ミステリは卒業できないけど

最近、ミステリを書くにしても読むにしても、ホワイダニットに関心が絞られてきた感覚がある。
もちろんハウダニットやフーダニットが主軸の作品も読むし、読めば実際面白い。でも心には残らない。1年後にはどんな話か思い出せなくなっている気がして、積極的に手に取ろうとは思わなくなってきているのが本音だ。
本格ミステリが嫌いになったとかそういう話ではない。ないのだけど、変に読み慣れてしまったせいか、新しい仕掛けを見せられても昔ほど驚かなくなっていて、最近流行りの特殊設定ミステリを読んでも、「なるほど、面白かったな」で終わってしまう。正直虚しい。

加えて、「犯人=悪」という単純な構図に違和感を覚えるようにもなってきた。犯人には犯人なりの事情があって、そこを丁寧に書いている作品に好感が持てる。最近読んだ中だと岡崎琢磨さんの『夏を取り戻す』が好例で、トリックよりも事件が起こった背景にフォーカスしている構成にぐっときた。また、自分が多方面にお勧めしている逸木裕さんの『銀色の国』なども、大雑把に言えば近い性質の作品だったように思う。

もちろん、トリックや仕掛けの面白さを追求した作品を非難したいわけではない。辻村深月さんの『スロウハイツの神様』でも触れられていたように、ただただ面白いということが誰かを救うこともある。それには同感だし、書き手としてはそういった話を世に送り出せる作家さんたちを尊敬している。
ただ単に、読み手としての嗜好性が変化したという話。この変化は劣化とも習熟とも捉えられるけど、その評価にあまり意味はない気がするので深くは考えないことにする。

重要なのは、この読み手としての変化が、書き手としての自分にも大きく影響していること。そりゃあ結局は一人の人間の内側で起きていることなので、切り離せるわけがない。「自分は何を面白いと思い、どういう小説を書きたいのか」という問いの回答も変わってきた。いや、変わってきたというよりも、読み手としての嗜好性を自覚したことで、ようやくおぼろげな回答が見えてきたと言った方が正確かもしれない。

ここ1年ほど、書き手としても自分なりに試行錯誤を繰り返してきた。
ふと自分の得意分野や書きたいことがわからなくなり、就活で志望業界を決めようとするみたいに、「とりあえず1回触れてみよう」の精神であっちこっちに手を伸ばした。純文学も恋愛も青春もミステリも書いて、ミステリに限ってもハウダニット、フーダニット、ホワイダニットは一通り書いた。
それらの経験と、読み手としての変化を総合的に勘定して、ようやく自分の目指したい方向性が定まりつつある。

少し話が逸れてしまうけど、純文学は「言語化できないものを書くジャンル」という理解が腹落ちしている。もちろん純文学にもいろいろあるし、まだまだ経験が浅いので偉そうなことは何も言えないけれど、実感として、自分は純文学を書いていてつらかった。言いようのない感覚や事柄を手探りで書いていく営みはストレスが溜まる。過去に公募で受賞した作品は純文学寄りだったので適性がないわけではないのかもしれないけど、積極的に書きたいとは思わなくなった。
純文学に挑戦してみたことで、どちらかといえば自分は作品を通して伝えたい明確なメッセージ(主張)を持っているタイプらしいことがわかった。それならエンタメとしての面白さで包装した方が読者に届きやすいと思うし、実際そうしたいと思う。だから自分はエンタメ寄りの書き手であって、そして裾野の広いエンタメの中でも、ミステリを完全に卒業することはできないだろうという予感もある。エンタメとして読者を引っ張るのに外せない要素だと思うし、いろいろ感じるところはありつつも、結局、シンプルに好きなジャンルだとも思うからだ。

「じゃあどういうミステリが書きたいんだっけ」となったとき、序盤に書いた読み手としての変化が絡んでくる。特に気の利いた結論ではないけど、ホワイダニットを軸にして書いていきたいというのが、現時点で、ある程度の確信を持って言える方向性だ。
数あるミステリの中でも、人間ドラマの部分を丁寧に描いた作品が好きで、それらはつまり人の心に迫る話で、何らかの気づきを与えてくれたり、感傷的な気分にさせてくれる。自分もそういった話を書けるようになりたい。そう考えると、自然とホワイダニットという分類に辿り着く。
ハウダニットやフーダニットを軸に展開されるパズラー的な本格ミステリへの憧れも残っているけど、少なくとも今、自分が立つ土俵ではない。「自分らしいものを書く」という観点でも、ここは迷わないほうがよさそうだ。このあたりの確信を得られたことが、ここ1年での進歩だと思いたい。

※以下、記事内でお名前を出させていただいた作品。


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