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書くラジオ「悩むことは贅沢で落ち込んでる場合じゃない」

いつか世界が理路整然として合理化に向かうなら、悩まなくていい時代がやってくる。その時はもしかすると悩む事は贅沢で、嗜好品みたいな扱いになっているのかもしれない。

僕はよくそんな悩めるなと言うくらい悩むことが多く、ラジオでも僕の悩みは尽きない。今回は悩むことについて書いてみる。

是非、この文章を読む前後で色んな悩みを話しているラジオを聴いて頂けると幸いです。spotifyのこのラジオのチャンネルからお悩みも募集しています。

自らの健康を害して吸うタバコのように、自らの時間を害して、あーでもない、こーでもないと悩む。図式化して優先順位をつけたりしたほうが先に進めるのに答えのない問いに向かう。

悩むとは一定の時間を待つことであり、余地を生み出すことのため物事は解決しない。解決を先延ばしにして目的に抗い、答えを拒む事で明確な理由がなく存在する状態を一時的に耐えている。

解決しないのに僕が悩むのはその余地の中で別の何かがやってくる事に賭けているからである。それが悩むことの魅力であると思う。もちろん何もやってこない場合もある。

以前の僕は悩むことと落ち込むことを混同していて悩むと必ず落ち込んでいた。けれど最近は悩むことは贅沢だなと思っているため悩むことと落ち込むことが分離してきた。病気になることとタバコを吸うことは健康を害する点では同じだが全然違うみたく、悩むとは敢えて自分がやっている事なのである。タバコを吸っているのである。タバコを吸って健康を害することを落ち込まないように悩むことで落ち込んでいくのは馬鹿げている。

むしろ落ち込まないために悩むのである。

落ち込みそうなら、悩みに火をつけて吸ってみる、ただただ悩む、タバコが徐々に減っていくように、悩みも堂々回りを繰り返して、悩める部分が減っていく、ある程度吸ったら、灰皿に悩みを押し付けて、火を消して、切り替えればいい。火はしっかり消そう、悩みが他人に移って火事になったら大変だ、悩みを鎮火する消防署はまだない。いつの日かAIがそれを担ったりするのかも知れない。

僕はこれから悩むことで落ち込まず快活に悩もうと思っている。

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