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できること

交通事故に遭って、怪我をしてサッカーができない期間が4ヶ月半を過ぎました。サッカーだけでなく、色んなことができなかった。

病室から外を眺めるのは辛かった

腓骨と脛骨を分節骨折していて、なかなか外を出歩くことも容易ではない。そんな間にも体力はどんどんと落ちていく。ただ、いまは自分の右足は回復のために戦ってくれているんだと思う。

この期間に何か自分にできることはないのだろうかと考えました。

サッカーすることで子供達に何か与えることができていて、それを子供達が喜んでくれていたことに自分は喜びや生き甲斐を感じていました。

ラオスのアカデミーへ衣服20着を寄贈。僕からではなく、ラオスの若い選手から寄贈させた。

しかし、それが突然止まってしまいました。

必ず復帰すると決めて病室でもたくさんリハビリをして、できる限りの筋力トレーニングをしていました。

ただ、下肢の骨折であり特にサッカーで鍛えた筋肉を維持するのはなかなか難しく、だんだんと筋力が低下していくのをものすごく辛く感じた。

何十年と蓄積したものだったからね。

でも、子供たちや周囲は怪我している僕をサッカー選手として捉えていた。

僕にとってサッカーは夢を与えてくれたもの。


だから、自分が再定義したサッカー選手ってなんだろう?というところに立ちかえると「夢を与えてくれた存在」であり「憧れた存在」でした。

サッカーの傍で続けていた国際支援の活動を病室のベッドの上から取り組んでいました。

結局、モンゴルへ80足とカンボジアへ20足という合計100足ほどを寄贈することとなりました。

カンボジアははすでに到着して選手が着用してくれています。

モンゴルは船便でゆっくりではありますが来月あたりには到着する予定です。

モンゴル代表への寄贈、調整

人生において、何か価値を与えることができているというのを感じられることは喜びであり、それが原動力になるんだなと改めて感じました。

だからこそ、そこに戻りたい。

いまは心と体、現実と理想のギャップの中で
そんな海原の中をとにかく泳ぎ続けている気がする。

復帰という対岸に泳ぎつきたい。

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