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抽象的なことを抽象的なまま理解すること

小林秀雄『本居宣長』の11年

ついに小林秀雄の『本居宣長』を読了。先週も書いたけど、わからないことも多い。でも、なんだかとても感慨深い。なぜ本居宣長に小林秀雄は驚いてしまったのか。11年もの歳月を費やしたのか。そもそもそういうことができる人間というものは何なのだろうか。そんなことを考えてしまう。きっとこの作品は人生のうちで何度も読み返すことになるだろう。きっとここに僕の求めているものがあるから。でも、今はまだ理解が及ばない。残念なことであるが、でも、小林秀雄の約80年の人生を数ヶ月で、11年かかった『本居宣長』を数週間で理解するというのがもともと無理な話なのである。

人はなぜか自分はわかると思って本を読む。もしかしたらわかりそうな本ばかりを読んでいるのかもしれない。○○入門、初心者でもわかる○○とか、そういう本がやたらめったらある。それはそれでいいのだが、やさしく、一部だけを取り上げて書かれたその本を読んで何がわかったことになるのだろうか。誰かのまとめや要約を読んで、YouTubeで解説を見て、何をわかったと思っているのだろうか。結局、みんなそのノウハウを知りたいだけで、著者のことを知りたいわけではないのである。もちろんそういう読み方もいい。いいというか今はそういう読み方ばかりなのかもしれない。自分がわかる範囲で理解して、使えるものだけ取ったら捨てる。読書というよりは消費である。テレビゲームに出てくる能力をお金の力で買うようなもんだ。もちろんそういう使い方だっていい、読み方だっていい。でも、その著者の10年が数時間でわかるわけがないということはわかる必要があるのではないかと思う。そして、書いているのは人間だと言うことを。今後はAIも書き始めるだろうけれども、それでも人間は書き続けるだろう。そこに、人間というものが現れるからだ。

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