年とか!

先日、年下のつらい話に付き合っていた。

そうかそうか、つらいか。
わかる、わかるぞ、つらいよな。でもな、つらいことがあんまりつらくなくなってくるんだぞ。

という話になってしまう。年上風をビュンビュン吹かせてしまう。

でも10代から25歳ぐらいまでは世界には年上だらけだ。そういう時期だ。目も開けられないぐらいの年上風が吹きすさぶ。爆風の中で生活するようなものだ。大変だ。すまない。

もちろん「そんなのつらいうちに入んないよ」という言葉はなんの救いにもならない。むしろ理解されない絶望に直結する。

そのひとの「つらい」は一切和らがないが、それでも「それはそんなにつらくないぜ」はひとつの真理だ。

「大人になる」というのは「グロいことを見過ぎたせいで不感症になる」と同義だ。若い時に比べると、取り乱すことは減るに決まっている。

僕もむかしなら耐えきれなかった一刀を、止められるようになってきた。それもガードもせずにだ。

もちろんつらいことはつらいが、立ち直りが早くなってくる。深手だったダメージもかすり傷になってくる。解散!的なダメージも三日も経てば元どおりだ。

たぶん肌で知るようになるのだろう。

カタチあるものいずれ滅するということ、諸行は無常であること、盛者だって必衰であること。

変わりゆくし、同じ位置にあり続けるものなんてない。それをだんだんと、だけど確実に掴んでいくのだろう。

では「痛みが減るのが豊かか?」と問われると難しい。

YesでもあるしNoでもある。痛むからこそ生まれるものがある。そして僕の細胞はそういうもので構成されている。心が飢えないと無からものは生み出せないからだ。

だけど気力の充実がゼロだと、それはそれで何も生み出せないのだ。バランスがほどよくいる。

中立というわけではなく、右を出したら左を出して進む竹馬のようなしくみだ。痛みと回復を繰り返して、創作を重ねていくのが一番だ。


こんなことがいっぱいある。

部活と勉強
恋愛と仕事
創作と模倣

対立した要求に見えるけど、じつは片方の充実無くしてもう片方の充実もない。ライフワークに位置するものは、おおむねそんな力関係になっているらしい。

その中でも「泣くことと笑うこと」という対立項目は人生でも最重要に位置する。ヒトとしてのライフワークだ。

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