2015夕暮れ撮影会

年表的に見ると、渦中が泳ぎやすくなる

エグめの日々が続くと、心は暗くなる。

バンドが解散したことによって、ようやく年表見聞のような心持ちで、あのエグさも素晴らしかったことも清濁併せ吞みつつ、味わえるようになった。


こち亀が終わったときも思ったが、「見る」なんて、終わらないとできない。

「寿司屋になってからつまんない」とか「部長が狂ってからいやだ」とか「本田があんまり出なくなってから女ばっかでてきた」とか、こち亀もいろいろ言われていた。しかし終わってみると「あの時期」というようなことが言える。

部長が出ていた時期、寿司屋じゃなかった時期、本田ばっかり出ていた時期。

たぶん終わらないと僕らは「時期」を観察できないのだ。

戦国時代なんかもそうだ。


終了しているから「応仁の乱」とかいう名前をつけて、「1467年から1477年まで」というデジタルな見方ができる。

当時の人々の気持ちになってみるといい。1470年ぐらいのときに「時期!」みたいなこと絶対思えないだろう。それこそ未来永劫に戦乱が続くと思ったんじゃないだろうか。

あっちこっちで日常的に殺し合いがありまくるとか、ストレスキツすぎる。
シリア的な乗り心地なのだろうか。 

平和ボケした僕たちのイマだって後から見ると、きっと時期なのだ。

日本政府がまだまだ続くと思っているし、県や国境、警察に学校、果ては国というシステムが終わるなんて思っているひとは少ない。

だけど未来永劫続くものなんてない。

「日本という国があった時期」という見方がやってくるタイミングもいずれ来る。

いろいろ書いたが、「その渦中にいるひとは時期なんて考えられないぜ」という話だ。流れのなか真っ只中って必死なのだからしかたない。


僕がやっていたバンド、QOOLANDもそうだった。2015年から2016年という時期はかなりキツかった。

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