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②-3音楽を創る時、ミュージシャンの脳内・周りで何が巻き起こってるのか/化けの皮と利他とかいうものについて

こんな事になるなんて考えもしなかった。
私もそう思った一人でした。

2020年幕開け
一人で演奏する楽曲が貯まってきたので、ライブを行うのと同時に活動再開を目論んでいた私。
しかしCOVID-19の影響に東京の街が晒され始め、ライブハウスでのクラスター感染が起こった事を皮切りに、出演しようと思っていたライブハウスは軒並み営業自粛に。
「2019年まで型システム」の活動プランは、あっけなく頓挫しました。

■活動自粛のはじまり
一日中家に居る生活が始まり、朝から晩までTVニュースを見漁りケータイをいじる。
ニュース見て、飯食って、曲創って、映画観て、寝る
実施される怠惰な生活リズム。体を休めるには十分すぎる時間が確保される。
不謹慎にも家生活が始まった頃は、楽しかったりしてしまいました。
これまでの音楽活動は、現場主義、ライブ至上主義だったのだけど、どうにもそれでは立ち行かなくなりました。そこで、私は苦手意識から手を出してこなかった「デジタル」に手を出す事に。
PCを始め、マイク・スピーカー・電源周りケーブル類等を一気に刷新し新たな活動へ舵を切ります。

日を追うごとに感染者数の増加が報じられ、ニュース番組に映る人達の思惑が右往左往してる様を眺める。
早く以前の生活に戻りたいな、、、
しかしそんな楽観は通用しませんでした。

『2020年4月7日緊急事態宣言発令』

COVID-19世界的大流行、多くの著名人の死、医療現場の逼迫、生活圏の店舗の閉店。
もう他人事じゃないじゃないか。
ジワリジワリと身体を侵食していく不安と恐怖に、居ても立ってもいられなくなり、大切な人達の安否を確認したくて、SNSを通してやり取りしたり電話したりしました。
幸運な事に皆無事だった。
それを確認出来た時、本当に心から安堵しました。あいつの、あの人の、あの子の、存在を失いたくない。出来る限り永く永くこの世界で生きていてほしい。
そんな祈りのような思いで胸が一杯でした。

会うことが難しくなった今、この人達の為に何が出来るだろう
私なりの結論は、連絡を取り続け日々の話を聞いたり、私が得た知識を使って少しでも力になりたい、助けたいというものでした。
同時に、目の前に用意された時間を使いこの先どう生きていくかに思いを巡らせました。
荒廃した状況下で【第3のリセットボタン】は押されます。

▲▼第3リセットボタン ▼▲

初めは、日々目にするTVのニュース。チャンネル毎に「正しい情報」が違う事に苛立ちを感じ、医療に国や政治が絡んだりして
正しそうに報じてる情報のうちのどれが本当に正しいのか分からなくなり、それをきっかけに自分で情報を集め出しました。
すると、あれよあれよと化けの皮が剥がれ始め、TVメディア一点を鵜呑みにする危険性、色々な物事との利害関係、情報操作の疑い等を知り、更に深くまで掘りたくなって、日本と周りの国との関係や世界情勢、ウイルスの歴史、ヒトの歴史、日本にいるけど日本人ってそもそも何なんだろうとか、仕事、お金、教育、宗教、政治、環境、多様性、持続性等を学んでいき、様々を知ると剥がれていったのは、実は私自身の化けの皮でした。

◆COVID-19の影響を受けた、楽曲の変化◆
さて、ここで起きたのは楽曲の変化でした。自分の心の中を表現する事に喜びと未来を感じ、楽曲を生み出していた私は、楽曲の中身が知らぬ間にどこかの誰かに向けて創られている事にふと気付いたのです。
誰かに向けて曲を作るなんて、ミュージシャンなんだから当たり前でしょと思われるかもしれませんが、そんなありきたりの話じゃないんです。
前回の投稿に書きましたが、音楽をやる事であれだけ苦しんだ末に自分の精神で未来を創ろうと決めて歩き出した私は、「誰かに向けて」ではなく「自分の精神を純粋に曲として表現する事」に終始していました。それがあの時の全てでした。

しかし、どうして変化が起きたんだろうと思い返してみると、COVID-19の猛威から大切な人達を守りたいと思った事や、今までも創った音楽で誰かが救われ自らの救いにもなっていた事を改めて実感し、
私は音楽をやる事で救い救われていくと決めたのをきっかけに、自然と精神から滲み出た得体知れない成分が楽曲に注入されていったのだと思います。
自分にとって音楽を創る事とは何かを解体、再構築した後、自然と、誰かに向けて音楽を創るという事は何なのかを解体、再構築する、そんな流れが来ていたような気が今はしています。
いやーしちめんどくさい!
当たり前に思える事は本当のそうなのか、本質を理解しないと気が済まない所は、ホント面倒臭い性分だなと我ながら呆れます…。その恩恵は受けていると信じたいですが。

物事の本質を見極めて、大切な人の助けになりたい。なんか知らんけど昔からそんな事やってたっけなぁと耽ってたら、いつのまにか利他とかいうものについて考え始めていました。

唐突ですが、自分のルーツって気になった事ありませんか?
私の家系は、祖父が台湾の人で、祖母の血筋には代々真言宗の住職がいたりと、何か個人的に気になるワード満載だったので、以前から自分のルーツを探っていました。
その中で、私は仏教徒ではありませんが、仏教の誰かを生かすという利他というものにスッとピントが合い「あー何故か大切な人を助けたいって思うのは、自分のルーツが関係しているからなのかもな」と腑に落ちたんです。そういえば前に創った曲に読経みたいに歌った箇所があったな。うーわ。やっぱりここが関係しているからか!などと妄想してはしゃぎました。

2020年12月において、資本至上主義は崩壊の一途を辿り、SDGs. Social for good. 等と至る所から聞こえ新たなブーム到来とばかりに情報が拡散されている。サステナビリティーの重要性・循環型社会等には賛成するものの、「good」という輪に入れない奴に、同調圧力をかけて排除する行為は大いに間違っていると私は思う。
何かを解決しようと団結して進む事は素晴らしい。けど、解決優先で「対話」を失くしたら、この世界から人間はいらなくなるんじゃないか。
誰かへの粛清じゃなく、誰かの存在自体を祝う祝祭こそが"good"なのだと私は信じます。

私を音楽の道に引き入れてくれた友人は、助けようとしてくれたのかもしれない。
「インターステラー」は、図らずとも誰かを助けようと創られた作品だったのかもしれない。
そしてCOVID-19影響下に立たされた私は、無性に大切な人を助けたくて動いた。
もしかしたら、人生がリセットされた3つの転機を繋いでいたのは利他というものだった。

2020年は、COVID-19という恐ろしいウイルスが世界を覆い私達の日常が脅かされた事に始まったかもしれない。
流れた涙量で海が出来たり、ため息や舌打で森が枯れたかもしれない。
そんなものは妄想だ…。と言い切れないかもしれない。
今、紛れも無い事実だと言い切れる事があるとしたら、それは
失われた命に代えられるものなんてどこにもない事。
そして、これを書いている私や読んでいる人は少なくとも生きてここに居る事だ。
しかと奥歯で噛み締める。
今年は、自分と大切な人達にとっての幸せについて深く考える年になった。大切な人や大切な物事と繋いだ手は簡単に離しちゃいけないみたいだ。

このnoteを書き終え、泥のようなコーヒーを啜りながら、そう、思ったのです。

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