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#32 好きこそ好きのままで居て

夜な夜な筆をとっておりますが、皆さんお久しぶりです。takuです。

前回の記事から8ヶ月経って、2022年も後半戦に突入。
台風が夏の暑さを連れ去ったおかげで夜風に当たりながらの運転が気持ちいい季節になってきましたね。

風邪を引かないように注意が必要ですが、
暑さを気にせず無茶をできるのもいいことですよね。

さて、久しぶりに筆をとったのがなぜかと言うと頭の思考整理もかねてにはなるのですが、
好きと嫌い、得意と苦手、得手不得手と何かにつけて対義語として並ぶこの言葉たち。

ここに対して違和感を感じてるんですよね。

良く恋愛では、好きの反対は無関心なんて言葉がありますが、それもそうだよなで終わり。

じゃあ、なんの話となりますが
端的にまとめると『好きじゃないことを好きになろうとしなくていい』ということ。

なんだその話かと思った方、その通りです。

古来から右へ倣えの風習がある日本では、
好きの強要を感じる場面が多々あります。
それがいけないことではないけれど、
簡単に受け入れては意味がないように感じているんです。

写真という文化の中に身を置いていると、
沢山の好きな系統、写真、ジャンルが溢れかえってきます。
特にSNSというものが定着している世の中では、
ある種のテロのように自分の前に現れてきます。

このSNSテロは、自分の好きなものを惑わせる力があると思ってます。

例えば今までは、Aの系統が好きだったのにSNS上では、Bの系統が流行ってるとしましょう。
人は、それを目にし続けると無意識的に『これが良いもの・評価されているもの』と錯覚していくのです。

スターバックスがどうして良いのかわからないけれど、良いお店と感じてるのに近いものがあります。

とかいう、僕もその1人ではあるんですけどね。。。

おっと、話が逸れましたね。

この状況が悪いわけではありません、
自分の好きが明確でないことや市場の変化や流行を理解する意味では非常に有益なことではあります。

ここを疎かにしては、人の心を掴むものを生み出すことや伝えることはできません。

ただ、自分の自己表現はどうなるのでしょうか。
流行の表現をしても、それは流行に乗った自分になるのではないかと思ってます。

もちろん、それが好きならば好きなままで良いんです。

ただ、僕もそうですがその流行に乗ることが違和感を感じながら進むことに繋がってるのです。

自分が自分で無くなる感覚が時に芽生えることがあります。
それは誰かの表現を模倣してるだけではないのか、オリジナリティと思っていても既存の表現を再帰しているだけではないのかと。

だからこそ、好きなものを好きなままで。
好きじゃないものは好きになろうと努力しなくていいのです。

たしかに、市場では評価されているから羨ましく思うこともあります。
この表現をすることで自分も評価されるのではないかと。

心を無にしてすることも正直可能です。
けれど、自分の美学に反してしまうからその表現をしようとした時に気持ちが重くなってしまうのです。

好きじゃないもの。
得意じゃないもの。
興味を持てないもの。

それを好転させるために我慢して、
受け入れる努力をしなくていいのです。

好きなものは好きなままで居て。
好きじゃないものはそのままで。

今は好きにならなくていい。
いつか、それを受け入れれる時が来ればでいいのです。

自分の好きに嘘を付かずに生きましょう。

では、また書く日まで。

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