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選択の心構え

人生は選択の連続です。それは当たり前過ぎて、わざわざ意識している人は少ないと感じます。

美味しいものを食べようとしたり、日向ぼっこをしたり、小説を読んだり、意味もなく散歩に行ったり。自分が選択した全ての行為の裏には、それをしたことによって発生するネガティブな過去が生まれます。美味しいものを食べるために奮発したお金は、何をしたって戻ってきません。人は良くも悪くも、その選択をしたことにより必ず何かしらの対価を払って過ごします。

日常に存在する小さな選択に対しては、その意味を深くまで吟味しません。人生に与えるインパクトが少なすぎるからです。でも少ないからといって、選択は選択です。時間は平等に過ぎます。その時間に選択しなかったことは何をどうしてももう選択できません。

なんで突然、こんなことを考えるようになったのか。今まで考えたこともなかったことです。その理由は、最近強く自分の選択によって人生がどんどん違う方向に進んでいると実感しているからです。きっとその心理には、転職が大きく影響しているのだと思います。

大学で若者の社会移行のアプローチ手段について専攻し、卒業後2年間障がい者の就労移行支援の実務を経験しました。その後東京に引っ越してプログラミングスクールに通い、8月からサーバーサイドエンジニアとして勤務することになりました。エンジニアを志した理由はいろいろあるのですが、長くなるので割愛します。
福祉しか知らない自分がこの選択をして正しかったのかどうかは今でも分かっていません。思っていたことと違ったことがたくさんあり、後悔することもたくさんあります。でも、この大きな選択をした過程の中で初めて実感できたことです。

プログラミングを学習する上で、いろんな人に会いました。その人たちの価値観に触れ、自分とは全く違う考えの人ばかりで困惑する一方でした。
しかし、彼らもいろんな選択を繰り返し、多くの喜怒哀楽に出会い、その結果として築かれた価値観で今の僕に接していると思うと、なんだか淡い納得感があります。

25年前に福井の田舎で生まれ、たくさん失敗し、たくさん落ち込み、たくさん笑い、たくさん考え、たくさんの出会いを経て、自分は今東京のとある図書館の中でこのnoteを書くという決断をしています。誘導されたこともあったとはいえ、全て自分で選択した結果の延長でそうなっています。

他人が勧める方法が自分にとって正解とは限らないし、自分で選んだ道を正解にすることだけが全てじゃない。いっぱい悩んで、失敗して、その上で生まれる感情は面白いかもしれません。

サポートを頂けたら泣いて喜ぶし、その感動をnoteで書きなぐります。