渡邉卓矢 / 東南アジア サッカー選手

プロサッカー選手 / 一般社団法人Zelos 東南アジアを中心に(世界7カ国)選手とし…

渡邉卓矢 / 東南アジア サッカー選手

プロサッカー選手 / 一般社団法人Zelos 東南アジアを中心に(世界7カ国)選手として活動する傍らで、社会貢献活動に取り組む。AED寄贈、孤児院訪問、シューズ支援は6年間で800足以上。(HP)http://takuyawatanabe.jp

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海外に出ると僕の名前は「日本人」

これまでにサッカーを通していろんな国に行きました。そして、実際にシーズンを戦うために現地で生活をして行く中で思ったことを書きます。 これまでにトライアルを含め、生活をしたことがある国をあげると アルゼンチン、イタリア、マレーシア、ネパール、台湾、カンボジア、タイ、ラオス、モンゴルと9カ国になります。 「明後日来てくれるか?」 なんていう連絡を受けて飛行機に飛び乗ることは稀ではありません。 実際に、ネパールでプレーすることになった時はそんな感じでした。 「首都のカト

    • 一番辛いこと

      大怪我をして、今一番辛いことは骨の痛みではない。 いままで大切にしてきたことができないことだ。 それは「とにかく頑張ること」だ。 骨の中には隋内釘というチタン製の金属が入っていて、ボルトで固定されているのでもう同じような衝撃が発生すること以外では基本的に折れることはない。 僕は上手い選手ではない。 いつも言っているけれど、本当に上手い選手ではない。 じゃあどうやってこれまでサッカーを続けてきたかというと、人より努力すると言うことだ。 質がない分、量をこなすことによ

      • 心の声

        まず初めに、心に従って書いているので文章としてまとまっていないし、言葉も綺麗ではないかもしれない。自分と自分の対話を文字起こししたと思って欲しい。 今の不調に対して、メンタルが弱いからとか精神的なことだと言われるけれど、正直自分はメンタル強いと思う。 昔はとてつもなく弱かった。 だからコーチングやメンタルトレーニングに通って鍛えた。それでも耐えられないくらい体に異変や異常が起きていると思う。 中足骨折っても、頭割れても、肋骨折れても、40度の熱を出してもサッカーの試合

        • 29日、満月の夜

          「タクヤさん、試合いつ?」 いきなりそんな声が聞こえた。 大切な人が寝言で突然つぶやいた。 あまりに突然のことで僕は驚いた。 こんなことを寝言で聞いたのも初めてだった。 本人も覚えているかわからない。 きっとそんな夢でもみていたのかな。 しかし、その声、言葉は心にものすごく響いた。 突き刺さるくらいに。 今日は満月の夜。 サッカーがしたい。見せたい。 最近、自分の昔のプレーを見て懐かしく思うと共に自分が求めている姿を再確認する。 ああ、恋しい。 無我夢中でボー

          自分探し

          僕のなかなか表現できなかった内側で起きていることを書いてみたいと思う。 きっと理解し難いと思う。 自分でもそうだ。じぶんが自分ではない感覚だからだ。でも、結局はいまのじぶんがいまの自分なんだ。 いまのじぶんは本来の自分の5%くらいしか使えていない感覚。使わない、のではなくて使えないのだ。 時速200kmで走る車が時速10kmしか出せなかったらどうだろう。 周りからはふざけているように見えるかもしれない。運転席に座る自分はアクセル全開に踏んでいるのにだ。 この場合、そ

          ありのままの状態

          僕はモンゴルという国で女子U16代表チームのトレーニングの補助をしていたのですが、 途上国×女性であることによる環境の厳しさを感じて、 「男性」であるという偶発的に得たもので環境を得ていたという事に気付かされ、それが当たり前だったことに恥ずかしく思いました。 そこで法人を作る際の定款に 「女性のスポーツ支援」 を入れようと思ったのですが、 というお言葉をいただき、あえて明記しませんでした。 (気持ちとして女性のスポーツ環境の支援は特に取り組みたい) それがこの

          目標

          僕は子供の頃からサッカー選手になりたいと思った。 しかし、その前になりたかったのは「ウルトラマン」だった。 夢は叶えられるものだと良く聞いていたので、僕はとにかくチャレンジした。 家の2階から大きな声で『シュワッチ!』と叫んで気合を入れてジャンプした。 飛べると思った。 でも、結果は1階まで転げ落ちて腰を強打した。 電話一つですぐに駆けつけてくれた本物のヒーローである救急隊員さんに担ぎ込まれて救われた。 大きな挫折を経験した僕はそのウルトラマンよりも30倍以上の時

          皆さんは夢を持っていますか? もしくは、そんな夢に向かっていたことはありますか? 夢があるって素晴らしいことだと思うんです。 僕は子供の頃にたまたま家の前を毎朝ランニングに出かけるお兄さんから夢をもらいました。 そのお兄ちゃんがたまたま柏レイソルのサッカー選手だったことがきっかけで僕はサッカーに没頭した。 5歳にして(あのお兄ちゃんのように)サッカー選手になりたいという夢を持っていた僕に対して、「夢があるって羨ましい」とか「俺も夢を見つけたい」なんていうことを言うひ

          期待と不安

          いつものようにトレーナーさんと確認をさせてもらいながらリハビリをしている時の話だった。 僕は「復帰」というゴールに向かってどのように進めばいいのかわからないことに対して不安を抱いていた。正確に言えば、これまで大怪我をしてことがないから歩んだことのない道のり、プロセスに対して不安を感じる。 そんな僕のメッセージを見て、トレーナーさんはこんな言葉をかけてくれた。 「これまでは先がわからないことに対して期待を抱いてきたのに、今は先がわからないことに対して不安を感じているんだね

          与えるどころか

          僕は途上国の孤児院で活動をすることが多い。 サッカー選手として、その子供たちと触れ合ったり必要な物資を届けたりする。 子供達の笑顔を見ると、そこが孤児院であることを忘れてしまうくらいに彼らの笑顔は素晴らしい。 そんな笑顔を見て、僕は自分がどれだけ恵まれていたのかということを教えられた。 気づいた、というより教えられたというくらいインパクトが強かった。 その孤児院では親に捨てられた子供たちがほとんどだった。 人間に対して使うべきではない言葉だと思うけれど、拾(ひろ)って

          日常

          脛骨と腓骨を骨折して8ヶ月が経過して、骨に関してはサッカーをする強度を得ることができました。 しかしながら、まだまだ解決するべきことは多くあります。だから、まだサッカーすることはできていません。痛みに関しては本当に少しずつ無くなっているとは思います。 僕はいま日常に苦しんでいます。 ようやく骨がくっついて骨折が治ったと思ったけれど、それで復活ということにはいかない。 病院にいた期間や、症状の回復に対して悩み続けた時間がからだには相当のストレスを与えていました。 歩けな

          Reconstruct :1

          3月末に事故に遭ってから自故日記というのを書いてきました。 僕の中で、この「じこ」というものから離れて新たなステップを踏み締めていきたいという気持ちも込めて、ここからは復帰に向けての気持ちや現実を綴っていきたいなと思います。 戻るでもなく、一度作り直すというイメージ。 だから再構築するということでReconstructです。 事故に遭ってから約8ヶ月が経過します。 これまでの経過は上記の日記を辿っていただければと思うのですが、再手術なども経て今日を迎えています。 気持

          怪我を経ての現在地

          怪我をしてから7ヶ月が経過して、足の骨に関しては結構くっついてきているということらしい。 あと1ヶ月くらいで全てくっついてくるのではないかと手術をしてくれた執刀医さんには話してもらっている。 しかし、怪我の安静期間も長く、運動もろくにすることができない時間があらゆる不調を表出させている。 倦怠感や血流の悪さ… もちろん、足の違和感だってあるけれど普通に歩くことはできるし、バイクを漕ぐこともできる。 ただ、走ることに関しては痛みがすぐに出てくる。 経過としては遅いという

          憧れ

          柏レイソルというチームに憧れて僕はサッカーを始めました。 家の近くには沢田謙太郎選手が住んでいて、まだサッカーを習っていなかった僕は毎朝ランニングに出かけるそのお兄さんを見て憧れを抱いた。そのお兄さんが実はサッカー選手であり、柏レイソルの選手でした。僕はあのお兄さんみたいになりたいと思ってサッカーを始めました。 それから何十年と時間が過ぎて、柏レイソルはJ1リーグを史上初めて優勝しました。2011年のことです。地元は人に溢れてすごい騒ぎになりました。僕はその景色を見て一度

          自故日記(38) 人生とは尽生

          人生にはどんな意味があるのか? 生きるということはどんな意味があるのか? という問いに出会ったことは皆さんもあると思います。 僕は人生というのはもともと空っぽのコップのようなモノに、それぞれの彩りを加えていくことだと思う。 経験や富であったり、それは実に多彩かつ多様であると思う。 コップには限界量があるため、それを注ぎ続けるだけではいつか溢れてしまう。 それが人生で言えば「死」に値するのかもしれない。 じゃあこの人生を長く生きるためにはどうするのかというと、

          自故日記(37) 戻すのではなく

          9/11に再手術を受けて、骨の髄の中にあった金属を取り除いた。 なぜ除去したかというと、感染の疑いが消えきれなかったこと。 だから、一度開けてみて、しっかりとクリーニング(洗浄)をして、清潔な状態を築くことが必要だった。 もしかしたら感染はないかもしれないし、 もしかしたらいつか感染が起こるかもしれなかったし、 そもそも感染していたかもしれなかった。 ……………。 その結果としては感染は一切なかった。 しかし、これは結果論でしかないから手術する必要なかったのか

          自故日記(37) 戻すのではなく