤングケアラー」という言葉がタイムラインに流れてきた。

ヤングケアラー???

横文字で胡散臭くあまり良い印象ではなかった。気になってヤングケアラーを調べた。ヤングケアラーとは、病気や障害のある家族や親族の介護や面倒などの大人が担うようなケア責任を引き受け、家族の世話全般を行っている18歳未満の子どもを指す意味らしい。僕の母はパニック障害、父はギャンブル中毒だった。 僕は

      • 『居場所ボランティアで見たもの』

        「不意な始まり」 大学1年生の頃だ。本格的な夏が始まろうとしていた。急にパン屋のバイトがクビになった僕は途方に暮れていた。同じ映画サークルで同級生のKの家で「次のバイトどうしようかなー」と言っていた。 そんな僕にKが突然「遊ぶだけで、2000円貰えて夜飯食えるバイトあるけどする?」と聞いてきた。 「えっ、そんなんあるの?」 「うん、今からできるよ」 僕は手持ちのお金もなかったし、何より飯が食えるってのが響いた。何もわからないままに、とりあえず「する」と言った。「じぁ

        • 『少年時代の面白い日々たち』

          こんにちは、タキと申します。小学生の時に起きた面白かった出来事を思い出しながら書いてみました。是非、読んで頂けるとありがたいです。まだまだ思い出す出来事があるのでどんどん書いていきたいと思っています。 「転機??Aとの出会い」 小学4年生の時である。忘れもしない出来事が多目的教室で起きた。理科の授業でペットボトルロケットを作って飛ばす授業中のことである。 同じクラスにAという男がいた。Aは図体がデカく運動神経発群で、クラスの、いや学年の番長的な存在だった。 僕はペット

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        『本棚は生き物である』

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        • 【自主ラジオ】『滝と小島の踊り食い』
          14本
        • 日記エッセイ
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          3本

        記事

          書くラジオ「自分はありがとうを言えない人だった」

          僕は24年間ありがとうを言えなかった。その話をラジオでした、今回はそれをまとめて書いてみようと思う。 僕がありがとうを言わない理由しては、ルソーの言う所の自然状態を志していた所がある。枠組みを超えて飛び交う世界、自然な邂逅と振る舞いを僕は夢想していた。それ故に各々がありがとうなどと言わないでもいいという思っていた。 つまり、僕はありがとうと思われなくてもするよと思ってる。ありがとうを言って欲しいという見返りを求めてやってるんじゃないんだから、ありがとうと言っていらないと思

          書くラジオ「自分はありがとうを言えない人だった」

          書くラジオ「自分など置き去りにして話すこと」

          僕は大学の友人の小島とラジオをしている。内容としては、主に僕が日常の中の出来事から考えたことを話している。 前回のラジオで僕は小島に「お前最近暇だろ?」と言われた。小島は僕のラジオでの話でそう思ったらしい。確かに、僕は現在、暇で時間がたくさんあった。時間がある分悩んでしまい、独りよがりに頭でグルグルと考えてしまっていた。そんなグルグルになって考えてしまってることも小島に指摘されたのである。 僕はラジオで話す時は、普段の生活をそのまま出しているつもりはなく、大枠だが頭でまと

          書くラジオ「自分など置き去りにして話すこと」

          書くラジオ「僕はこの世界に悪者がいる物語を見ている」

          僕は大学からの友人とラジオを録っている。そこで、僕は現状の自分への不満から資本主義のせいにして、資本主義を変えようと話していた。なぜこうも、自らの感情と向きわず、自分の不満を外部の要因のせいにするのかを考えていた。 そんな時に、最近読んでいる、國分功一郎の『目的への抵抗』という本に興味深いことが書いていた。 この本は、目的は絶対に必要であるけれど、目的のためだけに生きるのではなく、その目的の過程で逸脱したり、脇道に逸れたり、目的を超えてしまうような遊びが大切であることが書

          書くラジオ「僕はこの世界に悪者がいる物語を見ている」

          書くラジオ「自分が上手くいってないだけなのに何かのせいにする自分に腹が立つ」

          僕はラジオで現在ある基準や主義やルールを変えようと話すことが多い。 今回のラジオではざっくりと資本主義ではない主義は可能なのか?と言うことを話していた。しかし、内容が薄く、ただ今あるものがダメだと言ってるようだった。ラジオの相手である友人の小島にも解像度が低いと言われた。 僕は、現在、自分の状況に上手くいってないと感じている。売れてない、金もない、したいことが出来てない、他人の生活が羨ましく思えている、かつ、売れてないため時間はたくさんあり、SNSなんかで他人が楽しそうな

          書くラジオ「自分が上手くいってないだけなのに何かのせいにする自分に腹が立つ」

          【自主ラジオ】滝と小島の踊り食い 第7回

          35分 お笑い養成所に行く中で、自分との欲求の違いを見て、自分が求めているものとは一体なんなのだろうかと悩んでしまう回。自分の欲求や欲望について自分はまだ全然何も分かってない話。 23分 資本主義以外の主義を複数持つことは可能かと話すが、話は自らの現状の話へと繋がっていく。ある若者のドキュメンタリーな回 25分 昭和の話をしているが、これもまた話は自らの現状の話へと繋がっていく。身から滲み出る血と涙の話じゃない話はただ空虚に終わる。そんなことに気づき嫌気が差す、ドキュメン

          【自主ラジオ】滝と小島の踊り食い 第7回

          書くラジオ「僕は学校に来るヤンキーになる!」

          僕はよく落ち込む、そうなるからこそ、そうらないためにあれやこれやとラジオで話している所もある。ではなんで落ち込むのかというと、こうするべきとか、そうしなければならないなどの規範性に捉われているからである。 僕たちはすでに存在している規範性によって生じる評価軸の中で生きていて、日々それによって他者からの評価を下されている。その規範からなる評価軸が自らでは変え難い場合にどうすることも出来なくて落ち込んでいくのである。基本的に多くの人はそこを割り切り、切り替えて、自分のできること

          書くラジオ「僕は学校に来るヤンキーになる!」

          書くラジオ「誰かせいにするのはやめて、自分の話をしろって!」

          大学の頃からの友人とラジオをしている。そんなラジオで僕は、自らが始めたラジオなのに誰かのために話そうとすることが多かった。一見すると誰かのために話すとは良いことのように映るが、そこには不安から来る自信の無さが潜んでいた。それに対して友人からお前の話をしろよ!と指摘された。 自分でも何かのためにと言っているが、何かのせいにしているとは薄々気づいていた。 そこには優しさに見せかけた保身がある。優しさを担保にする保険は簡単で楽なのである。基本的に優しいってのは咎められないからだ

          書くラジオ「誰かせいにするのはやめて、自分の話をしろって!」

          書くラジオ「誰なのかより先に声があるということ」

          僕は大学生の時からの友人とラジオをしている。日常生活を過ごす中で考えたことを話していて、第6回まで進んでいる。そんなラジオは現在、僕のインスタで告知をしていて、僕の事を知っている人が聴いてくれている。ありがたい限りである。そんな中、最近は、僕の友達がこのラジオの存在を自分の友達に紹介してくれていて、僕のことをほとんど知らない人が聴いてくれているらしい。ありがたい限りである。 その人たちは得体の知れない人たちの会話を聴いてることになる。誰で、何者であるかがわからない人の声だけ

          書くラジオ「誰なのかより先に声があるということ」

          書くラジオ「悩むことは贅沢で落ち込んでる場合じゃない」

          いつか世界が理路整然として合理化に向かうなら、悩まなくていい時代がやってくる。その時はもしかすると悩む事は贅沢で、嗜好品みたいな扱いになっているのかもしれない。 僕はよくそんな悩めるなと言うくらい悩むことが多く、ラジオでも僕の悩みは尽きない。今回は悩むことについて書いてみる。 是非、この文章を読む前後で色んな悩みを話しているラジオを聴いて頂けると幸いです。spotifyのこのラジオのチャンネルからお悩みも募集しています。 自らの健康を害して吸うタバコのように、自らの時間

          書くラジオ「悩むことは贅沢で落ち込んでる場合じゃない」

          書くラジオ「今に集中して行為するには?漫才をしていて思ったこと」

          僕は、今、この瞬間に行為しようとする時、これをしてていのかな?こんなレベルでやったらダメかな?もっと別の選択肢があるんじゃないかな?などと考えてしまい、今に集中出来ずに、行為することが出来ない時が多々ある。だから今に行為することについて考えてきた。そんな僕は昨年の4月からお笑いの養成所に通い、漫才を始めた。漫才をする経験の中から、今に集中して行為する事について分かったことがある。それについてラジオで話していた。今回はそれを整理して書いてみようと思う。 是非、この文章を読む前

          書くラジオ「今に集中して行為するには?漫才をしていて思ったこと」

          【自主ラジオ】滝と小島の踊り食い 第6回

          41分 タキのお笑い養成所の話から始まり、ラジオの感想からこのラジオでしたいことを話す、お便りを読んでみる回 37分 電車で起きた出来事から、日常生活のコミュニケーション不足の話になる、その対策としてコミュニケーションの中でのルーティンを決めてみようという回 23分 時間があり過ぎてもなさ過ぎても時間的安全性はないと言う時間との付き合い方について考える回、時間に対しての具体的な向き合い方、時間の多面性について話 1時間41分 長尺用  第6回をまとめたものです、移動の際

          【自主ラジオ】滝と小島の踊り食い 第6回

          書くラジオ「本屋を何周もすると生きれるね!」

          本屋を何周もしたら探していた本が見つかった。3週したら見つかった。ただただそれだけであるが、僕はこの経験は生きる上でとても役に立つんじゃないかと考えている。僕は自らに言い聞かすように、このことをラジオで話した、それを踏まえて文章にしてみた。是非、この前後でラジオも聴いてみて欲しい。 生きていると、出来ないことで悩むことがある。その出来なさはもうすでに出来てる人との比較によって、より出来ない方向へと進んでいき、出来ないと思い込み諦めてしまう。 僕は自分の人生を出来ないって言

          書くラジオ「本屋を何周もすると生きれるね!」