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この沼は深い:映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』の感想(ネタバレあり)

こんにちは。とらつぐみです。先週も寒暖差に怒っていましたが今週は急に「冬」になり風邪引きそうですね。

さて、今週は映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観に行き、呆然としながら映画館を後にし、次の日また観に行ったら休日が終わっていました。

↑公式サイト。メインビジュアルがすでに怖い。
結構内容はえげつない(レーティングはPG12)が何がきついのか自体がネタバレになっちゃうので、「引き返してください、忠告はしましたよ」と鬼太郎みたいなことを言うしかない。

この映画は、言わずと知れた水木しげる原作『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ(第6期)の前日譚に位置づけられるお話ですが、ぶっちゃけアニメを全然観ていなくても話はわかります

何せ、映画のタイトルが「鬼太郎誕生」なのに、全然鬼太郎が出てこない。じゃあ誰の話かというと、鬼太郎の父(のちの目玉親父)と、のちに鬼太郎の育ての親となる水木青年の2人をメインにしています。

結論からいうとその2人の話がめちゃくちゃ面白い。そして、鬼太郎は全然出てこないのに、「鬼太郎」という存在のルーツがしっかり描かれている、そんな映画です。

……こう書いてもよくわからないと思いますが、最初見たときは私も何を見せられたのか、わかりませんでした。

わからないなりに、2回映画を観ての感想をネタバレありで書いていこうと思います。

いつものように心の声多めで書こうとしましたが、感想が止まらず全然まとめ切れなかったので、真面目な感想・不真面目な感想・オタクの妄言の3パートに分けて書きました。真面目な感想を見たい人は真面目なパートだけ、というように読みたいところだけ読むことをおすすめします。

いつもの注意:ここからめちゃくちゃネタバレします。これを読んでる暇があったら、未鑑賞のひとは劇場で見てください。


劇場グッズ。目玉親父ぬいぐるみの白目部分光るのが一番面白い

※12/17追記 映画公開から1ヶ月(まだ1ヶ月!?)経ったので、結局8回観て書き入れていない感想があるので「追記」として感想を追加しています。



美しくも残酷、陰惨だけど希望はある(真面目な感想)


だいたいのあらすじ:昭和31年、謎の血液製剤「M」で財をなした龍賀一族の当主、時貞が死亡した。出世を狙う血液銀行のサラリーマン・水木は「M」の秘密を探るべく村に潜入する。

ところが龍賀一族の後継ぎが殺害され、その疑いをかけられたのが、行方不明の妻を探しに来た幽霊族の末裔の男(のちの目玉親父)だった。水木は男を「ゲゲ郎」と呼び、よそ者どうし手を組もう、と持ちかけるが……


この映画のスタッフ、戦後すぐの街の薄汚れた面と因習村を描くのがうますぎる。

とらつぐみは平成の生まれなので「人づてに/資料や創作物で観た昭和」しか知らないのだけど、工場の煙で汚れた空、タバコの煙が充満してる会社や電車、謎のクソデカ灰皿など、「聞いてた昭和だ……」と謎に納得してしまった。

そこから不気味なトンネルを抜けた先にある村は、景色は美しいけどどこか不気味、時代が変わるのを拒否しているかのよう。鬼太郎というより横溝正史とかトリックで出てくる村だよこれ。


↑遺産相続争いといえば犬神家の一族(これは最近放送してた新版)

↑トリックの因習村も割と血の気が多い気がする

・などと言っていたら、『犬神家の一族』よろしく跡継ぎたちが次々悲惨な死を遂げる。この時点でめちゃくちゃ血が流れてるけど大丈夫そ? 一応この映画鬼太郎なんだけども……

さらに、湖畔に浮かぶ禁足地にある謎の「窖(あなぐら)」、ゲゲ郎の妻の行方と、どんどんきな臭くなってくる。この村、何かがおかしい。村長が糸目でcv.石田彰な時点でだいぶ怪しい。

そしてきな臭さが頂点に達し、おぞましい真実が明らかになった時、人間の悪意が一気に押し寄せてくる。

いや怖いって。冒頭のびっくりドッキリホラー要素が吹き飛ぶくらい、人間(というより龍賀一族)の業が深い。

最初のうちは「なんてひどい殺し方……」「一体誰が……」というテンションだったのに、後半は「滅んじまえこんな一族と村!」という感じになってくる。


・特に可哀想なのは、やはり子供世代ーー村長の息子の時弥と、社長の娘の沙代だ。お前ら子供をモノかなんかと思ってるんか? と言いたくなる。
(ただ実際、この時代は子どもの権利とかそんなものなかった時代。にしてもこの一族はひどいけど……)

都会に憧れて、というより、村を出て自由になるには水木青年に縋るしかない沙代、病弱だけど聡く、純粋な時弥。「完成した東京タワーを見たい」、「クリームソーダを飲みたい」。叶わなかった願いが、とても辛い。


・全体的に人間の悪意の煮凝りみたいな話ではあるけど、鬼太郎の両親と水木青年がそれぞれ力を尽くしたおかげで鬼太郎が生まれ、その鬼太郎が狂骨になった時弥を成仏させてあげることができた、というのは希望が持てる話だなと思った。

第6期アニメの鬼太郎は、一見無愛想で、時には悪い人間を冷たく突き放すこともあるが、なんだかんだで人間を助けてくれるし、心の中では人間との共存を願っている、そんな鬼太郎だ。

アニメ本編も割と人間サイドが酷い話が多いので(?)「あんなひどい目に遭ってるのになぜ……」と言いたくなる。アニメ第1話でその理由は「水木青年に育てられたから」だと明かされている。

例えこの世が悪意に満ちていても、悪いことばかりではない。鬼太郎親子にとって水木はそんな存在だったのかもしれない。



人外と人間のバディは人を狂わせる(不真面目な感想)


鬼太郎のお父さんが!!!!聞いてたより何倍も美丈夫じゃないですか!!!!!(錯乱)

殺人犯と疑われて縛られても平然としてるし、村の輩にいきなり首を落とされそうになっても(野蛮)平然としてるし、不気味な雰囲気がめちゃくちゃあるのに、

台詞よく聞いたら「まあまあお風呂でも入って落ち着こう」って言ってて「あ目玉の親父じゃん????」ってなってめちゃくちゃ混乱した。

んでそのあと、本当にお風呂入ってる!?!?!? いや確かに、毎朝お茶の間に目玉親父の入浴シーン流れてたけど、人間の姿でもやると思わなかった。


※画像はイメージです(目玉親父の茶碗風呂加湿器)

・あとお父さん、あんな不気味なナリなのに、目玉時代(目玉時代?)のお茶目さとかが節々に出てていい。「意図して寄せてる」感はないのに面影がある演技ができる声優さん、すごすぎ。


<個人的によかった親父5選>

・水木の口車に乗せられて村に来た理由を話したけど、座敷牢から出してもらえなかった親父(仕返しに水木を布団ごと座敷牢に入れてやるのも含めかわいい)

・お酒を飲むと妻の惚気が止まらないし泣き上戸になる親父
墓場での酒盛りのシーン好きすぎる。親父は酔うとさらに話長くなって泣き出すタイプ、水木は陽気になるタイプ。

・次女(丙江)が殺された直後、「妖怪は至る所にいるんじゃ」と言いながらゆらゆら揺れている親父
↑このシーン、めちゃくちゃ怖いシーンなのに目玉親父の姿で同じことしてるの想像したら可愛すぎる(重症患者)

・そこまで割と飄々としてたのに孝三が持ってる妻の似顔絵を見て取り乱し、孝三につかみかかる親父
↑飄々としてる男が愛する人が絡むと取り乱すのが好きなだけ

・生まれてくる鬼太郎と水木のために狂骨を全て引き受けよう、と覚悟を決めた親父
かっこよすぎる。その結果あのミイラみたいな姿になってしまって鬼太郎をこの手で抱けなかったの、さぞ無念だったろうな...…

あとエンドロールで水木の隣に越してきたの、自分と妻の死期を悟って人間の中でも信頼できる水木に息子を託そうとした、とかだったら泣いてしまうな(そうでなくても泣いている)。


アクションシーンめちゃくちゃ良い。良すぎませんか??? 各シーンの良さを記憶の限り書いたのでしばしお付き合いください

<禁域の島にて、暴走する妖怪たちから水木を助け出すシーン>
ムカデを手から出すエネルギー波(指鉄砲っぽい?)で制したあと、素手で掴んでぶん投げる。さらにめちゃくちゃコントロールがよく、30hitくらいしてそうなリモコン下駄。そしてめちゃくちゃ足が速い。

幽霊族の霊力とか言う前にフィジカルがすごすぎる。そういえば鬼太郎、ちゃんちゃんこを腕に巻き付けて敵を殴るゴリラだったな……

<展望台にて、裏鬼道の一派と戦うシーン>
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」を体現したような、まさに鬼のような戦い方。動きが速すぎて線画がブレブレになってるのすごい。展望台の手すりを引きちぎって武器にしちゃうところ、めちゃくちゃ好き。

あと2回目で気づいたけど、裏鬼道とはいえ、妖怪じゃなく人間相手だから下駄とか指鉄砲使わずにフィジカルだけで戦ってたりしません???? もしそうだったら惚れてしまう(もう惚れている)。


<窖の底で狂骨と戦うシーン>
親子だから当たり前かもしれないが、鬼太郎の戦い方とめちゃくちゃ似ていて、めちゃくちゃ好き。「一反もめんいらんやん」というくらい素早く動き回り、長く伸ばした髪を振り回して(!)狂骨を捕まえる。食べられそうになったら体内電気。

よく考えたら、裏鬼道の護符とか戦いの傷とかで弱っててこの動きなの、怖すぎるな……

※追記:映画2周目のあと改めて6期アニメ14話(夢の世界で鬼太郎の父(イケメンのすがた)が顕現する話)で観たらめちゃくちゃカッコよかった。数十秒しかなかった父さんのアクションシーンが今になってこんなたっぷり観れるとは全然思わなかったよ...…

↑この回のあらすじだけ読むと「画像の謎のイケメン誰????」ってなっておもしろい

・親父だけでめちゃくちゃ感想を書いてしまったが、水木青年もめちゃくちゃいいキャラをしている。噛めば噛むほどいい味が出る、スルメのような感じだ(この比喩本当に使うことあるんだ……)。

水木青年、序盤は「俺は成り上がってやるぜ」という感じで、龍賀社長に気に入られ、沙代や時弥も口先三寸でいい感じに手懐け……という具合に、割と狡い人物に見える。

だがそうなった背景には、従軍先の南方で数々の理不尽やひどい目に遭い、復員しても惨めさを味わい、「誰かに踏みつけられるくらいなら自分が成り上がってやる」という思いがある、と明かされ印象が一変する。

タフでなければいけない」という呪縛に囚われ、人を利用価値があるか否かでしか見れない(故に愛せない)、という孤独を抱えた人間。それが水木青年だった。

けれど、人間ではないが故にそういう呪縛から自由で、愛する者のためならなんでもする、そんなゲゲ郎の純粋さに触れ、また彼と一緒に秘密を暴いていくうちに、水木は変わっていく。

自分の弱さ、狡さを認めながら、それでも決して諦めない

沙代の心を弄んだ後悔を抱えながらも、ゲゲ郎の妻を必死になって探し、最終的には黒幕・時貞に一矢報いる。

最後の窖の底のシーン、「会社をいくつか持たせてやるから俺の配下につけ」と言う時貞を「お前つまんねぇな」と一蹴し、暴走し始めた狂骨を見て「ハハハッ、ツケは払わないとなあ」とドライに笑う水木。かっこよすぎる。  

狂骨を抑えるため生贄になろうとするゲゲ郎を「いいじゃないか、やらせておけよ!」と言う水木もとても良い。

戦中戦後とも、「自己犠牲」を美化する建前と「誰かを踏み台にしてでも」という本音に晒され続け、その中で自分が踏まれないよう必死だった水木が、家族でもない他人を、自己犠牲なんてやめろよと引き留める。

それは端的に、水木の心に起きた変化を表しているのかもしれない。

頑なだった男が成り行きである男と行動を共にするうちに影響されて心境の変化が起きる話、嫌いなオタクはいない。しかも人外と人間のコンビ。面白くないわけがない。

あとめちゃくちゃ細かいけど個人的に好きな水木5選も挙げておきます。

・1人になると食べ方が意地汚い(言い方)水木。いい食べっぷり……

当時(1950年代)の食糧状況は戦後すぐと比べたら安定してたみたいだけど、東京住みでそんなに裕福じゃなさそうな水木家はお腹いっぱい食べれない時が長かったんだろうな...…

関係ないけど(変な余所者とはいえ一応客人の)水木のお膳が割と豪華なの、「田舎の裕福な家」の解像度高くてすごい。食糧不足は都市部の方がひどかったという話聞いたことあるけど、そこにも水木と龍賀家一族の「差」が感じられる。


・喫煙者だけど葉巻を吸うのには慣れてなくて咽せちゃう水木

↑葉巻は紙タバコと吸い方が違う(葉巻は口の中で燻らせて楽しむらしい)。紙タバコみたいに肺まで入れちゃってむせるシーン、見覚えあると思ったら『相棒』で観たやつだ……


・↑そのあと、龍賀社長に馬鹿にされたのに腹を立て、葉巻を川に捨てようとして「もったいないな」と思い直して背広にしまう水木。
プライドよりももったいないという気持ちが勝っちゃうの、水木の性格が出ていてとても好き。

・禁域の島で妖怪に襲われた時なぜ自分を助けたのかとゲゲ郎に聞き、「憐れみをかけた」と言われて思わずつかみかかる水木
↑憐れみはかけられたくない、でもゲゲ郎につかみかかることしかできない自分が情けなくて力無く手を離すところも含めて良い(水木の尊厳破壊シーンばっかり挙げてるなこいつ)。

・墓場での酒盛り中突然やってきたつるべ火に最初びびっていたのに、しばらくすると慣れてタバコの火をちゃっかりもらっている水木

↑つるべ火は「夜道を歩いてると急に木から垂れ下がってくる火」の妖怪。鬼太郎のアニメシリーズでも「悪いことをする」よりは「お助けキャラ」のイメージが強い。



「鬼太郎」の誕生(オタクの妄言)


さて、冒頭にも書いたがこの映画、ほとんど鬼太郎は出てこない。どれくらい出てこないかというと、冒頭とラストの現代パート、そしてエンドロール後の「鬼太郎が生まれた」シーンだけだ。

けれど、この映画は紛れもなく6期アニメ鬼太郎の前日譚だし、しっかりとルーツは感じられる。それはなぜなのか、ということに関して(考察というのは烏滸がましいが)わからないなりに考えてみようと思う。

①水木青年が「愛」を知るまでの過程を描いている

先程も書いたが、水木は人を愛せないという孤独を抱えた人間だった。

だがその後水木は、墓場から生まれた赤ん坊、鬼太郎を見て「この子は俺が育てよう」と決め、(この先は映画には書かれていないが)鬼太郎が「恩返し」をしたくなるほど、実際愛情をもって育てたのだろう。

水木は戦場や復員後の生活で自身が「使い捨ての道具」にされている、と感じていた。そして哭倉村で目にしたのは、「家」「財産」を守る道具にされていた子供たち。

しかしそこで出会った幽霊族の男はーー愛するもののためならなんでもする人間であり、「幽霊族の末裔」という境遇を子供への「呪い」ではなく「愛」という「祝福」に変えることができる男だった。

※結局3回観た後の追記
「霊毛ちゃんちゃんこ」が生まれたシーンでは、母のお腹の中にいる鬼太郎の泣き声に呼応するように、血桜に囚われた幽霊族たちに霊力が戻っている。あのシーンを見ると、鬼太郎は生まれる前から両親だけでなく祖先たちにも「祝福」されていたのではないだろうか...…

村から逃げ出す最中に記憶を失ってしまった水木だが、心のどこかに、名前も顔も思い出せないが幽霊族の男の生き方が引っかかっていて、それが鬼太郎を育てるきっかけになった。

鬼太郎の父の、人は誰しも運命に巡り合う、自分より大切な存在がいつかできる、という言葉も示唆的だ。ーー水木にとってその存在は、鬼太郎だったのかもしれない。

※8回観た後の追記
水木が「愛」を知るまでの話、とは書いたが、何回か見るうちにふと、この話はゲゲ郎が人間に対しての「愛」というものを知る話ではないかと思った。

前項で書いた、禁域の島を脱出後、水木に「なぜ自分を助けたのか」と問われたシーン。ゲゲ郎は少し躊躇った後「憐れみをかけた」と答えている。

普段のゲゲ郎の口調なら「憐れみをかけてやっただけじゃ」とかだろうに、そこだけまるで誰かの言葉を借りているかのような違和感を覚えたがーーあれは「自分でも助けた理由がわからなかった」からではないだろうか。

何故だかわからないが、気づいたら自分を虐げる「人間」であるはずの水木を助けていた。

それは何故なのかーーその答えは、妻が頻繁に口にしていた「」というものなのではないかと、ゲゲ郎は気づいたのではないだろうか。


ゲゲ郎は最後に、狂骨が地上に溢れ出るのを防ぐため、自らが依代になることを選ぶ。

それは自分の息子と妻を守るためだけではなくーー友である水木、そして水木がこれから生きるであろう人間の世界を守るため。これを愛と呼ばずしてなんと呼べばいいのだろうか...…


②6期アニメ時空における「ゲゲゲの鬼太郎」という妖怪の誕生

妖怪は、そのものの行動や特徴を捉えた名前ーー「砂かけばばあ」「子泣き爺」と言った名がつくことで初めて、人間が認識することができる。

一方、「ゲゲゲの鬼太郎」という名前はどうだろう。名が体を表す、という感じの名前ではない。鬼太郎は「幽霊族」という人間とは違う生き物の末裔だが、(例えば個体として大勢いるがまとめて「河童」と呼ばれるのとは違い)「幽霊族」と呼ばれることはない。

水木が、鬼太郎の父を「ゲゲ郎」と名付け、龍賀家の人々が虫ケラのように扱っていた「幽霊族」のワンオブゼムではなく「個」として認識していたように、鬼太郎もまた、「悪い妖怪を退治してくれる」存在として、「個」として人間に認識されている。

鬼太郎の父の「個」としての名前は、6期アニメの中では出てこず、「目玉の親父」という呼称しかない。親父が水木と関わったことで「ゲゲ郎」という(水木が適当につけた)名前を得たように、「ゲゲゲの鬼太郎」は6期の人間たちとの関わりの中で得られたもの。

そして鬼太郎が、親父の若い頃とは違い、人間と関わって生きることになったのはーー親父と水木、そして鬼太郎と水木の出会いがあったから、ではないだろうか。

この映画が、陰惨な話でありながらどこか暖かく、鬼太郎が全然出てこないけれど間違いなく鬼太郎の話だ、と思えてならないのは、幽霊族の親子と人間の養父の出会いが、アニメ6期鬼太郎の根幹として描かれているから、かもしれない。


12/17追記:まだ語り足りないオタクの妄言


音声ガイド付き上映を観てきました


12/7の上映回から、「HELLO!MOVIE」というアプリを使って音声ガイド付きの上映もあるとのことだったので、6回目は音声ガイド付き上映を観に行った。

「HELLO!MOVIE」は目が見えにくい・耳が聞こえにくい人が映画を見るためのアプリで、音声ガイドはスマホ等の機器にイヤホンをつけると、上映の音声を感知して自動的にガイドが流れ始める仕組み(どうやってるかわからないけどすごい)。

ゲゲ謎の音声ガイドは目が見えにくい人もそうでない人も映画の解説音声として楽しめるとのことだったが、実際ガイド付きで見ると見逃していた細部が事細かに分かり、映画に対するめちゃくちゃ解像度が上がった

例えば「水木の背後に妖怪が映り込んでいる」といった情報だとか(5回観ても全然気づいてなかった)、「水木がゲゲ郎にあげたのはタバコの最後の一本」だとか、いかに自分が何となく映像を見ていたかに気づいた。

...…えっ、あそこでゲゲ郎にあげたタバコ、最後の一本だったんですか!?!?!?(動揺)


とらつぐみは割と動画と音声だけで理解するのが苦手なタイプで『動画で解説します!』と言われると「頭に入らないから文章でくれ!」と思うタイプだ。

そういうタイプの人間にとっても「画面の情景を読み上げてくれる」音声ガイドは理解の助けになってくれると今回気づいた。今後も対応作品が広がってほしい。

また、面白かったのが、音声ガイドといっても淡々と情景を読み上げているだけではなかった点だ。静かな場面は静かに読み上げ、緊迫した場面では緊迫した声色になりと感情がこもっている、というのももちろんそうだが、映画の解説というよりは小説の朗読を聴いているかのようだった。

ゲゲ謎は、登場人物の台詞以外にも映像で何かを暗示する表現を多用している映画だ。

例えば哭倉村に向かう列車の明かりが点滅して消え、「見えないもの」であるはずの戦友の霊が見えるシーン。

似た演出として、行燈の明かりと水木が戦地で見た閃光弾の光と重ねるシーンがある。
(他に木製ベンチの切れかけの電球の下で人ならざるものを引き連れた沙代を見るシーンや、工場の明かりが一斉に消えるシーンもおそらく同じ)

音声ガイドでは列車のシーンと行燈のシーンを同じ「明かりの明滅(めいめつ)」と表現されていた。

最初は「あれ、聞き馴染みない言葉なのに二回も使われてるな」と引っ掛かりを感じたが、後になって光の明暗や点滅でこの世とあの世、あちらの世界とこちらの世界を表現しているのでは? と気づいた。

また、墓場での酒盛りのシーンで夜空の月が「満月なりかけ」と表現されていたのも印象的だった。

水木が来た時は少し欠けていた月は、ゲゲ郎と水木が絆を深めるのと同様に、少しずつ満ちていく。

そして窖の底での一連のシーンでは「満月の光が井戸の底に届く」と表現され、現代パートのラストシーンでは「太陽の光が井戸の底に届く」。

目玉親父にとっての希望の光であった鬼太郎が最後の狂骨を成仏させ、山田記者が哭倉村の出来事に日の目を浴びせることで、暗い井戸の底に沈んでいた人々の恨みを浄化させる。

月の満ち欠け、そして月と太陽の対比にはそんな意味があったのではと、音声ガイド付きで観た後しばらく考えさせられた。


「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」の音楽について


ここまで、ストーリーや作画についてのことはたくさん感想を書いたが、音楽についてはほとんど書けていなかった。サウンドトラックもせっかく購入したので、音楽についても感想を書いておきたい。

↑サウンドトラック。わたしが注文した時は在庫切れになっていたがまた復活したので無事買えました。以下、出てくる曲名はウェブサイトで確認してください。

サウンドトラックに入っている曲は全36曲だが、同じメロディの曲が何曲かあり、映画全体で何度も出てくるフレーズがある。

曲名一覧を見ると、同じフレーズの曲はタイトルが似ているので一目瞭然だが、3曲ある(!)「水木とゲゲ郎」に出てくるメロディは、実は劇中の一番盛り上がるシーンで使われている「『行こうぜ』」とエンディングの「カランコロンのうた」にも登場している。

そして、ストーリーが進むにつれ変わっていく水木とゲゲ郎の関係性が、違ったアレンジで奏でられる同じメロディによって表現されている

ゲゲ郎と水木が村を歩きながら窖の正体について考えているシーンでは、ポツポツと疑念を話すような、大人しい音色。窖の底へ向かい2人並んで走るシーンの「『行こうぜ』」はオーケストラの壮大なアレンジ、そして2人が窖の底で別れる(「水木とゲゲ郎 -友へ-」)シーン、変わり果てたゲゲ郎が水木に逃げられるED(「カランコロンのうた」)では切ない音色だ。

音楽を聴くだけで、その場面場面での二人のやりとりが思いだされて、胸が締め付けられる思いがする。

また、ゲゲ郎関係の曲(のうち5曲)に登場するクロマチック・カリンバの優しい音色もとても印象的だ。

幽霊族の最後の生き残りという孤独や悲しみ、内に秘めた優しさや妻への愛など、あらゆるものが込められた優しく、どこか切ない音色は、まるでゲゲ郎が持つ固有の音色のようだ。そしてその独特の音色が、この映画全体の雰囲気を決めているようにも思う。

※聞き間違いでなければ、エンドロール後の一番最後、鬼太郎を抱きしめる水木のシーンにも僅かだがカリンバの音が聞こえる。この音は、二人を見守る目玉の親父の音だったりして……


……と、色々書きまくっていたら最終的に10000字近くなってしまったので、このあたりにしたいと思います。

もしまだ観ていない人がいたら是非劇場へ、一度見た人もまた観たいなら是非何度でも観てください。ようこそ沼へ。

それでは、またどこかで。

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入場者特典、鑑賞後に開けたら無事情緒がぐちゃぐちゃになりました。助けてくれ〜!(とらつぐみ・鵺)