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豊かさは「交易」によって実現される

出口治明さんの著書『全世界史』にこのような記述があった。

ドメスティケーションによって、食料や生活に必要なもの(毛皮や土器や工具など)が蓄積されると、人間は交易(物品の交換)を始めるようになります。なぜかと言えば、それは自分の生きている生態系だけではこれ以上発展しない(生態系が貧しい)ことを本能的に理解していたからです。

『全世界史』出口治明

ドメスティケーションについてはこちらの記事で詳しく解説しているのでよければ見てほしいが、簡単にいうと、人が持つ「支配したい欲求」のことである。人間は、農業、牧畜、冶金、さらには神の概念や学問の成立に至るまで、支配する対象を広げ、発展してきた歴史がある。

ドメスティケーションの芽生えで生活に必要なものが蓄えられるようになると、今度は人同士で交易、つまり物の交換を行うようになる。その過程で文字やトークンなど様々な発明が行われるわけだが、そもそもなぜ人は交易をし始めただろう?

その答えが、「生態系の貧しさを理解した」というものである。「生態系」という言葉で一見難しく聞こえるが、そんなことはない。

生態系というのは、簡単にいうと、自分の生まれ育っている地域のこと。いろいろな植物に動物、鉱物、気候や風土の特徴など生物の集まりやそれらをとりまく環境のことを、生態系と呼ぶ。

その「生態系が貧しい」とはどういう意味かというと、自分の生きている生態系の資源を100%使い切っていて、これ以上発展しないことをいう。食材の数が料理の数を生むのと同じだ。

自分たちの生態系の中で生産した食材だけでは、作れる料理の数も限られるため、食べ物が行き渡る人たちの数も当然限られる。一方で、農業するための鉱物はたくさん獲れるから、道具だけは豊富に揃っている。このアンバランスな生活環境を「貧しい」と表現するのだ。

そこで人は考える。「自分の生態系に足りないものを近くの生態系から持ってくることはできないだろうか?」。そして自分のところで余った生産物を持って交換を持ち掛けるのだ。

これが交易の始まりと言われている。物々交換を行うことで、互いに対等な立場で得をし合おうということだ。

ここで疑問に思った人がいるかもしれない。
「生態系が貧しいのだとして、戦争などの暴力で奪い取るのではだめなのか?」

確かにそうすれば自分たちの新たな生態系として生産物を独占できるから、そちらの方がいい気もする。
しかし、暴力によって奪い取るのには、一つ大きな問題がある。コストが高いのだ。

戦争や強奪はコストがものすごくかかる。 金銭的にも体力的にも。
戦費は主に税金によって賄われるが、兵糧や武器防具の調達、給与、遠征費など平時よりも多くの資金をかき集めなれけばならない。これが金銭的なコスト。

また、人間の身体の大きさにはほとんど差がないので、火器のような武器がないと、一人が一人を殺すのには大変なエネルギーがいる。これが体力的なコストだ。
そこまでコストを掛けるよりは、お互いに物を交換するほうが豊かになるうえで効率が良いのである。したがって交易は、素朴たが賢い方法といえるのだ。

この歴史から学べることはとても多い。

例えば労働力不足の問題。日本は現在、人口減少に伴う労働力不足に未だ解決されないままだが、その原因の一つが「外国人技能実習制度」だと言われている。

この制度を利用し日本にやってきた外国人は留学生扱いとなり、社会保障が適用されない。企業や個人はそれをいいことに、劣悪な労働環境で外国人を働かせているのが現状だ。

この杜撰な仕組みのせいで、日本は外国と対等な交易ができていない。閉塞的な制度を外国人がより働きやすいように改正しなければ、外国は労働先に日本を選ぶことはなくなり、日本の労働力不足は悪化する。実際、日本は円安状態がずっと続いている国なので、自国の通貨に換金してもあまり増えないということで、外国からはすでに労働先として選ばれなくなっている。

交易をして人とつながることの重要さを、改めて理解しなければならないだろう。

それと、個人的にもう一つ気になったのは、「そもそも、豊かさは幸福につながるのか?」という疑問だ。
どれだけ生態系が豊かになろうと、人間一人ひとりがその状態を幸福だと感じることができないのなら、果たして豊かさを目指す必要はあるのだろうか?

これについて複数論文を読んでみたが、結論から言うと、「どちらかといえば豊かである方がいい」となった。

メタ分析を中心とする3つの文献を参考にしてみたが、それぞれの主張をまとめるとざっとこんな感じ。

所得と幸福の関連は複数の要因が複雑に絡み合っていることは間違いなく、ハッキリしたことが言えない。ただ、自分の富を増やしていくことが幸せへとつながる可能性は高い。

なので幸せをより実感するためには、所得の多少に関わらず、まずは自身の考え方に変化を加えてみて、その上で富の増加が幸せにつながるかもしれないと考えるのであれば、実験として、所得の増加に努めてみるといいかもしれない。

結論、豊かになりたいなら交易せよ。そしてあなたが、豊かさは幸せにつながると考えるのなら、富を増やすことを目指してみよう。

そんなことを学んだ今日この頃である。

以上。
全ての「知」に幸あれ。



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