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簡単に話せない話

たまに言われる言葉がある。自分が言うときもある

「もっと簡単に言ってくれ」

コレについて改めて考えてみた。いやはや「簡単に言う」ってむずかしい。

「簡単」なのに「むずかしい」というパラドックスに陥っている。別にトンチでもないし、何かをごまかしているワケでもないのだが、事実むずかしい。


美味いカレーを食べて「美味い」と言うのは簡単だし、100万円のギターに対して「高い」と言うのも簡単だ。

こんなテーマばかりだけなら、楽なんだけど、世の中どうにも「簡単に言えること」ばかりでは無いらしい。

そんな簡単に言えるようなことばかりなら、もっと生きやすいのかもしれない。そしたらとっくに言っていることばかりになる。

言いたいけど言えないことで、僕らの細胞は作られている。だからこそみんな、どうやって言えば一番いいのかを考える。

たとえ話を引いて、補助線を引く。
わかりやすくなると思っているからだ。考えに考え抜いて、「つたわれ!」と祈りを込めて言葉を紡ぐ。


「簡単に言えない」っていうのは、1か0はない状態にありがちだ。

完全と不全、正義と悪。白と黒。そんなことは口にするのは簡単だ。
というよりそれらはまやかしで、ハッキリとした定義なんて無いのが真理だ。

できそこないだからこそできている。
戦争の裏で守られている平和もある。
犯罪の裏で救われている命もある。

この世はハッキリと断言できないようなものばかりだ。

簡単に言えることは、簡単に言うのが一番いい。簡単に言えることを、むずかしく言うのは、なんだかズルイ。

だけど、軽々しく口にできないことばかりだ。

簡単に伝えたいけれど、簡単に済ましちゃよくない。

真剣に考えているフリもいらないけれど、浅すぎても及ばない。

そして簡単そうに見えることでも、深く考えると、その中にあるむずかしいものに、目が行くようになったりもする。

「簡単」にも、いろんな「むずかしい」が隠れていることに気付く。

コンテンツに深く潜っていくと、もうそれらを簡単に扱うことはできなくなる。

たとえばの話だ。

「自分の好意を相手に伝える」のは、簡単ではない。

その人に自分の好意を伝えたいとき、そして届いてほしいとき、僕たちはいつも四苦八苦しているなぁと思ったのだ。

リスペクトを伝えたい人、世話になっている人に礼を尽くしたいとき、誰かに愛情を伝えたいとき。

それらを「おれ、むっちゃ好きっすよー!」だけで、済ます勇気が無い。
「むかしから好きでしたわ!」なんて言えない。
「むっちゃ好きなんすよ!仲良くしてほしいっす!」なんて不可能だ。

僕たちは相手に、「こんなふうに好きっす!」や「これだけ好きっす!」と吠える。どれだけあなたが僕にとってスペシャルな存在なのか、と必死に伝えようとする。

でも、それもまどろっこしくなってしまうときがある。

伝えなきゃいけないわけでもない。
だけど、どうしても分かってほしいらしい。届く保証なんてないのに伝えないと気が済まない。

どう言えばいいのだろうか。正解なんかあるのだろうか。

言語は何かを定義するときに関しては、優れたコミュニケーションツールだ(相互理解が前提だが)。だけど、肌感覚みたいなものを伝えるときにどうにも不便だ。

なんていうか、やはり簡単には言えないのだ。

僕はイマ新しいことを本気でやっていて、だけど前にやっていたことも愛している。どっちがどっちなんて言えない。

簡単な「たのしかったっす!」なんて言葉では表現できない。きっと正確に伝えることもできないだろう。

ただひとはいつまでも進むしかない。後ろ向きだとしても、そのままバック走で走っていくしかない。

一つだけ言えるのは思い出は、ちゃんと歳をとるということだ。
やがて衰え、やがて死ぬ。そしてそれを覚えてくれていたひとも死ぬ。

走りだした何かに吸われるように消えていくのだ、まるで汽笛の音みたいに。


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