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「戦う波動」こそが世の中を変える

「波動の時代」などと呼ばれて久しいが、毎年毎年「来年は波動の大きな転換期」という文言があふれる。

そうかも知れないし、違うかもしれない。
そこで必ず言われるのが、愛の波動、調和の波動などアガペーについての理想形である。

争うものは愚かで前時代的であると。これから必要なのは助け合いだと。
それ自体は良いことだし、大いに賛成する。
が、そもそも無益な争いを好むものがいるのだろうか?
武器商人や特定の思想をもつものは好戦的かも知れないが、平和を求めることが争わないことではない。

自分が根幹から信念としてもっているもの、ことがら、体制、そのようなものを確立するには戦う姿勢は不可欠である。これはなにも暴力の話だけではない。しかし、相手がいることであり納得してもらうことや徹底してもらうことでその信念を通したいのではないでしょうか。

これを避けて「善人」のように振舞うことは簡単だ。自分も傷つかないし、浅い称賛も得られるだろう。しかし、自分が本当に成し遂げたいことがあるならばそれはどんなに小さい事でも、前進し勝ち取らなければ与えてくれることは無い。

憲法九条に代表されるように、争いを避けることが平和であり美徳とする観念がしみついてしまった日本人はどうなってしまうのか。政治の話ではなくおそらく個々人が、なんとなくこのまま何も達成せずに死んでゆくのだろう。

理想の国家に燃えた明治の偉人や先進国への仲間入りを目指して戦ってきた多くの仕事人。その人たちの波動は低かったのでしょうか。時代が変わったから?いえいえ、人類はそんなに永く存在してません。

「一燈を提げて暗夜を行く。 暗夜を憂うることなかれ。 ただ一燈を頼め」

これは、暗い夜道を一つの提灯を提げて行けばどんなに暗くても心配する必要は無いんだよ。 ただその一つの灯火を信頼して進めば良いのだよという意である。灯火は自分の信念・志を指している。

戦うとは進むこと。何があっても暗闇を進むこと。ただ一燈、信念だけを持って万難を排し、進むこと。これによる軋轢は、悪意の戦闘の戦いとは違う。

何万人という人の波動測定を行ってきたが、このような人はみな波動が高い。耳障りの良い、巧言令色に惑わされてはいけない。


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