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ブラックフライデー知ったけど物欲が蘇らない

「ブラックフライデー」という単語を知らなかったのだけどようやく知った。アメリカの年末商戦のことらしいが、Amazonのおかげで日本に定着したものらしい。

物欲がめっきりなくなってしまったので、心が踊らないイベントなのだが、モノに血湧き肉躍らない自分が少々寂しい。
一応アクセスして何が安いか確認はしたのだが欲しい気持ちが湧いてこなかった。いろんなものの値段を見ることで「これがこんなすんの!」と思ったり「想像以上に安い!」と感じるぐらいだった。

生まれてからの時間が経つにつれ、人間はカタチにならないものばかり欲しがるようになるらしいのだが、たしかにそう思う。

「裸になっても残るもの。風呂場に持っていけるものにお金を使うといい」と誰かが言っていたが分かる。
実体験的にも肉体改造系や経験の購入はモノを買うよりも満足度が続く。

旅、イベント、レーシック、ホワイトニング、ジム、脱毛、整形とかだろうか。

ここんとこ「身体を柔らかくしたい欲」が強い。
もともと、身体はずっと硬いのだけど、先日ドジョウを食べる機会があった。あれのせいだ。

浅草にある創業200年という時空がぶっ壊れた店でいただいた。1801年創業だそうなのでナポレオンとかの時代からある。そのせいで基本あぐらなのだ。賭場の様子としか思えない。

あぐらや座敷ならザラにあるのだけど、テーブルやちゃぶ台がないのだ。「テーブルの概念」みたいな厚さ5cmぐらいの木の板があるだけだ。そこにドジョウはやってくる。

「ほぼ地べたに置かれたもの食べる」という経験を久しぶりにした。低い位置にある食べ物に対し、あぐらをかいたままアプローチするので、あぐらのまま上体を倒したりしなくてはいけない。

僕は「あぐらをかく」というアクションが拷問になるぐらい股関節が硬い。不可能ではないのだけど、ずっと関節技サブミッションが極まる寸前みたいな緊張感がある。

郷に入っては郷に従うのが好きなのだけど、これが満足に味わえないというのがずいぶんつらい。昔の日本人はみんな股関節の可動域が柔らかかったのだろうか。椅子の文化になって、我々は衰えてしまったのだろうか。

「身体が柔らかくなるアイテム」というものがあったら間違いなく買っていると思うのだけど、そんなものはないらしい。

物欲はないのだけどヘルシーパラメータが平均より低いところがあると補足したくなる。柔らかいひとが羨ましい。ドジョウは4500円もした。「これがこんなすんの!」と声に出して言った。

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