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偽物の子どもたち

あるところに、偽物の子どもばかりいる町があった。

子どもたちは「お前らは偽物だ」と言われながら育った。彼らは本物の子どもたちのスペアだった。

別の町で、生き生きと暮らす本物の子どもたちが病気になったり、死んだりすると、偽物の子どもたちにお呼びがかかるのだ。

大人たちは口を揃えて「どんな物事にも代役や数合わせは必要だ」と彼らに繰り返した。

そして、彼らはその役割のために日々を一生懸命生きていた。

その日も偽物の子どもたちは楽しく暮らしていた。本物だろうが偽物だろうが 、日常生活に目立った違いはなかった。

何でもない日の昼下がり、偽物の子どもたちが住む街に一人の老人が迷い込んだ。



老人は自分が子どもの頃に、大人たちから「世界には偽物の子どもたちの住む街がある」と聞き、ひたすら探していた。


そしていつの日か「偽物の子どもたちの暮らしを見てみたい」という願望を持つようになった。

「自分と何が違うのか」
「目鼻立ちや肌の色は違うのか」
「寿命は、知能は、体力には遜色があるのか」
「言葉は操るのか、それとも記号や信号のような交信方法なのか」

想像は無限に膨らんだ。

何年も何年も偽物の子どもたちの街を探し続けた。
少年は青年になり、一人の男になり、老人になってもただただ街を探した。

「この世に検索しても出てこないことがあるとしたら、その街のことぐらいではないだろうか?」と言うぐらいには日々を費やした。


そして、ようやく街を発見した。

街を見つける頃には彼はすっかり疲れ切っていた。

年齢は一世紀を越え、彼自身の時間はもうほとんど残されていなかった。


「元・本物の子ども」は当時の面影など、もう微塵も残っていなかった。


そして偽物の街に、本物の街の住人がたどり着いたのは初めてのことだった。

老人は弱った足を、少しずつ交互に出した。竹馬のように頼りない歩行は人生の晩年を象徴しているようだった。


何人もの子どもたちがいた。だが偽物の子どもたちは、みんな下を向いていた。

着るものや食うものは最低限で、表情は暗い。見えない何かに押しつぶされ、気持ちが沈んでいるようだった。

声をかけると、子どもたちは逃げ出した。


老人は静かに驚いた。


自分がかつて持っていたのあの少年期特有の輝くような明るさを、偽物の子どもたちは持っていなかった。


偽物の子どもたちは四六時中、大人たちから「偽物」の烙印を押され続けた。

そのせいで彼らの人格は、くもり空のように淀んでいた。


老人はぞっとした。
しかし、彼はこの町にいることにした。自分の人生を捧げてきた未開の地に骨を埋めるつもりだった。そして何よりも偽物の子どものことを、もっと知りたいと思った。



人柄の明るさ、暗さというものは、伝染するらしい。

そこで数日も暮らすと、老人はすっかり暗くなってしまった。彼は偽物の子どもたちと話すたびに、どんどん嫌な気持ちになった。

100年近くも離れた年齢の人間にここまで影響される自分に、いや影響という名の呪縛のもと、進化を遂げた種に、運命に、DNAに嫌気が指した。


彼の心は次第にわけも無い嫉妬心と、怒りと悲しさに包まれた。


すべてが悲観的に映り、何もかもが否定的に聞こえるようになった。まわりがもっと不幸になればいいのに、と呪うようになった。



老人は本物の子どもたちを、偽物の子どもたちの街に連れてくることにした。
偽物の子どもたちの街には悪党がたくさんいた。


彼は拉致のフローを組織的に作った。


「不幸な人間を増やす」という目的のためだけに数多くの子どもたちが、本物の街から偽物の街へと連れ去られた。


本物の子どもたちは、知らない街で暮らさざるをえなくなった。

最初は明るかった彼らは次々と陰気になっていった。数ヶ月で1000人以上の本物の子どもがこの街に連れ込まれた。


偽物の街に住む大人たちは、本物と偽物の子どもの区別がついていなかった。「その街にいる子ならば」と自動的に、偽物にしてしまうきらいがあった。

他の子らと同じように、「お前は偽物の子どもだ」と本物の子どもたちを教育した。

さらに加速して、子どもたちは「偽物」へと改造されていった。



そして本物の子どもが足りなくなるたびに、彼らは本物の世界へと「出荷」された。

歪んだ性質のまま、本物の世界に放り込まれていった。

たまに暗い子どもを見かける。

僕ら大人から見てもやけに暗い子どもだ。

それは、もしかしたら偽物の子どもなのかもしれない。


実際の僕がそうだった。



小学校に上がったばかりの年、偽物の子どもたちの町から、連れ出されて、本物の子どもの代わりとなった、元・偽物の子どもだったのかもしれない。


1995年に大きな地震があった。


町が壊れ、子どもの数がたくさん減った。


補充が行き届かず、僕たちスペアの割合は全体の2割ほどを占めた。


偽物の子どもたちの街の出荷数も記録的な年だった。

時が経つにつれ、やがて本物の世界でも、ちゃんと子どもたちが生まれだした。割合は安定の様相を見せた。


しかし、元・偽物の子どもたちは、街に帰ることはない。


被災世代の子どもたちの割合は一定のままだった。スペアである僕たち「偽物」は、そのまま大人になった。


スペアはスペアなりに、必死だった。本物たちの成長に、死に物狂いで食らいついた。だが、難しかった。キチンとした心で育まれなかった心は何をしても駄目だった。


陰気な心を持つ仲間たちは次々と死んだ。


自ら命を絶つ者、犯罪に手を染める者、クスリに手を出す者。


耐えきれない仲間たちは、大人になれなかった。



偽物の子どもの心には、ぽっかりと穴が空いている。

むかし、空いていた穴がなかなか埋まらない。


偽物の子どもは大きくなっても、みんな同じだった。満たされない、何かを失くしてしまった人間となった。


みんな何かを満たしたかった。満たすための行動をとった。でも器の方が空っぽでは、いくら注いでも溢れていった。


同じ「偽物の街」出身だと仲間と分かると、僕らは仲良くなった。肩を寄せ合うようになった。


お互いの過去を照らし合わせなくても、仲間だと分かった。

失くしたものが似ている人、とでも言うのだろうか。

僕たちは同族を、嗅ぎ分けることができた。



潜在的に仲間だと分かる。

気が合う人、懐かしい気がする人と出会うと、ささやき合い抱きしめ合った。

そうすると、心に空いた穴が埋まった気がして、気持ちが落ち着いた。

僕は、誰かの穴を埋めるために、生きることにした。こんなふうに誰かの器を埋められたら、嬉しいと思ったからだ。

僕は今日も、自分とあの人の器を満たすために、何かを探していた。

人生はやり直せない。だけど何かを探しているあいだは死ねないようにできているらしい。

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