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僕たちが自由じゃないのは自分を律していないから

自由を求めバンドマンを目指す中高生は多い。僕もそうだった。あれから思うのは、自由を手にするならば「自律」が必須だということだ。

たしかに音楽の進路を選ぶと自由は多い。

フリーターまがいのため、責任もないし、仕事がイヤなら辞めちまえばいい。

酒を飲み過ぎて翌日つかいものにならなくても「俺ぁよ…!ロックだからよぅ!」みたいなわけのわからんことを言っていれば、社会適合した連中へカウンターもとれる。

こんなことをして20代を過ごしてきたので「自律筋」みたいなものがすっかり衰えてきている。ここ6日ほど、毎日Tik Tokに曲を作ってUPしているのだけど、この程度のトレーニングをしているだけでもハァハァしている。

ほんの少しの自律が生活に紐づくだけでも大変だと感じる。
もともとの根性がダメなせいで「つらいよう、つらいよう」と苦しくなる。まぁでもやるのだ。モチベーションとかではなく、やると決めたからやっている。曲作るだけだし。

だけどこれ、「朝作る」というのが効いている。たぶん夜だと作れない。グルコースが満タンの朝だから意志力が保たれている。

この『意志力(ウィルパワー)』というのは、物事・目標を成し遂げる力のことを指す。意志力には1日に限界があると言われており、「選択の機会」と「選択の回数」で少しずつ目減りする。だから夜にできないのは当然だ。

本日僕はボクシングの試合があるのだが、これも「自律」と隣り合わせだ。

体重を合わせなきゃいけないので、一ヶ月ぐらい前から5kgぐらい落とす。プロじゃないので、メチャクチャな節制というわけではないけれど、なんでもかんでも食べないようにしなくてはいけないし、決まった時間にそれなりに毎日走ったりトレーニングしないといけない。これも朝に終わらせる。

体感的に「10時ぐらいになったら一日のやるべきことがほぼ終わっている」という暮らしはかなりラクに生きることができる。

でもこういった「ほんの少しの自律」があると余計に思う。僕たちバンドマンの「自律心」というのはじつに弱っちいものであると。やはり普通のひとより意志が弱いと感じる。奮闘してフリーターライフが育んだ甘ったれた根性という名のツケを返済するしかないのだ。

だけど自分がやれる範囲の「やらないといけない、やるべき、やったほうがいいこと」をずーっと放ったらかしにしていると

・自由がなくなる
・シンプルにダメになる
・孤独になりつつ嫌われやすい
・つまんなくなる

みたいなことが起きてくる。

コロナ事変から「自由によるデメリット」というのが可視化された。
「なんでもやっていいよ〜」の果てに最低限を下回り、その果てにどうしようもなくなってしまった色々なものが東京には転がっている。

次の世代はこの自由を与えられすぎて落ちぶれた僕たちを見ているから、ある程度「自由は毒!」と思っているんじゃないだろうか。

それにしても30歳を過ぎたのに今だに僕も自由がほしくてたまらない。自由中毒者だ。今ある自由が失われることも嫌だし、さらにぶっとい自由を求めている。

でもこの「ぶっとい自由」というやつは間違いなく、自律の先に存在している。自律なき自由がもたらすものは崩壊しかない。

水原一平容疑者が出廷した。足錠をかけられている絵が印象的だった。

司法における手錠や足錠、牢獄、というのは「お前は自律から逃げ続けた。だから行動の自由すら奪う」とメッセージにも聞こえる。

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