場面緘黙日記 -笑-
(前回の場面緘黙日記↓)
前回と同じ、小学2年生の頃のこと。
ある日、突然母に
「〇〇大学の相談室に通って、喋れるようになる為に頑張ってみない?」
と言われた。
当然、その時の私も「話せるようになりたい‼︎」という気持ちが強かったので、すぐに「うん」と答えた。
でも、一体どんなことをするのだろう?
1年生の時の担任の先生みたいに、話すことを強要してきたりしないだろうか?
そんなことを考えつつ、何週間か経ったある日。私は母に連れられてその大学へ行った。
相談室へ行くと、先生(?)が待っていた。
そして、カウンセリング室に入ると、学校や自宅での私の様子を色々と聞かれた。
私はやはり、その時も声が出なかったので、私が質問された時は筆談で答えた。だが、緊張しすぎて、字を書くのもやっとだった。
その後、プレイルームという所に行き、ある女性の大学生(Aさん)の方と遊ぶように言われた。どうやら、毎週ここに来てこの方と一緒に遊ぶことになるらしい。(多分、これは「遊戯療法」の一種だったのかな。)
当時の私は、今より緘動の症状が重く、2人きりの部屋で自分のやりたい遊びをやる、というのはかなりやりにくいことだった。(正直、今でもちょっときついかも…笑)
「この年でまだこんな遊びをするの?」
「この子、めちゃくちゃ絵が下手だな笑」
「遊ぶ時も無言で無表情なんだ笑」
とか、色々悪く思われてるのではないかと不安になってしまうのだ。(今もだけど)
どうしようかと混乱して、しばらく椅子に座ったままでいると、「名前は?」「何歳?」とAさんが既に知っているはずの情報を尋ねられた。
何も答えられず黙っていると、Aさんは手元の書類を見ながら「〇〇ちゃんっていうの?」と聞いてきたので黙って頷いた。すると、今度は「へぇ~!何歳?」と聞かれたので、恐る恐る指で「7」を表した。しかし、私が指で表していることに気づいていないのか、「?」という顔でこちらを見ている。どうしよう、と困惑してまた黙っていると、「7歳?」と聞かれたのでまた頷いた。
このままぼーっとしていてもしょうがない(ぼーっとしたままでいるのも怖い)と、何とか腰を上げて大量にある玩具の中からまずジェンガを手に取った。
すると、Aさんが「ジェンガ?やろうやろう!」とやけにノリノリで言ったので、そこまで乗り気になられるとこっちのテンションが低いのが申し訳なくなるな…と思った。
私も緊張MAXなので、ジェンガなんてやってもやはり負けてしまう。緊張で手がガチガチになり、指を細かく動かすのが難しいのだ。
私が緊張でガチガチの指でジェンガを崩すと、Aさんは「あー!イェーイ!私の勝ち!」と言って大袈裟に喜んでいた。
正直、テンションの差がすごすぎて申し訳ないのと、一挙手一投足をずっと見られているのがつらいのとで、もう帰りたい気持ちで一杯だった。
その後は、紙粘土をただひたすらこねたり、画用紙と色鉛筆を取って何を描くか考えたりして、何とかその日の治療(?)は終わった。
それから毎週そこへ通い、Aさんと遊んだ。
通い始めて3、4ヶ月が経ったある日。
その日も苦痛な時間を何とか乗り越えようと、部屋中の棚に並べられた玩具の中から遊ぶものを探した。
(ちなみに、この時になってもAさんとは一言も話せていない。)
やはり玩具も誰かと声を出して遊ぶことを前提にしたものが多く、選べるものが限られているので、毎週同じもので遊ぶことが多かった。
その日も何となくいつもと同じように紙粘土をこねたりしていた。
紙粘土で木を作って片付けた後、棚を見回すとゴルフセットの玩具があることに気づいた。当時家でミニゴルフのような遊びをしていた私は、迷わずそれを手に取った。
でも、それが悲劇を生むことになってしまった。
その玩具はどうやら幼児から小学校低学年までの年齢を想定して作られたものらしく、小2の割に背が高かった私には少し小さかった。
とはいえ、遊びでやることなので差し支えはないだろうと思い、腰を少し低くしながら思いっきりクラブを振った。
うん?
おかしなことに打った感触がない。
と思ったら球が足元にあった。
どうやら空振りしたらしい。
何だか恥ずかしくなってきてしまったので、何とかこの失敗を取り返そうと、すぐさままたクラブを振った。
しかし、また空振り。
そして、さらにもう一度空振りした時、
「ぶっふ…!あはっはっはっはっは!あははははははは!」
という笑い声が聞こえた。
外で他の学生がはしゃいでいるのだろうかと思って窓の外を見ても誰もいない。
そのまま視線を横に移すと、Aさんが顔を赤くしながら爆笑していた。
一瞬、何で笑っているのかと思ったが、彼女の視線を見て
あぁ、私のことを笑っているのか…と気づいた。
Aさんは何度も空振りする私を見て、涙を流しながら大笑いしていたのだ。
その時ふと、学校でもこうして皆、心の中で私のことを笑っているのだろうかと思った。
「一言も話さない、無表情でブサイクな奴🤣🤣」
と、心の中で、あるいは私のいないところで言われているのではないか。そう思うと、急に不安になった。
さらに、何だか自分という人間が笑われているような、否定されているような気もして、恥ずかしくて、惨めで、悲しかった。
顔は真っ赤になり、目の前の景色は雫で霞んでいた。
それからというもの、そのプレイルームでは何をしても笑われてしまうのではないかという不安が強くなり、何をするのも怖くなってしまった。
いつも通り色鉛筆と画用紙などを手に取ってはみるものの、何を描くか、どう遊んだらいいのか、全くわからなくなってしまった。
数週間後、私は勇気を出して母に「通うのをやめたい」と言ってみた。すると、母はあっさりと「わかった。いいよ。」と言ってくれた。
母は早く私が話せるようになってほしいと思っていたようだったが、無理矢理行かせても仕方ないと思ったのかもしれない。
結局、私は理由をうやむやにしたまま、そこへ通うのをやめてしまった。
新たなトラウマを胸に押し込んで。
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