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教育者


N先生との出逢い


年を越し、間もなく2月

「ああ、この子たちとも、あと、2か月なのだな」

「この子たちはいったい、どんな、3年生になっていくだろうか」

先日、ふとそんな思いが
私の胸の中にこみあげてきました

それと同時に、「3年生」という響きから、
ある思い出も蘇ってきました

それは、ずいぶんと昔のことです

「あ・・・、この先生、すごく好きだなあ」

私が「先生」というものに対してはじめてそう思ったのは、
小学校3年生のときの担任の先生と出逢ったときのことでした

担任の先生はN先生
あれから20年以上経った今でも、
その先生のことを忘れることはありません


いつの日のことだったでしょうか
下校直前に漢字小テストの結果が返却されたことがありました
 
漢字テストが大の苦手だった私でしたから、点数はいつもひどいあり様
ところが、そのときはめずらしくがんばったのか、
満点をとる自信がありました

ドキドキしながらテストを受け取ると・・・90点
1問10点のテストでしたから、1問だけ間違えてしまったというわけです
 
90点などという高得点をなかなかとったことのない私でしたが、
このときはうれしさよりも、
満点を取れなかった悔しさの方が
真っ先に胸に込み上げてきたことをよく覚えています

しかも、その間違いの1問というのは、
「はね」のところを「とめ」にしてしまったというミス

「こんなことで間違えたのか」という思いが、
なおさら、私の中にある悔しさを倍増させたのでした
 
私はあまりのショックに、
そのテストを手にしたまましばらく立ちつくしてしまいました

そして、
しばらくすると私は、そっとえんぴつを手に取り・・・、
「とめ」の部分をこっそりと「はね」に書き換え、
 先生のところへと向かい、こう伝えたのです

「これ、間違いじゃないのに × がついていました」

N先生は私の顔を見たかと思うと、
一度、テスト用紙に目を落とした後、すっと顔を上げ、
今度は私の目をじっと見つめていました
 

裏切り



いったい、どれだけの時間が経ったでしょうか

そのときの私には、
気の遠くなるような長い時間に感じました

しばらくして先生は、

「そっか・・・。 瀧ヶ平君がそう言うのなら、先生が間違えたんだね」

そう言って、テストの点数を訂正し、100点にして返してくれました
 
いつも優しいN先生でしたが、
そのときの何とも言えない寂しそうにも見えた表情は、
20年以上たった今でもはっきりと思い出すことができます
 

そのときでした
私はそんな先生の表情を見てはじめて我に返り、
あることにハッと気付いたのです
 
そうです
N先生は、私が嘘をついていることなど、
はじめからわかっていたのです
 
その途端、私は急に、先生の目を見ることができなくなりました

どうすればよいのかわからなくなった私は、
急いで荷物をまとめ、挨拶もせずに走るように教室を出て行ったのです
 
帰り道、先生の顔を思い出す度に、私の胸はチクチクと痛みました
気付くと、なぜだか目からはポロポロと涙が流れていました
 
あれだけテスト勉強をがんばったのにミスをした自分が悔しくて

それをごまかそうとした自分が情けなくて

大好きだった先生を裏切ったことが辛くて、悲しくて・・・
 
結局、その日、私はそのテストを親に見せることはありませんでした

自分のしたことが恥ずかしくて、
それを親に知られるかもしれないことが怖くて、
どうしても見せられなかったのです

夜は眠れず、明日、先生と顔を合わすのが怖くて怖くて・・・、
いったいどんな風に教室に入って行けばよいのだろうかと、
そんなことばかり考えていました



真の教育者としての姿


翌朝、結局は何の解決策も思いつかずに学校に着いてしまった私は、
迷いと不安を抱えたまま教室の中へと入りました
 
・・・そのときでした
「おはよう。瀧ヶ平君。この間言っていたマンガのことなんだけどね…」
 
教室に入った私にかけられた声
それは、いつもの明るく優しいN先生の声でした

先生は、昨日の漢字テストのことを言うわけでもなく、
私を怒るわけでもなく、そう話しかけてきたのです

そんな先生の姿から、
努めて明るく話しかけてくれているのだということは、
3年生だった私にも痛いほどわかりました
 
このとき、私はこう思ったのです

「絶対に、もうずるいことはしたくない」

「卑怯なことは二度としたくない」

「誰かを裏切るようなことはしたくない」  と
 
人に何かを指導するというとき、
ついつい怒ることで恐怖によって従えさせてしまうことがあります

それは、指導する側にとって最も安易で楽な方法だからです
 
でも、N先生は違いました

私を怒鳴りつけることも、
私がついた嘘を問い詰めることもしませんでした
 
ただただ、

「あなたが過ちを犯したことはわかっている。そうしたくなる気持ちもわかる。それでも、あなたのことを信じているよ」

ということをその姿で伝え、
その過ちを悔いている私に、あたたかい言葉をかけたのです
 

私は、心から自分の行動を恥じました

「こんな自分を変えたい」 

そう強く思うようになったのです
 

教育とは、人を大きく変容させる力をもったものです
それは、ある意味でとても恐ろしい力です
悪用することだってできるのです

だからこそ、
どう、変容を促すか
その在り方にこそ
教育の質が問われるのだと思います


今、私の目の前にいる子どもたち

きっと、
よさも欠点も、抱える背景も、
一つとして同じものはないはずです
 
だからこそ、
あのときのN先生のように、
そんな子どもたち一人一人をまるごと受け止め、寄り添い、
前に一歩踏み出す勇気を引き出すようなかかわりができる教師でありたい
  
あの日のN先生の姿を想い出し、私は改めてそう強く想うのです

それこそが、真の教育者としての姿

教育のあるべき姿だと思うからです

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