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美しき芸術生涯「ドリアン・グレイの肖像」


若さは諸刃の剣であって、美しさには代償が伴う

特に意味はないですが、小説内の台詞回しがあまりにも素敵だったので、触発されてそれっぽい言葉にまとめてみました。
ただ明らかに及んでいないのを見る限り、オスカーワイルドの到達した境地が果てしなく遠くにあるのが分かります。
才能って素敵ですね。

概要

「ドリアン・グレイの肖像」はオスカーワイルド唯一の長編小説。
美青年ドリアン、画家バジル、快楽主義者のヘンリー卿を交えた芸術的生涯が綴られる19世紀のイギリス文学。
作家としての顔を持ちながら、詩人としても名を馳せていた作者ならではの文章の美しさは唯一無二。

考察

この世の全てには代償を伴う

持論ですが、この世の全てのものには代償が伴われると思っています。

  • 美しさへの代償は劣化

  • 若さへの代償は未熟さ

  • 快楽への代償は負荷

これは投資的な考え方ではありますが、リスクあるものにはリターンがあり、逆もまた然りであるというものです。

美しさほど絶対の要素はありません。この本の序文でもそのような言葉が綴られています。
しかし、美しくあり続けることは不可能です。
劣化するし、美しさへの意味合い、言葉の捉え方が変わることもあります。

そういう必然性に対し、この話では「肖像画を劣らせることで現実の自分を保つ」という創作を行いました。
では、この創作にはどんな思いが込められていたかを考えます。

ここでオスカーワイルドが残した有名な言葉を紹介します。

人生は芸術を模倣する

人生とは実際には虚像であって、芸術こそが現実であると説いた言葉です。
個人的には、この世の中に溢れている言葉の中で最も美しいと思うものの一つです。
そして、これはまさにドリアン・グレイの人生を表したものになります。

ドリアン・グレイは劣化を肖像画に託したことで、自身は芸術の人生を生きることに成功しました。
逆に言えば、肖像画が劣化することで「芸術が人生を押し付けられた」と解釈することもできます。

しかしその人生の醜さに耐えきれなくなったドリアン・グレイは、肖像画にナイフを突き立てることで自分の命を絶ちました。
またシビル・ウェインも同様に、芸術の上で生きていた彼女は現実の人生で恋をし、それに失敗したことで自分の命を絶ちました。

要するに二人とも、人生が芸術を追い越した瞬間に命を絶っているということです。

この二つの例から汲み取れることがあるとすれば、「人生は芸術ほど取るに足らないものである」という振り切った解釈でしょうか。

芸術は快楽により近い

芸術的な人生を生きる人は、それだけで傍目からはドラマチックに映ります。
そういう人生を目の当たりにして、実際にその思想を囁かれた場合、傾倒せずに済む人間はどれくらいいるでしょうか。

少なくとも創作物から生き方を学ぼうとする人は、まず間違いなく芸術思想に流されます。
僕はその筆頭である自負があります。

そしてその先に待ち構えているのは快楽主義です。

これも主観ですが、芸術は一種の快楽だと思っているので、その延長線上に快楽主義があるというのはあながち間違った解釈ではない気がします。

何かと言われがちな快楽主義について、それ自体は素晴らしいと思いますが、代償を理解しないまま浸るのはあまりに危険です。

どうせ4,50歳で死ぬつもりだから、という覚悟がある人は好きにすればいいですが、そうじゃない人は注意が必要な考え方です。

ただ、そういう側面も併せ呑んで快楽に浸るのであれば、個人的に快楽主義は結構アリだと思います。
先ほどの解釈を引用すれば、快楽は取るに足らない人生を彩らせてくれるからです。

人生における使命とか、責任とかを問われるほど煩わしいことはありません。
別にこの人生で何かをやり遂げたいとも思ってないので、さっと手軽く楽しめる快楽は人生においてなくてはならない物だと思います。

若いうちは人目につかない方がいい

最後に、芸術至上主義とは反対の安寧的な考えをまとめたいと思います。

近頃話題の成田悠輔先生がR25のインタビューでおっしゃっていたことが印象的だったので引用します。

この動画を一言で表すと、若いうちから人の評価を気にしていたら、その評価以上にはなることができない、みたいな感じです。
(ちょっと言い表せた気がしないので、出来れば動画の方を見てください)

芸術的な人生を選ばないのであれば、この生き方が最適解だと思います。

人の評価を気にして生きるほど精神が削れることはないですし、それに耐えられる自分かどうかも分からないようであれば、やめておいた方がいいと個人的には思います。

逆に言えば、芸術的に生きたいと思うのであれば一分一秒でも早くインフルエンサーとして頭角を現すべきです。
ドリアン・グレイのように人生で芸術を描くつもりなら、成長も衰退も全てがそのための素材になり得るので、栄枯盛衰も何もかもを芸術に昇華して開き直ってもらえたらと思います。

芸術を他人事として楽しみたい自分からすれば、その全てを早く見せてほしいものです。

向こう数十年で人工知能が発達すると仮定して、それからはおそらく「人はどう生きるべきか」という問いに今以上に直面することになると思います。
そんな中で、芸術的に生きるか、安寧的に生きるかの大きく二つに分かれるでしょう。
そのときすぐに決断を下せるだけの思想体系を、自分自身の中に組み上げておく必要がありそうですね。

ぼくが芸術的に生きることはないと思いますが。
芸術的に生きている人をケタケタ笑いながら見守っていようと思います。

感想

凄まじい才能でした。
これを受け入れるのにはまだ時代が追いついてない気もします。
そういう意味で言えば、この人が真に評価されるのはもう少し後になるかもしれません。
現時点でも無類の評価を受けていますが。
言葉選びからキャラクター像まで、全てが美しく纏まっている本書は、芸術というジャンルにおける一つの答えを示したと思います。
だからこそ、この才能が短い生涯のうちに終わってしまうのはとても残念ですが、それも芸術であると開き直ればまた感じ方も変わるでしょうね。

はじめはヨルシカの影響から興味本位で読んだだけだったのですが、すぐにこの本の重要性に気付きました。
ヨルシカファンを名乗る上で、この本を抜きにしては語るべきことも語れません。
さんざん聞いたはずの楽曲であっても、この本を読んでからはまた別の一面で感じることが出来そうです。
エイミーとエルマの関係性をこの本になぞらえるとすれば「エイミーは人生で芸術を描き、エルマはその芸術を模倣した」と言えるのではないでしょうか。
ヨルシカファンの方は必見の本です。

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