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クリエイティブ・フォロウィング:状況に生命を通わせる第三項をつねに提示し続ける身体性

武蔵野美術大学大学院 クリエイティブリーダーシップコース クリエイティブリーダシップ特論Ⅱ 第6回目 2020/06/22

九州大学大学院芸術工学研究院教授 古賀 徹先生のお話を伺う。
古賀先生のご専門は哲学で、近現代の欧米圏の思想を中心に研究を進められている。

現在のデザイン、エンジニアリングは合理性機械性の追求に偏ってないか?
有機性、身体性とのバランスが必要だよというような内容だと解釈。

お話の大枠は、今も残る工業化時代のCritica的機械的デザイン思考と
ポストインダストリアル時代のTopica的有機的デザイン思考の対比から

デザイン、エンジニアリングはどちらも身体性が伴う考えがベースであること、ポストインダストリアル時代においては合理的で機械的なだけの考えや方法では解決できない何かがあり、そこに立ち向かう方法として
物事を媒介しうる第三の名辞=論拠を発見することが必要であること、
そしてそれはクリエイティブ・フォロウィングと呼べるような、
状況に生命を通わせる第三項をつねに提示し続ける身体性によってなされる
というような講義の内容であった。

お話の中では、以下のように定義されている。

    有機的 運動の原因が個物の内部にある 
機械的 運動の原因が個物の外部にある

そして、ものごとを具体化する「構想」という言葉をdesign、engineering の二つの西洋語の系譜から、語源を辿り本来的意味合いを掘り下げていく。

16世紀の画家で評論家のヴァザーリの思想からdisegno ≒ invenzione の図式を以下のように表しており、目を通した外から内、(熟練した)手を通した内から外の双方向の流れがある。



機械論の流れ=観察

  外的自然   ⇄ 身体 ⇄ 内的自然(魂)
形式     手     概念
有機論の流れ=構想

そして、18世紀の哲学者ヴィーコはデカルトの機械論を批評し、機械的工学技術の中にある有機性をばらばらに分離しているものを速やかに、適宜に、そして上首尾に一つに融合する知性というように説いている。


アリストテレス三段論法についても、現在は機械論的である解釈されているが、”鋭敏な人々 argumen は、互いに遠く離れた異なった事物のあいだにそれらを結び付けているなんらかの類似関係を見つけ出す。”とし、失われた鎖(ミッシング・リング)を発見するのは人間であるというような人間主義的エンジニアリング述べている。

ヴァザーリとヴィーコの考えは以下の点で交わる。

invention ヴァザーリの身体性  
全体を活かす第三項を内側から生み出し続ける身体性
engineering  ヴィーコの有機的論理学
身体を動かして、見方を変えて、思いもよらなかった解決操作を見いだすイマジネーション

そしてそれはクリエイティブ・フォロウィングとよべるような状況に生命を通わせる第三項をつねに提示し続ける身体性が重要であるという考えに繋がり、ウィリアム・モリスの言う designing 、

手による結合 combination  VS 機械的結合

というような考えにも繋がる。


このような内容の講義だったと解釈した。

自分自身IT企業でプログラムを組んだり優秀なエンジニアに話を聞いている中で、必ずしもいつも論理的な方法で解決する事ばかりではないということがあったので、とても共感できた。とても有能なエンジニアは論理性も優れているが、閃き力と適度なランダム性があるような気がした。試しにやってみたら今までで一番いいやり方が見つかり、なんでよかったかを後付けで論理を組み立てるというようなことも往々に有り得る。

イノベーションという言葉の解釈を”組み合わせと実装”というように思うことがあるが、その時の思考に近いようなイメージかもしれないと感じた。


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