片岡卓久

プロフィール 【保育者】【大学院在学中】【NPO理事】【大学非常勤講師】 大学院で子ど…

片岡卓久

プロフィール 【保育者】【大学院在学中】【NPO理事】【大学非常勤講師】 大学院で子どもと大人の関係のちょうど良いあり方について考えています noteではレポートや論文をまとめる際にこぼれるちょっとしたことを載せています コメントなどのリアクションもいただけると勉強になります

マガジン

  • 保育における「子ども理解」への問題意識

    修士論文執筆に向けた自分向けの資料集です このマガジンでは「子ども理解」に関する個人的な問題意識をまとめています。 興味のある方はどうぞ

  • 日本の保育における「子ども理解」の歴史的経緯

    修士論文作成に向けた自分向けの資料集 興味のある方はどうぞ

最近の記事

「子ども理解」はどのような経緯で保育理論に組み込まれてきたのか ー児童中心主義の保育思想ー

 現在、日本の保育において子どもの内面を理解することによって、保育者がより良い援助が可能になるという「子ども理解」中心の保育観が主流になりつつあります。では、なぜ、どのようにして「子ども理解」中心に変化してきたのでしょうか。  今回は「子ども理解」の歴史的経緯を探ってみたいと思います。 田中によれば、1960年代半ば頃、戦後教育改革の時期に広がった「新教育」が「児童中心主義」として民間教育研究運動などの「改革派」の教育学から批判され、「科学の系統的教授」の必要性が強調された

    • 関係的自己論と「子ども理解」

       今回は社会の生きづらさと「子ども理解」の関連について、ハーマンの「関係的自己論」を用いた議論を簡単にまとめた 表面に現れる子どもの行動とその背景 田中は現代の子どもの攻撃性の問題を例示して、そういった子どもの問題行動の根源を社会の変化、特に新自由主義に基づく自己責任論の蔓延による子どもや社会の生きづらさが生んでいると指摘し、根本的解決に向けて表面上での理解にとどまらず、欲求の複雑な表出であると主張する。  そういった社会問題をハーマンの「関係的自己」理論を用いて分析する

      • 「子ども理解」に関する研究の研究ノート①

         「子ども理解」に関する研究の一貫に「子ども理解」の歴史性に関して少しずつまとめていこうと思います。一般的な子育て文化とは違い、公の教育的な役割を求められた機能としての保育が誕生するのはわりと近代になってからのことでした。今の「幼稚園教育要領」に「幼児理解」という言葉が使われていますが、この言葉はどのような経緯で注目されるようになってきたのでしょうか。この点についてまとめてみたいと思います  私は10年間の保育実践を通し、自分の保育思想を形成しているものについて明らかにすべ

        • プロフィール

          保育者  保育実践歴:10年 大学院生 北海道大学教育学院 修士課程在学中 非常勤講師 北海道文教大学 所属学会 保育学会 会員

        「子ども理解」はどのような経緯で保育理論に組み込まれてきたのか ー児童中心主義の保育思想ー

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        • 保育における「子ども理解」への問題意識
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        • 日本の保育における「子ども理解」の歴史的経緯
          0本

        記事

          ごっこ遊びがおもしろくない

           「学びは真似から」なんていう言葉はよく知られていると思います。子どもたちは自ら学力があり、それは無意識レベルで行われています。大人は勉強しようと思って勉強をしますが子どもはそのようなことを考えて意識して学ぼうなんて思ってはいないように感じます。それが遊びの正体ではないかと考えたりもします。  特に真似する遊びは面白いようで、ままごとセットがあるとお父さんになったりお母さんになったり(たまにペットの犬にもなったり)して彼らの遊びのストーリーが展開されていきます。その様子を観

          ごっこ遊びがおもしろくない

          子どもが行動を起こすときの判断についてすこしだけ考えてみた

          保育のときに大事にしている視点のひとつに子どもがやりたいことを見つけられているかどうかという視点がある。子どもは探索をして興味のあるものを見つけ、活動を自ら構築していくのだが、それは興味のあるものが見つかった場合である。 興味があるものが見つかり、活動を思いついたとしてもそれが実行するかどうかの分岐点も存在する。その行為は自分にとってどのくらいの危険があるのか、社会的に問題となる行為ではないかなどを考慮して判断することとなる。例えば、園庭に転がっているボールを見つけてそれを

          子どもが行動を起こすときの判断についてすこしだけ考えてみた

          学習とはなには。マネは学習か。学習が【知ることによって行動が変わること】ならマネも立派な学びなんだ

          学習とはなには。マネは学習か。学習が【知ることによって行動が変わること】ならマネも立派な学びなんだ

          学習と要約の違いはなんだ。気になって調べてみたら学習は【それを知ることによって行動が変わること】とある。要約とは全然違う

          学習と要約の違いはなんだ。気になって調べてみたら学習は【それを知ることによって行動が変わること】とある。要約とは全然違う

          保育者におすすめする読書による学習

          保育をしていると“より良くしたい”とか“どうすればいいのだろう”という思いになることがしばしばあります。しかし、保育者になった当初はどうすればそれを学ぶことが出来るのか、どのようなことを学べば良いのかすらわかりませんでした。そんなときに見つけたのが本による学びです。もし同じように保育をより良くして目の前にいる子どもたちにより良い関わりが出来るようにと考えている方のヒントにでもなれば幸いです。 保育者が学ぶ意義  保育現場は基本的に経験則や体験で語られることの多い現場なのか

          保育者におすすめする読書による学習

          問題が生じたときだからこそ原因をさぐらない理由

           みなさんは職場や家庭内・友達関係で大小さまざまな問題を抱えることが有ると思います。そんなときみなさんならどうしますか?よくやりがちなのが問題が“なぜ”おこったかというところに焦点を当てる方法ですがこれを今日は叩き潰したいと思います 原因を探ることの問題点 原因をさぐるという方法は一見理にかなっていてそれ以外の方法がないようにも思えますが私個人からするとあまりおすすめの方法ではありません。なぜなら3つ理由があります ①原因の目的化が生じやすい なにか問題がおこるとつい

          問題が生じたときだからこそ原因をさぐらない理由

          脳の神経系から見ると「2つ以上の情報をつなぐことと」理解することができるんだ。幼児教育でも同じ現象や知識や物事が別のことにも応用できたり再現されることが物事を理解した実感につながるのではないか仮説がたった Issuedrivenより

          脳の神経系から見ると「2つ以上の情報をつなぐことと」理解することができるんだ。幼児教育でも同じ現象や知識や物事が別のことにも応用できたり再現されることが物事を理解した実感につながるのではないか仮説がたった Issuedrivenより

          ことばの置き換え 時間→やる気

          covid-19の騒動で今までと時間の使い方が大きく変わってきている方もいるのではないでしょうか。仕事や家庭などで日々のルーティーンに追われていた方も最近急に使える時間が増えたという方もいると思います。かくいう私もその一人。そこで見えてきた時間の使い方についての記事を書きたいと思います。今回わかった仮説は「時間がないから〇〇できない」ということばの本質はそもそも「〇〇したくない」という無意識の力が働いているのではないかというものです。 仕事であれプライベートであれ「もっと時

          ことばの置き換え 時間→やる気

          違うひとが夫婦 そこで育つなにか

          夕食を食べる。夫婦いろいろと違うところがある。皿の洗ってほしいタイミングや洗い方。かけてほしい言葉やその反対も。そんなちいさなひとつひとつにいちいちつっかかるものだ。自分とのちがいを感じ嫌になるというその感じどきだ。 子どもには常々、相手は自分と違うことを受け入れてほしいと願う。ちょっとしたケンカや嫌な思い、形は大きいものから小さいものまであるがそのどれもが勘違いから生まれる。自分と相手がちがうというただそれだけの事実に対して色々と創作し意味を付け加えていく。それが積み重な

          違うひとが夫婦 そこで育つなにか

          Facebookライブ カッコつけようとする自分との戦い

          2020/05/13 はじめにここ最近仲間とフェイスブックライブをしているのでそのことについて感じたことなどをお伝えしていきたいと思います。僕は都内で保育園の職員をしている30代男性です。普段から保育の仲間と勉強できる場づくりについてはなしていて自主研修やブログで記事を交換したりするなどをしていたのでFacebookライブをするのも自分たちのなかでは思いの外自然な流れでした。今回はhow to というよりかは配信によって生じた内面的な話をお伝えしていきたいと思います。 準

          Facebookライブ カッコつけようとする自分との戦い