ウルクができるまでの話2

ウルクになる前の話もうちょっとしますね。

前々回のウルクができるまでの話の時、
ハラフ文化って人たちがウルクになる前にいたよってことを
言ったと思うんだけど、これはだいたい新石器時代の人たちだ。

ウルクは実は、
最初に農業が始まった地域からはちょっと外れた場所にある。
何故かというと、ここの地域はそこそこ雨が降るけれども、
雨だけで農業をやっていくには降水量が心許ないのである。
この地域で農業をやるには灌漑の発達が最重要なのだが、
川から溝を掘って水を引いてくる灌漑の大規模な痕跡は、
前5500年くらいにならないと、とりあえず発掘証拠としては
出てきていない。

でもそれ以前、早ければ前9500年くらいから
人間は麦の類(これは前回はなしたパン小麦ではなくて、
エンマー小麦とか大麦の類)を栽培していた形跡があり、
ではそこはどこで、というと、雨だけで農業ができた地域、
肥沃な三日月地帯のもっとずっと北のほう、
森がたくさんあった高地のあたりである。

だいたいわかる古代の農業と雨

これはめちゃくちゃ大雑把な地域の雨量と農業の図なのだけれど、
これを見てもらえばわかる通り、
ウルクは肥沃な三日月地帯としてはかなり端っこにあって、
川は近いから水は多いけれど、
雨の恩恵をめっちゃ受けられたかというとそうでもない。
農業の始まりはこの図でいうと「森っぽくてまあ雨で農業もできた」
肥沃な三日月地帯の北〜真ん中あたりまでの地域であり、
ティグリス川の北東の向こう側だ。

自然に降る雨の水だけに頼って農業をする、これを天水農業というけど、
この北のほうの地域、シャニダールとかテル・シェムシャーラのほうでは
前1万年くらいには野生のヤギやヒツジの骨が見つかっていて、
どうも前8500年前後には、これらの野生のヤギやヒツジを意図的に飼って
増やしたり食べたりしていた形跡が残っている。
というのは、見つかった骨の遺伝子は野生のヤギやヒツジと同じだけど、
明らかに若い雄の骨がたくさんあって、年をとった個体の骨の数が少ない。
雌は長生きさせてミルクをとったりして、雄は若くて柔らかいうちに食べてたんだろうと、まあそういうことがわかっている。

その近所のジャルモという遺跡では、だいたい面積で4平方キロくらいの
集落の跡が見つかっていて、ここは前9500年くらいから麦の栽培が始まって
いたと思われるのだけれど、だいたい標高が800メートルくらいのところにあって、つまりちょっと山がちで、広い農地を持つにはあまり向かない。
灌漑農業というのはどうもこのあたりから始まったみたいなんだよね。
昔は天水農業だけに頼っていたはずだという調査結果が出てるのだけど、
どうも前7000年くらいの小麦の粒が出てきたのを調べると、
この頃にはすでに(まだパン小麦ではないけど)多少の掛け合わせや
品種改良をしようとしていた形跡があり、農地に水を引くために
溝を掘った跡なんかも出てきているからだ。
つまり1万年前の天水農業から灌漑農業が始まるまでの間の
だいたい3000年間くらいのことがまだ見つかっていなくて、
スポンと抜けていると思っていいと思う。

この頃の集落でちょっとびっくりすることが一つあって、
それはこの頃、まだ土器はないということだ。
正確には見つかっていないからないと思われている、というところだが、
土の器が出てくるのはもう千年ばかり跡の前6000年くらいからになる。
でも石器はたくさん出てくる。
麦を刈るためと思われるカマの形をした骨の部品や、
これは旧石器時代後期から中石器時代に起きた素敵なイノベーションなのだが、細かい石の歯を天然アスファルトでくっつけることによって大きな石がなくても長い刃を作れるようになった、(しかも石がダメになったら剥がしてカッターナイフみたいに取り替えられる)そういう細かい石の破片が
たくさん出てきていて、これは4000年くらい経ったウルクの頃でも
現役で使われているのだからすごい。

話を戻してまとめると、小麦の栽培はウルクよりずっと北の山のほうで、
前9500年くらい前から始まっていて、前7000年くらいにはすでに灌漑農業が始まりかけていた。
当然のことながら、どんなに雨が多い地域だったとしても、降るか降らないかわからない雨だけに頼って農業をするより、ちゃんと水を引いて常に水がある状態で畑を作った方が取れ高は増える。

ここからは私の想像で、実際意図的に南下したのかどうかはわからないが、
人類が耕作をしていく中で、多分誰かが気づいたんだと思う。
山の中ってたいらじゃないから農業めんどくさいなってことに。
そしてより広くたくさん畑を作れる南の方になんとなく移動してったんじゃないかな。

物事をたくさん調べていくと、
ある日突然バラバラだった情報のピースがハマって、
「あっ、これってこういうことだったんだ!つまりこうなんだ!」
という新たな地平が見えることがある。
その人たちの生活や行動が肌で感じられる美しい地平だ。

これを信じると。

だいたい失敗する。

自分で気がつかないうちに、物事の隙間を想像で補ってしまうからである。
それを防ぐためには想像と事実の切り分けをしっかりしていくこと、
常に情報源を確認し続けること、
というたゆまぬ地道な作業が必要なのだが、
調べた結果わからないことだけがわかることも多々あるので、
「これは想像だけど」とはっきり言いつつ、
想像するのは別に悪いことじゃないんじゃないかな。

というところで今回はここまで。
ではまた次回。

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