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匈奴という民族の話

はじめに

 匈奴という民族をご存じでしょうか。匈奴は中国北方の遊牧国家の事です。そんなのが何だっていうんだとお思いになる方も多いでしょうが、実は彼ら、というか北方の遊牧民は中国史に大きな影響を与えているんです。まぁ、息抜きがてらにでも読んでみてください。

匈奴の登場

 彼らはいつごろから世界史に現れだしたのだろうか?という疑問に答えることは難しいんですねこれが。中国最古の地理書と呼ばれる『山海経』にも匈奴が出てきます。でも、仮にこれが事実なら、伝説上の夏王朝の頃から匈奴が活動していたと考えられてしまいます。
 さすがにそれは実際には考えにくく、『山海経』は戦国時代後期の中国人の偽作とする可能性が高いです。
 で、次に匈奴が現れる書物は『史記』です。戦国時代中期の紀元前三一八年に韓、魏、趙、燕、斉が連合して秦を攻めた。この時に匈奴が共同して秦と戦い、北に敗走したそうです。中国人は匈奴を「胡」と呼び、区別していたらしいです。

彼らはどこから来たのか?

 では、彼らはどこから来たのでしょうか?『史記』では夏王朝の末裔としているが、これは後世の創作であると考えられています。旧ソ連の考古学者コズロフ匈奴人をアーリア人の一種として、西方からの外来民族であるとしました。とんでもない説ですよね。これもロマンがあるんですが、実際に通説になっているのは西方からの技術を身に着けたモンゴリア土着の民族とする説です。
 モンゴルの草原は、内陸アジアのアルタイ・カザーブ草原と連なっており、この地域の情報、文化の伝達は速いんです。馬がありますからね。また、中央ユーラシア草原における金属文化は一様です。広域に同様の文化があるということからも、彼らの情報、文化の伝達が早いことがわかりますね。そのため、彼らが西方の技術をいち早く身に着けていても不思議ではないわけです。このことから、匈奴は外モンゴルにいた民族がスキタイの騎馬戦法を習得し、南下して内モンゴルを征服して、匈奴という政治勢力を形成したと考えられています。

今回はここまで!あんまり長いと眠くなっちゃいますからね。今回の参考文献はこちら

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