2016/07/28

また公共の場所に注意喚起が増えた気がする。
駅や公園、食品やライブハウスの楽屋。何から何まで過保護に注意書きが書かれていて、
もはや適度という域を完全に超えている。
「気をつけろ」も与えすぎると変に甘えた人が量産される。自己責任で生きていきたい。

どこにいても「気をつけろ」が多い。

個人差があるかもしれないけど多いと思う。
「アブナイ!もっと増やせ!」と思っている人もいるかもしれない。

でもホントに注意書き、多くないかな。どうだろう。

駅には歩きスマホ禁止。と書いているし、
公園にはボール遊び禁止、大声禁止、自転車乗り入れ禁止。
楽屋にも貴重品の管理の注意。

僕らが危ない目に合わないように注意してくれてるのは分かる。

それにしてもちょっと注意多すぎじゃないかとも思う。

公園の画像を貼り付けよう。

僕がもしこの公園で遊ぶ子どもだったら
「もう、むしろやっていいことだけ書いてくんない?」と思う。

これだけの量の「気をつけろ」を浴びると、無意識に責任感がおかしなバランスにならないだろうか。
自己責任感を育む大切さよりも、浴びる注意の質と量に論点がいきそうだ。

「もっと分かりやすく注意しろ!」とか「もっといっぱい注意しろ!」ばかりで、
「自分で気をつけよう」が鍛えられる気がしない。

子どもの時、やって良いことと悪いことを色んな場所で学んできた。
あれらを学ぶにはある程度、自問自答し、思考するあたまのスキマが必要だったんじゃないかな。

僕の場合は「これやったらおもろない!?でもやってええかな?アカンかな?」と自問自答してきた。
そしてあれはたぶん必要なカリキュラムだったんだと思う。

自分で考えてるうちにルールや安全の中で、何かを創ったり、倫理観を整えられるようになった。
それを守ったり破ったりして、時に失敗して学んできた。

だけどこれだけの量の「やんなよ!」があれば、もはや自問自答などする必要がない。
完全にこれら注意書きに依存してしまえばいい。

失敗したら「この注意書きに書いてなかったから」と言えばいい。
この看板にはそれぐらいの全知全能感がある。

しかしこれが続くと他のことでも、失敗した時に
「だって誰も注意してくれなかったんだもん!」というロジックを持つ大人にならないものだろうか。

もっといえば、人生の勝負を仕掛けるタイミングで、
責任感の無い斬れ味の鈍った人間にならないだろうか。

子どもと同じく、大人にも生活の中でやって良いことと悪いことがある。
大人の場合、「法やルールを破らなければOK!」というわけじゃない。
もっとシビアだ。逆に安全を犠牲にしてでも進まなきゃいけないケースもある。

たとえば会社の飲み会の帰り道。
同僚の女の子が飲み過ぎでブッ倒れそうだ。
どうやら昨日彼氏にひどいフラれ方をしたらしい。
凄い飲み方してたもんな。完全にヤケ酒だ。
ちょっとかわいそうだ、うわ酒くせ。

しかしどうやらあなただけが
帰り道が一緒らしい。

送ってやるか、どっかで寝かせるか・・・と思ったらうわこいつ泣きだした!吐きそうとか言ってる。
嫌だなぁ。

どうしよ、帰り道一緒ならタクシー呼んで送って帰るか、朝までグチに付き合ってやるか。
あぁでも会社の同僚の面倒をそんな時間まで見てるなんて、彼女に誤解されるかも。
誤解されたら嫌だなぁ。

というシーンがあったとする。

その時に「僕は彼女いるんでおつかれさん!グッナイ!」

と酔っ払って泣く同僚を路上に見捨てて帰るのは、やはり違うと思う。

もちろんこの同僚女子がシラフでしっかりしてれば全然帰っていいだろう。
しかし、ほとんど急アル候補生だ。危ない。一応かわいそうな事情もある。

もちろんあなたはその同僚の面倒を見る義務も無いし、法も違反していない。

このやらなくても罰せられないけど、自分の倫理観に基づいて、やること。
これが「自主的な責任感」ってものだと思う。

やはりこういう時は、面倒見る人でいたい。彼女には後で説明すればいい。
あなたの彼女が素敵な人ならそれをとがめたりはしない(たぶん)。

僕の場合でたとえてみる。
QOOLANDもバンド活動の中で色んな勝負の仕掛け方をしてきた。

ステージや制作、すべてにわたって、自分たちらしいやり方であなたの心を動かしたいと思っている。

でも何かしら新しいことを仕掛けるときは不安もある。
それでも出来ると信じて勝負をかけている。 もちろん結果、失敗もある(結構多い)。

それでも「失敗したらコワイから何もしない」というのはイヤだ。
行きたい方向に進むには、勇気がいるときもある。

なるべく僕は「勝負をしている」という血の通った活動をしていたい。
誰に指示されるでもなく、自分個人でそう思っている。

こう書くと妙に立派に聞こえるかもしれないが、そんなことはない。
逆に考えてみてほしい。

「ステージや制作、すべてにわたって、適当にノロノロやる。
賛否あることにはなるべく手を出さない。曲もまわりと似せとこう。怒られたくないし。
新しいことを思いついても失敗するリスクがあるから別にやらないヨ。たぶん無理だし。
目付けられたくないし。とりあえず無難にやりすごしていこう」

そして「なんで何もやらないの?」と聞かれたときに 

「だって誰もやれって言わなかったんだもん!」

という伝家の宝刀を持ち出すのだ。結構ヤバい。ダサイ。

やはりダサくはなりたくない。

もちろん良い活動をやらなくても法に裁かれることはない。捕まることもない。
これも自主的な責任感に当てはまると思う。

自分のために自分らしくいたい。
公園の注意書きに場合「ダサくなるな」とは決して書かれていない。

ここから先は

723字

¥ 100

音楽を作って歌っています!文章も毎日書きます! サポートしてくれたら嬉しいです! がんばって生きます!