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予想した未来はやってこなくても、未来を想像できなかったということはない

誰もがこんな未来は予想できなかった、という言葉を使う。たしかに予想はよく外れるものだ。でも、想像もできないような未来がやってくるということは決してない。なぜなら、人が想像できなかったら、そんな未来はやってこないからだ。

SF小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画・・・と、昔からずっと未来に関しての物語、イメージというのはすでに想像されていて、多くの人たちがきっとこういう未来がいつかやってくるだろう、と想像している。だから、どこかの時点で、特にテクノロジーが追いついてきた時点で、これはビジネスになる、現実になると思って、投資したり、行動し始めて、それは現実となるのである。だから、そこにはタネも仕掛けもないのだ。人間ができると思ったから、できるようになるように取り組んで、ただそれを現実にしただけである。

だから、多くの人たちが予想もできなかった、というのは、単に、時期的な問題だったりするだけではないだろうか。ケータイやスマホだって、何十年も前からすでに想像はされていたのだ。でも、そんなのがこんなに早く現実になるなんて、予想していなかっただけなのだ。

だんだんと本題から外れてしまっていってしまったのだが、久しぶりに自分の頭のフレームワークを拡張してくれるような本に出会った。

佐藤航陽氏の『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』という本だ。

よくもまあこんな凄い本が書けるなと思うが、彼ならではの視点(考え方)がそうさせるのだろう。

「メタバース」という言葉はいますでにバズワードになっているが、もうこの未来は来るだろう。遅かれ早かれ。もうメタバースなんてすでに何度も小説に出てきて、何度も映画にでてきて、本当はみんなすでに知っていることなのである。それが、もう旧フェイスブック(現メタ)などの大手企業が兆単位で投資を進めている。だから、これはもう現実になることなのである。

でも、すぐに現実になるわけではなく、5年、10年という時間が経ってようやく多くの人たちに認知されるのである。その時に人は、予想もしなかった未来がやってきた、とお決まりの文句を言うのである。しかし、すでにもう具体的に金も投入されており、それも結局はもうそれができるというのがわかっている(想像できている)から、進んでいるわけで、開発者の頭の中では完全にイメージができているレベルのことなのである。あとは、いつあなたの目の前に現れるのか、あなたがそれをいつ認識するかだけの話なのだ。

メタバースのような世界はディストピアで描かれることが多い。だから、たとえ、それが想像できたとしても、関わらないようにしたいと思う、もしくは、そんな未来なんて来てほしくないと思う人もいるだろう。そういう人たちは、きっと頭からすっぽり抜けて、それがやってきた時に、予想もしなかった・・・、と実は昔ちゃんと想像していたことが起こるのである。

だから、どうなんだ? と言われると、ただそれだけなのであるけども、本紙でも書かれているように、訪れるであろう未来がユートピアになるのか、ディストピアになるのかは、その時代の人間たち次第である。だから、いまのうちからどういう未来が来るかというのを知って、準備することはとても大切なことなのではないか、と思うのである。

これだけ、わかりやすく、こういう未来が来ると書かれている本はそうそうない。でも、ほぼこれは間違いなくいつか訪れる未来のことについて書かれた本であって、単純な未来予測の本ではないと僕は思うのである。もちろん、時期やディティールは異なるかもしれなけど、人はちゃんと設計して、それをつくる方向へ向かって進むのである。だから、いますでに動いているということは、そうなるように進んでいるということなのだ。

それでも、だからどうなの? どうしろというの? という人がいるだろうけれども、僕は別に、あなたの仕事がなくなりますとか、メタバースに投資したらいいとか、そういう話をしたいわけではなく、来るべき未来に対して理解し、準備することで、より自分の人生を自分のものにできる、自由にできるようになるのではないか、と思うのである。

少々暑苦しい言い方になってしまったけど、でも、きっと実際にその世界が現れるまではおとぎ話だと思っている人たちがほとんだろう。でも、もうあなたはすでに知っているのだ。未来はどうなるかなんてわかっているのだ。だから、ぜひ準備してほしいな、と思う。少しでもよい未来をつくるために。世界をよりよいものにするために。

『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』 佐藤航陽著

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