面白いことしたいんすよ!はつまらん

そのむかし、先輩が「○○さんとなにか面白いことしたいんすよ!」と言われるのがイヤだと言っていた。
聞いたときは「言われるだけマシじゃん。需要あるってことじゃん」と思っていたのだが、いよいよ分かるようになってきた。

たしかに年に4,5回は「一緒に何か面白いことしましょう!」と言われる。

ほとんどの場合、言うだけ言って考えてはくれないことが多い。つまりコレは「面白いこと考えてください。そこに乗っからせてください」という漁夫の利作戦なのだ。エロいのだ。

僕自身が面白いかどうかはおいといて、こういった案件においてはこの言ってきたひとと面白いことが起きる可能性は低い。というより、「これをどうにか面白くしたい」という気概が自分の中に湧いてこない。もちろん相手が行動を起こすこともないので、自然と消滅する。

今思えばあのひとたちは何ができるかも分からないし、何がしたいのかすら分からなかった。ただ、一足飛びに現状を突破したいだけだったのかもしれない。

これは反面教師としてだが、就職活動や初対面で好印象を与える手法なんかにも転用できる考え方だと思う。エロ根性で対人と関わってもいいことがないのだ。

たとえば企業側からしたら「御社のために何かできることないですか?ぼくがんばります」というひとのほうがうれしい。
「この会社でなにか面白いことしたいんすよ!」なんていう言い草より好かれやすい(なんかマジでこういうやついそう)

マッチングアプリで会ったひとに必要なのは「何をしたら喜ばしいと思ってくれるのか。何が好きと感じるか」という問いかけだ。「あなたとなにか面白いことしたいんすよ!」だとなんか怖い(これはさすがにいないかも)
「は、はぁ…やればいいんじゃないっすか?」と苦笑いしかできない。「面白いところあるから連れてってあげたい」のほうが全然印象いい。

・面白いこと
・面白いひと

みたいなものを追っかけてしまうと大事なものを見失いがちになる。
これらは相対的に面白いとされているからだ。

・(今より)面白いこと
・(周囲より)面白いひと

を潜在的に求めているケースが多い。ここではないどこかへ、今ではないいつかに、今日ではない明日へ、君ではない誰かへ飛んで行こうしている。

もちろん退屈なことをしながら生きていて、面白いひとと時間を過ごそうというのは無理がある。怠けていながら鍛えて勉強してきたひとと並ぶのも無理がある。

なにもない、なにもないと嘆くよりも今あるものを鍛え上げるほうが早かったりする。


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