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命懸けでバンドをやるってどーいうこと

「命懸けで音楽をすること」について考える時間が多かった。 

バンドマンは同世代に比べて不安定かつ経済的ハンデのある20代を送るため、同級生とは異なる死生観を持つようになりがちだ。

そして『死』というやつは苦痛や取り戻せない周回遅れ、借入金などすべてをチャラにする妖しい魅力がある。

それこそ僕はスーパー命賭けでバンドをやってきたつもりだった。「命かけてゃ偉くて、かけてないと劣悪😩」という認知の歪みをベースに人格を形成していた。

高校の三者面談では

「先生、俺は歌やって生きてくねん」
「やめとけ。歌手になった教え子なんざおらん」
「27までに売れんかったら首吊るわ」

という会話をして定量化などできない『覚悟』の量をアピールして気持ちよくなっていた。それだけで異質かつ、特別な存在になった気がして興奮していたのだ。

「命懸けでバンドしてる」という選民意識のせいでマジメに働くことができなかった。バイトは足かけのような感覚がどうしても抜けず、そのせいでより一層「音楽何とかしないと人生詰み」というライフプランが形成されていった。

QOOLAND解散後に経済的ダメージを盛り返すため起業することにした。

誰に何をされたというわけでもないのに謎のリベンジャー魂で、節操なく会社を拡大しまくった。最大規模のとき、バンドマンが200人ぐらい働いていた。
その組織は肥大しまくり3年ほど前に瓦解した。そのタイミングでまたイチから新しい太陽光会社を作り、僕はまだふにゃふにゃ生きている。

今、分かったのはあの「命懸けで音楽をやっている」という感覚は大間違いだということだ。

というよりじつは【全部が命懸け】なのだ。
なぜなら命=時間だからだ。

働ける時間が20〜60歳ぐらい、つまり40年。一日起きているのが15時間ぐらい。と考えると40×15=600時間。

人生のメインコンテンツは、この自分の600時間という命を交換していくゲームなのだ。

僕の高校の頃からのロジックは「若い時間をすべて捧げているから命懸け」ということなのだが、これはザックリしすぎている。若かろうが何だろうが600時間は600時間だ。ここで認知を歪めていいことなんてない。

バイトの時給こそ分かりやすく命を売っている。
「自分の人生を1時間単位で切り売りし、1000円ちょいに換金する」という人生のバラ売りなのだ。

これはバラ売りしていた立場のときは分からなかった。たぶんバラ売りしてくれるひとの命を買う立場になって初めて実感したのだと思う。

ひとを雇うということは他人の600時間という命、その能力を換金してもらうことに他ならない。

僕は会社をやるということはイコール「人間を雇うこと」だと信じているので、それぐらいシビアな関係だと思っとかないといけない気がしたのだ。

限りある600時間を誰に、どこに、どう渡すかと考えると、嫌いな人間と過ごすのも、辞めたい仕事を続けるのも、「ラクだから」なんて理由で切り捨てられないのももったいない。

僕たちは気を抜くと自分のことを尊重してくれない人間や場所にジャブジャブ命を溶かしてしまうときがある。600時間しか命はないのに。

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