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真に個性的な生

自分を知るということ『ザ・メンタルモデル』

自分を知るということ、自分を観るということは、どうしてこんなにも難しいのでしょうか。どんなに長く生きていても、必ずしも自分というものを発見できるわけではありません。そもそも、鏡というものがなければ、自分というものをこの目で見ることすらできないのです。つまりは、自分で自分をそのまま見るということは不可能なのです。これほど不思議なことはないですよね。自分という存在が確かにある。自分というものが世界を見ている。でも、見ているはずの自分は自分で見ることができない。たしかに自分というものがある。たしかにあると感じている。手もあれば、足もある。耳から音は聞こえて、目からは周りが見える。口でものを食べて、消化しては、排泄をする。何一つ間違ったものはない。変なものはない。でも、あるはずの自分を自分でたしかめることはできない。自分のどこを見ても、自分というものは見つからない。それは自分のことが見えないから、というだけではなく、きっと自分が自分と思っている「私」という存在そのものの不確かさみたいなものを直感的に感じているからかもしれません。

もし、何らかの方法で自分が自分を見ることができたら、人はどうなるのでしょうか。そんなことはできないので考えても仕方がないことなのかもしれませんが、自分が自分を見た瞬間に何が起こるのか、本当の自分を知るというある種タブー視されているものを知ってしまう。そうすると何が起こるのでしょうか。今の世の中には、自分も含め、できるだけ見せたくないものは、隠そうとします。でも、隠すと言っても、誰か隠している人はそれを見ているし、知っているのです。とても当たり前のことですが、頭隠して尻隠さずみたいなことが、色々な場面で起こっています。あまりにも滑稽なことですが、でも、みんなそうしているので、それが当たり前と思っているのではないでしょうか。
そして、今の世の中では自分すら見ないようにしている。たしかにあるはずの自分が見えないからと言って見ないようにしている。でも、自分で見ないようにしているところで、どう考えても他人からは見られている。できるだけ隠そうとしたって、隠すことなんかできないはずなのに、当人はそれを隠せているものだと思っている。不思議なものですよね。

心の中は見えない。たしかにそうかもしれません。でも、あなたが他人を見ているとき、感じるのはただその人の行動だけではなく、その人の行動もそうでしょう。そして、直感的に人はその人の見えない部分も見ているのです。当たり前ですよね。全部見ているのだから。隠すことなんて本当はできないのです。

だったら、もう隠さずにありのままの自分でいたらいいではないですか。でも、それは嫌。もっとかっこいい自分ではないと嫌、もっとやさしい自分じゃないと嫌、今の自分では他人と比べて何の取り柄もない。ダメな自分を見せたくない。いつの間にか、ありのままの自分を出せなくてなってしまっている自分がいる。いつの間にか他人と比較してしまう自分がいる。でも、自分は自分でしかないので、何かを変えたいと思うのであれば、自分を変えるしかない。変わるのはかっこ悪い。それは今の自分を否定しているからだ。不完全な自分を認めなければならない。でも、他人からは見えてしまっている。その矛盾の中で僕たちは生きていかなければならないのです。

でも、変化している人は美しいと感じる。変化した人、自分らしくあれている人は美しいと感じる。だから、人はそれを望んでしまう。それでいいのだけれども、自分のちっぽけなプライドとかが邪魔をしてくる。自分でもその理由がわからない。どうして、そうなっているのかわからない。変わりたいはずなのに変われない。心の底では変わりたいと思っているのに、変わりたいと言葉にできない。行動にもできない。どうしてでしょうか。

パラダイムシフトが必要。そういう原理を理解すればいい。と言葉で言えば簡単で、それがわかるならそうしていると思う人もいるでしょうけれども、でも、世の中にはそんなことを何年、何十年、世界の歴史を振り返れば何千年も前からそれを追求してきている人たちがいます。時にはそういう人たちの研究結果だとか、その人たちが残した書物を読んでみるのもいいのではないでしょうか。そんなものがあるのならば、もうとっくに世界は変わっているのでは? と思うかもしれませんが、あなたのようにそう思う人が、世界を変えないという選択をしているのかもしれません。

本当の話かどうかは、その人が本当かどうかと感じるしかありません。その人にとっての本当が、世界にとっての本当になるのです。僕たちは自分が感じる世界しか体験できないということをもう一度思い出すことが必要なのではないでしょうか。とても当たり前のことですが、この当たり前すぎることを感じることはとても難しいことです。生まれてからすでに世界があって、自分と世界とは別々のものだといつからか認識してしまいます。外の世界が本当で、内の世界は虚構だと。でも、自分が死んだら外の世界はどうなるのでしょうか。あなたがいない世界というのは存在するのでしょうか。たしかに他人の死というものはあり、他人の死の後の世界というのは存在していますが、でも、それは死んだその人の世界ではなく、あくまであなたの世界の中での他人の死後の世界でしかないのです。自分の死んだ後の世界を体験することはできません。さて、本当の世界とは、世界の本当とはどういうことなのでしょうか。

この『ザ・メンタルモデル』という本を読むと、その世界の不思議、世界の本当に触れらる感じがします。何か忘れてしまっていたことを思い出すことができます。どっちの世界が本当だっけ? と考える機会になるでしょう。今の現実に、今の世界に生きにくさを感じているのであれば、少し世界の見方を変えてみてはいかがでしょうか。この本はそんな世界の見方を変えるヒントを与えてくれる本だと思います。

前々から気になった本ですが、なかなか読むタイミングがなく、改めて紹介してもらって、一気に読んでみましたが、世界の捉え方がとても面白いというか、わかりやすいというか、こういう形で言語化できる人がいるんだなととても驚くとともに、有難いなと思いました。著者にはもちろんですが、紹介してくださった方にも本当に感謝です。ありがとうございました。

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