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人生で大切なことは知覧で学べる。

鹿児島県の知覧という場所に行ってきました。ここは、太平洋戦争の時に多くの特攻隊員が飛び立った場所になります。日本の未来のために、命を捧げた若き方々の存在を日本人として知っておきたい。特攻隊員やそこに関わった人々の想いや願いに近づき、未来の平和について考えたい。そんな想いから、知覧へ足を運びました。『30代を無駄に生きるな』(永松茂久)という本では、「人生で一度は、知覧へ行った方が良い。あそこへいけば必ず何かが学べる。」と説明されていました。また、勤務校の職業講話で講師の方がおっしゃっていた、「今やっていることが未来でつながる瞬間がある」という言葉、これらが今回の訪問のきっかけとなりました。きっかけを大切にできる人になりたいです。

(ちなみに、スティーブ・ジョブズのスピーチで有名な「コネクティングドッツ」の考え方が私は大好きです。知覧とは全く関係ありませんが、こちらはこちらで、非常に学びになりますのでご紹介させていただきます)


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最初に訪問したのが、「知覧特攻平和会館」です。太平洋戦争で戦局が悪化する中、日本軍が考えたのが、爆薬と片道の燃料を積んで、敵の艦隊に突撃する特別攻撃隊(特攻隊)の編成でした。特攻隊は、17〜25歳頃の若者で構成され、特攻隊として出撃することは、「死」を意味するものでした。館内には特攻隊員の遺書が展示されており、戦争の悲惨さや特攻隊員が築きたかった平和な未来について深く考えさせられました。

鹿児島市内から車で約1時間の場所にあります。
爆薬は250kgもの重さだったそうです。

10代、20代という若さで国のために命を捧げた人々の存在を忘れてはいけないと思いました。特攻隊員の遺書の内容は、大切な人を想ったものでした。これから出撃する恐怖や悲しみ、怒り、絶望を抱えた彼らが、人生の最後の瞬間、自分ではない誰かのために想いを残し、託した生き様にとてつもない力をもらいました。「自分が彼らと同じような立場だったら、残された人たちのことを想う余裕があっただろうか」と思いを巡らせてみて、特攻隊員の覚悟を悟りました。「死ぬこと以外かすり傷」という言葉があります。

小さいことでクヨクヨしてはいけないと強く思わされました。

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出撃を控えた特攻隊員が寝泊まりした三角兵舎と呼ばれる小屋です。彼らは、ここで仲間との最後の時間を過ごし、家族や大切な人に向けた遺書を書きました。夜中、小屋の中では、弱々しくすすり泣く声が聞こえてきたそうです。人生の最後の時間をこの小屋で過ごした彼らは、いったい何を思っていたのでしょうか。

半地下式の小屋です。
「自分だったら寝られないな…」と思いながら室内を見学しました。


日本の未来のために亡くなられた特攻隊員の命、この命に意味を見出すのが今を生きる私たちの役目です。

今回の訪問を通じて私が考えたこと、それは「限られた命をどう使うか」ということです。特攻隊員の遺書を読んで、人は最後の最後には、自分以外の誰かのために命を使いたいという想いが浮上するのだと感じました。限られた命を誰かのために使うこと、人はこれを「使命」と呼びます。また、生きたくても生きられなかった人々の存在を知ったことで、彼らの分までこの命を全うしようと決意を固めました。あなたは、自分の大切な命をどのように使いますか?

人生の価値は何を得るかではなく、何を残すかにある。」という言葉があります。どうせなら、誰かの心に残る生き方をしたいですね。あなたが残したものは誰かの心の中でずっと生き続けます。

命の有限さを理解し、この命の使い道を考えながら、今を大切に精一杯生きる。これが一番大切だと思います。人間はいつ死ぬか分からない。今日という日は、昨日亡くなった方のいきたかった明日です。もしかしたら、明日死ぬかもしれない。そう考えると、今生きていることがどれだけ素晴らしく尊いものであるのか実感できます。この命を無駄にしないように生きることに最善を尽くそうという気になります。

そして…
私は「知った責任」として、「あったことをなかったことにしない」ように全力を尽くします。「人は微力だが、無力ではない」という言葉があります。だから、自分ができる微力として伝え続けることはやめません。「社会貢献」「平和」などの単純化された言葉の実態は、もっと泥臭いものだと思います。血生くさいものでもあると思います。平和を語るのは自由だけれど、平和を築くには誰かの自由を犠牲にすることもあるのだと思う。最低限、一人一人の存在が重視される社会に。人間の尊厳が守られる社会に。

ネットでどこにいても情報を入手できる時代だからこそ、自分の足で現地に行き、五感で感じる、この時間を大切にしていきたいです。


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